28. 〜清也〜

 パシャ、パシャ……軽やかなシャッター音が建物内に響く。

いつものように寝転がって天井を撮ってみたり、持ってきた一輪の花を陽に透かしてみたり、窓をフレームに見立てて撮ってみたり。

 このコンクリート打ちっぱなしで錆びた釘が露出しているところが多く見られる建物は、独特な孤独の匂いがした。

人が長らく訪れていないことを示唆している。

 その孤独の匂いの中に、柔らかい匂いがわずかながら混じっているのが感じられた。

建物の隅で目をつぶり、音に全神経を集中させている光穂の匂いである。

 この“匂い”とは鼻で感じるそれだけではなく、雰囲気であったり空気感であったりも指す。

不思議なことに視界に入っていなくとも自分1人ではないのだということを感じるのだ。

 特に今日は光穂を強く意識していた。

その理由は2つある。

 ひとつは、朝1番にボイスレコーダーを返却したのだが、「聴きましたか?」と尋ねられて思わず「聴いてないよ」と嘘をついてしまった。

その嘘が見透かされているのではないかと思うことからくる意識。

 もう一方は、会ったときから彼女がどこかうかない表情をしていることからくる意識だ。

 どう見てもいつもの明るい彼女は鳴りを潜め、考えにふけっていた。

しかし聞くこともできないまま室内にはシャッター音だけが積もっていく。

 ふいに撮りたくなり、冷たいコンクリートに密着して立っている光穂に向けてシャッターを切った。

 音に敏感な彼女はすぐに気付いた。


「なんで私のこと撮るんですか、今日髪とかぼさぼさなので恥ずかしいですよ」


 そう言って髪をいじり、笑顔を見せてくれた。

 俺はなんだかほっとしてその後も抵抗する光穂の姿を何回もカメラに収めた。


「姿は撮らないから、ここに立ってもらえるかな」


 腕を引っ張り、このなにもない空間の真ん中に光穂を立たせる。

レンズを彼女の顔から下げ、少し横にずらしてシャッターを切った。


「いいね、光穂ちゃん」


 なにを褒められているのかわからない様子のまま光穂は笑って、


「ありがとうございます」


 ととりあえずの感謝を口にした。

 このとき撮った写真には光穂の真っ黒な影が含まれていた。

 背筋をすっと伸ばして立つ光穂は影さえも美しい。

 それに気付いた俺は、その後も影を撮り続けた。

 撮られている最中にも光穂はボイスレコーダーを取り出してはなにかを吹き込んだ。

 俺が発するシャッター音とは周波数がまったく異なる光穂の澄んだ声が、途切れ途切れに俺の耳にも届いた。

声が届くたびに俺の心臓は高鳴っていた。

遠足に出かける前日の夜、のような、そんな心臓の高鳴りだ。

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