第12話 今日だけ
まだ春の気配が残る、心地よい風が通り過ぎていった。
さらさら目元を撫でるようになびく長い前髪に、くすぐったそうに目を細める彼女に、俺はただ見惚れた。
あまりに現実味がなかった。
彼女がそこにいる、ということ。そして……その姿に。
華奢な身体を包み込む真っ白なセーラー服は、傾きかけつつある太陽の日差しの中、輝かんばかりに煌めいて神々しいほどで。そこにひらめく胸元の水色のリボンは、夏の澄み渡った青空を思わせる。清楚で爽やか。眺めているだけで心が洗われるような……。それでいて、襟と同じ紺色のスカートはぎょっとするほど短くて、なんとも言えない背徳感を煽ってくる。
見てはいけない、と思いながらも、つい、ちらりと視線は下へと向かってしまう。
乱れたスカートからのぞくほっそりとした太ももは白く滑らかで、どんな感触がするんだろう、と無意識に考えてしまっていた。無防備に目の前に曝け出されたその肌に、触れてみたい、て気持ちがどこからともなくこみ上げてきて、腹の底で掻き立てられるものがあった。
こんなこと、初めてだった。
抱きしめたい、と思うことはあっても……こんな風に、香月に触れてみたい、て思ったことは今まで無かった。
好きだ、と実感すればするほど大事にしたいと思うのに、身体はその逆のことをしようとしているみたいで、そんな自分に嫌悪感さえ覚えた。
「ずっと、こうしたかったんだ」
ふいに、ぽつりと言う声が聞こえて、俺はハッと我に返った。
「な……なにが……?」
ほんの数秒のことだったとは思うけど。そのいやしい視線に気づかれたんじゃないか、なんて思ってそわそわとしてしまった。
咄嗟に視線を戻すと、香月は俯きながら微笑を浮かべ、
「こうして、制服着て逢いに来てみたかったんだ」ぼんやり言って、そっと大事そうに胸元のリボンに触れる。「学校帰りに待ち伏せして、驚かせたりしてみたかった。だから、やっておこうと思ったんだけど……失敗しちゃったな」
やっておこう? やってみよう……じゃないのか?
なんだ、その言い回しは――とつっこもうとしたが、俺に何か言う間も与えず、香月は背後を振り返り、
「ずっとそこで陸太が出てくるの待ってたんだ」
そこ――と香月が向けた視線の先を辿れば、門柱があった。
巨大な墓石のごとく高くそびえる長方形の石造りの門柱で、そこに埋め込まれた縦長の銘板にはうちの高校の名前が書かれてある。
ずっと、そこに寄りかかって待っていてくれたのだろうか――なんて、その姿をつい想像して、こそばゆくも、たまらなく嬉しくなって……うっかりニヤけそうになってしまった。
「陸太が出てくるのが見えたから、驚かそうと思って飛び出したんだけど……タイミング間違っちゃったね。いつも通り、先に声をかければよかった。慣れないこと、するもんじゃないな」
自嘲するように言って、香月はこちらへ顔を向き直す。
「ぶつかるつもりはなかったんだ。ごめん」
「いや……俺のほうこそ、よそ見してたし」
「陸太は悪くないよ」
さらりと髪をなびかせ、ふっと微笑を浮かべるその様は普段通り――にも見えたけど。気のせいか、どちらかといえば、『カヅキ』に近いものを感じて……胸騒ぎを覚えた。
LIMEと同じで、香月に変わったところはないように思えるけど、何か妙な違和感があった。
どことなく儚げで、弱々しい感じがあって……ぺたりと座り込む様は余計にいじらしく見えて、健気、とでも言えばいいのか。いつもとは――凛として頼もしい感じとは――印象が違っていた。
てっきり、服装のせいかと思ってたけど、違う。それだけじゃないような気がしていた。
そもそも、おかしいんだ。香月が今、ここにいること自体が香月らしくない――。
ハッと気づいて、「お前」と思わず、口に出していた。
「お前、学校は……!?」
すると、香月はあからさまにがらりと表情を変えた。しまった、とでも言いたげに顔を曇らせて、視線を泳がせる。
その反応に、やっぱりそうか、と確信した。
――そう。ありえないはずなんだ。香月が今、ここにいるなんて。
香月の高校は二駅隣。学校終わってすぐ駆けつけてきたとして……たとえ、タイミング良く電車に乗れて、猛ダッシュしたとしても少なくとも二十分はかかるだろう。
俺は放課後すぐに校舎を出てきたんだし、間に合うとは思えない。
つまり……。
「サボったのか?」
信じられない思いで訊ねると、香月は諦めたようにため息ついて、「六限目だけ」とぽつりと言った。
「いや、六限目だけって……お前、サボったりとかするタイプじゃないだろ?」
少なくとも、『カヅキ』はそうだったはずだ。
「なんで、そこまでして……」
訳が分からなくて、弱々しく訊ねると、香月は躊躇うような間を開け、
「今日だけ」と、元気のない笑みを浮かべ、俺に懇願するような眼差しを向けてきた。「今日だけ――大目に見て」
ぐっと手に力が入っていた。
そこまで言われて、惚けていられるはずもなかった。
「なんで……」と気づけば、ぽろりとそんな言葉が溢れでていた。
「なんで、今日なんだ?」
昨日、何かあったのか? ――その問いだけは、ぐっと喉の奥に押し込んだ。
きっと、もう訊いているようなものだとは分かってはいても、それだけはどうしても自分から訊きたくは無かった。
香月は息を呑み、悲痛そうな表情を浮かべると、「陸太……」と俺の名を呼びながらも視線を逸らす。
「私、陸太に――」
食い入るように見つめる先で、吐息ともつかないような、掠れた声で香月が何かを言いかけたとき、
「あの〜」と、緊張感の無いのんびりとした声が聞こえてきて、「えっと……大丈夫? その子、怪我しちゃって立てない……とか?」
ハッとして振り返れば、校門から出たところで小鶴さんがちょこんと佇み、心配そうに俺たちのことを見下ろしていた。
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