第9話 一線

「やっぱり、モデルさんなんだなーて思っちゃった。キラキラしてるよね。オーラが目に見えるみたいな」

「いや、まあ……そう、なのかな」


 確かに、いつも燦々と輝く太陽のような眩いオーラを放っているが。しかし、なぜ、そんな話を俺にする!?

 しどろもどろになる俺に構わず、香月は相変わらず、キャラメルなんとかをじっと見つめ、独り言のように続ける。


「今まで、挨拶程度なら話したことあったけど……男として、だったから。陸太の『親友』としてしか、絢瀬さんと向かい合ったことなかった。だから、女として向かい合うのは初めてで……すごい緊張したんだ」


 マグカップを抱く香月の手にきゅっと力がこもる。

 それを横目で見ながら、そういえば――と思い出していた。

 絢瀬に女だと告げる時、香月の口調は確かに妙だった。やけに力が入っていて、刺々しいというか。大げさな言い方をすれば、まるで喧嘩でも売っているような……。


「よろしく――なんて言って、勝手に気張っちゃって」自嘲するような笑みを浮かべ、香月は力なくため息ついた。「それなのに、絢瀬さん……可愛すぎるんだもん。参っちゃった。返り討ちにあった気分だったよ」

  

 か……返り討ち?

 あれ……なんで、そんな物騒な話に?


「絢瀬の……話だよな?」

「そう、絢瀬さんだよ」とけろりと香月は答え、「話しやすいし、笑顔も無邪気で、なんだかふわふわしてて、一緒にいるだけで幸せな気分になれる。可愛いって、こういうことを言うんだな……て、実感したよ。ずっと男のフリしてきたけど、ようやく『男心』っていうのを体感できた気がする」


 冗談っぽくそんなことを言ってから、香月はこちらに視線を向けて、やんわりと微笑んだ。


「この子を、陸太は好きになったんだな――て思った」


 その瞬間、ぞわっと全身が粟立つようだった。


「だから、それは違うって……!」


 今にも席を立たん勢いで声を上げた俺に、「分かってる」と至って冷静に香月は制して、


「絢瀬さんが可愛いからじゃないよね。陸太が絢瀬さんのこと好きになったのは」

「は……?」


 その指摘はあまりに的外れというか。俺が否定しようとしたこととは程遠くて。すっかり勢いを削がれ、俺は固まってしまった。

 しかし、香月は自分の考えにこれっぽっちも疑問を抱いていないようで、


「陸太だけだったよね」と窓のほうへと懐かしむような眼差しを向けて、落ち着いた面持ちで続けた。「『氷の妖精』が来てから、皆、『可愛い』て騒いでたけど……陸太だけは違った。陸太だけは、ずっと絢瀬さんの演技どりょくを見てた。『あいつは一番、キレイに跳ぶ』、『誰よりも高く跳ぶ』――だから、『好きなんだ』って……いつも目をキラキラさせて、絢瀬さんを見てた」

「あ……いや、それは……だから、スケーターとしてで……」

「いいなあ、て思ってたんだ」


 ぽつりと……静かに流れるBGMにかき消されそうなほどか細い声で香月は呟いた。

 『いいな』って……?


「そんなふうに好きになってもらえたら幸せなんだろうな、てずっと思ってた」


 香月は相変わらず窓の外を眺めながら言った。その横顔には笑みが浮かんでいたが、どこか翳りのようなものがあって――。

 ぐっと胸に迫るものがあって、つい、


「お前だって……!」


 と、口走っていた。

 香月が弾かれたようにこちらを振り返って、目が合うなり俺はハッとして固まった。

 しまった――と、思った。


 香月だって、今は俺にとっては可愛くてたまらない存在で。俺には充分ふわふわしているように見えるし、一緒にいたら楽しくて、それだけで満たされるような気分になる。傍で俺のことを支えてきてくれたその姿カヅキを今は愛おしく感じるし、そうじゃない姿ももっと見たいと思う。

 香月の言う『そんなふうに』がどういうことなのか、良く分からないけど……香月に幸せになってほしいと思うし、そのためならなんだってしてやりたい。それくらい好きだという実感はもうはっきりとある。

 でも……そんなこと、言っていいのか? ここで? このタイミングで?

 言ったら――どうなる?


 さあっと波が静まり、凪が訪れるかのように、あたりの物音が全て消え去って、俺たち二人だけ、そこに取り残されたような気分になった。

 ただ、じっと香月を見つめていた。

 少し緊張気味に表情を強張らせて、俺を見つめる彼女の顔。それは遠くもなく、近くもない、慣れ親しんだ距離にあった。身動きしても、肩が触れることもない。息遣いも、肌の熱も感じることもない。でも、話すには充分で、手を伸ばせば届く距離。友達の――距離。

 ああ、そっか……と漠然と悟った。

 もっと近づきたい、触れたい、ていう欲求はなんだ。

 小鶴さんが言っていた『一線』。それがまるで目に見えるようだった。

 うまくいこうが拗れようがさ、どっちかが一線を越えようとしたら、その関係は終わりだよね――そう物憂げに語った小鶴さんの言葉がたちまち脳裏に蘇ってきて、その途端、ぞっと血の気が引いた。


「お前だって……」と、俺はたまらず、顔を窓の方へと向き直し、上擦った声で言い出していた。「ホッケー、頑張ってたじゃん。俺は、すげぇ……カッコいいと思ってたよ」


 本音だ。取り繕ったお世辞でもなんでもなく、それも紛うことなき本音だが……それでも、嘘を吐いたような後ろめたさが残った。

 必死に平静を装って、頬杖つきながら、ちらりと横目で香月を伺うと、


「カッコいい、か」と香月も窓の方を見つめ、どことなく気が抜けたような……そんな力無い笑みを浮かべていた。「やっぱり、そっか」


 やっぱり、そっか……?

 違和感とともに、妙な胸騒ぎを覚えてじっと横目で見つめていると、香月はこちらに視線を戻し、


「やっぱり――私はミリヤ先輩なんだね」


 ニッと悪戯っぽく笑って言った。

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