第7話 隔たり

「肉まんは……」


 口ごもりながら、目の前の彼女をじっと見つめる。

 そこにいる香月は、親友だったころのまま。合コンから出てきて、男装メイクを落としたわけでもなければ、服を着替えたわけでもない。相変わらず、ぱっと見はイケメン王子様。前と何も変わらぬ『カヅキ』の姿だ。

 それなのに。

 わずかに微笑を浮かべて、俺の答えを待つ――ただそれだけの姿に、どうしようもなく胸がくすぐられる。メガネに仕掛けでもされたのか、と思ってしまうほどに、その姿がたまらなく可愛らしく見えてしまって、どうしようもなく愛おしく感じて。

 自覚しただけで、こんなにも変わるものなのか、て圧倒されて……降参するように口元が緩む。そうして、


「肉まんは……食べたい」


 苦笑しながら、そう答えていた。


「じゃあ、決まり。行こ」

 

 満足げに言って、身を翻して歩き出す香月。その背中を眺めて、ひっそりとため息をつく。

 好きにしてって言われても……正直、自分がどうしたいのか、分からない。

 今、分かることは、香月の傍にいたい……て、それくらいで。だから、一緒に肉まんを食べに行く――そんな決断をするので精一杯で。その先なんて、今の俺には想像もつかない。どんな選択肢があるのかさえ良く分からない。

 護は――と、ふいにカラオケボックスの方へと視線が向かった。

 護はどうするつもりなんだろう。

 まだ好きだ、て実感して……我慢できなくなるわ――そう清々しく言った護の言葉が、不吉な予言みたいに頭の中で不穏に響いた。

 と、そのとき、


「とりあえず、近場のコンビニ回ってみようか」


 楽しげに訊ねる香月の声がして、俺はハッと我に返った。 


「あ……ああ」と慌てて答え、香月の背を追いかけるように歩き出す。「そうだな。この近くだと、ビッグストップか」

「あるかなぁ」

「そういえば……肉まんとかって、だいたい、夏からじゃね?」


 香月に追いつき、隣を歩きながら、ぼんやりとこの辺りのコンビニを思い出していた。

 水を差したくはないが……肉まんなんて、しばらく見かけてない気がする。最近、見かけたところといえば……。


「ウチに冷凍のがあった気がするけど」


 ぽつりと呟きながら、いや……と眉根を寄せる。

 お弁当用に、とか言って、肉まんと思しき写真が載ったパッケージの冷凍食品を母親が買ってきて冷凍庫に詰めていたような気がしたが……あれは、肉シュウマイか? 肉まんなんて弁当にはいれないよな。


「ウチに……って?」


 ふと、香月の聞き返す声が隣からして、


「陸太の家に……食べに行っていい、てこと?」

「は?」


 きょとんとして振り返れば、香月がじっと俺を見つめていた。眉を顰め、訝しげな表情で……。

 思わず、二人で立ち止まっていた。

 え……俺の家? なんでそんな話に……とパニクりかけ、すぐに気づく。

 そっか……そうだよな!?

 深く考えず、なんとなく口に出してしまったが……俺ん家になら、肉まんある――みたいなこと言えば、家に誘ってる、て取られても仕方ないよな!? 


「あ、いや……!」


 かあっと熱が込み上げてきて、喉が焼けるようだった。

 さすがに……今から家は――まずい! すでにこんなに意識してるってのに。部屋で二人きりになんてなったら、石像のように固まる自信がある。一言もまともに話せなくなる気がする。

 慌てて否定しようとしたとき、ふいっと香月は目をそらし、


「ありがと」と短く言って、「でも、ごめん。今日は……行けない」


 そして、うっすらと口元に微笑を浮かべ、「また今度、ね」とさらりと髪をなびかせ歩き出す。そんな香月を視界の端まで見送りながら、俺は呆然と立ち尽くした。


 その光景は、もう何度も見てきたものだった。


 だから、知ってる。

 また今度――なんて来ない。

 今まで、ずっとそうだった。いつも俺が家に誘うと、香月はそうやってやんわり断ってきた。『その日はダメなんだ、また今度』って、決まり文句みたいに。それも、香月との間に感じていた『隔たり』の一つだった。

 自分の家に呼ぶくせに、家族には会わせない。自分の家に呼ぶくせに、俺の家には来ない。

 そうやって、見えないラインを引かれているような気がしていた。踏み込ませないような、踏み込んでこないような――ずっとそうだったから、『カヅキ』はそういう『距離感』の奴なんだろう、て思ってた。

 でも、香月が女だったと分かってその謎が解けた気がしたんだ。女だってバレるのを恐れて警戒していたんだな、て納得した。

 それなのに、なんでだ? 

 もう女だって分かったのに。隠し事も、警戒することも何も無いはずなのに。なんで、まだ、『ダメ』なんだ?

 別に……本気で、今からウチに呼ぼうと思ってたわけじゃない。でも、気になってしまった。今も香月から感じる、この『隔たり』はなんなんだ、て。

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