第5話 子供じゃないから

「本当にいいの?」


 ぼんやりと淡い照明の下、香月は隣に座ってじっと不安げに見つめてくる。


「いいっていうか……もうここまで来たら、後戻りできねぇだろ」

「怖かったらやめてもいいよ」

「べ……別に怖くねぇし」


 そう返す自分の声はあまりにも嘘っぽくて情けない。


「本当に? 相当怖いらしいよ」

「嬉しそうにそういうことを言うな!」


 きっと睨みつけると、あ、と香月はニヤついていた口元を押さえて、「ごめん、ごめん」と今更ながらに神妙な面持ちになった。


「でも、本当に無理しないでね。途中で出てもいいから」

「しねぇよ。さすがにそこまでヘタレてないから」


 それに――と、俺はひじ掛けに頬杖ついて、香月を横目で見ながら微笑んだ。


「お前のこと知りたい、て言っただろ。これがお前の好きな映画なら、ちゃんと最後まで観たい」


 たとえ、ホラー映画でも……な。

 ホッとしたように顔をほころばせる香月を見れば、きっと自分は正しいことをしている、と実感が湧く……のだが。それと恐怖心これとは全くの別問題だ。どれだけ口で強がっても、心臓は正直だ。さっきからうるさいほどに激しく鳴り響いている。今にも心臓だけ逃げ出しそうだ。

 チケット売り場で、やたらと「本当に私の好きなのでいいの?」と何度も確認してくるから変だとは思ったんだ。おどおどとする香月は初めて観るし、よほどベタベタな恋愛映画なのかと思ったら……まさかのホラー映画。なんとか、3Dは避けれたものの……後方ど真ん中の、実にスクリーンが見やすい良い席が取れてしまった。

 今からあそこにどんな恐ろしい化け物が映るんだろうか……と、今はまだ真っ白なスクリーンを見つめて、ぞっと背筋が凍りつくようだった。

 心霊系は……どうしても苦手だ。グロいのとか、ゾンビとかなら平気なんだが。

 まだ暗くもなっていない会場ですでに怯えきっている俺をよそに、わいわいと観客が楽しげに次から次へと入ってきて、前の席を順調に埋めていく。それを俺は信じられない思いで眺めていた。

 なぜだ? なぜ、ホラー映画を真っ暗の中、どでかいスクリーンで見たがる?


「顔、引きつってるよ」


 からかうような声が横から聞こえて、俺はばっと振り返った。


「だ……だから、そういうことを嬉しそうに言うなって……」

「手、握っててあげようか」


 髪をふわりと揺らして頭を傾け、遠慮がちに香月は言った。合わせた手を何やらモジモジと動かし、恥ずかしそうに頰を赤らめて……。

 え……と俺はたじろいだ。

 怯える俺をバカにしてる――て感じじゃない。本気で……言ってる?


「いや……心配すぎだって! 幽霊とか苦手だけど、映画なんだし。大丈夫だよ」


 慌ててそう言って、俺は「だいたいさ……」と苦笑して付け足した。


「もう『男同士』じゃないとはいえ、子供でもないんだから……手を繋いだりとかって変だろ」

「え……」


 そうだよね、て笑うかと思ったのに……香月の表情は和らぐどころか、逆に曇ってしまった。

 明らかに不穏な空気が漂って、


「どうした?」


 おずおずと訊ねると、香月はハッとして「なんでもない」と貼り付けたような笑みを浮かべて立ち上がった。


「飲み物、買ってくる。陸太は、いつものでいい?」

「え……ああ……」


 ショルダーバッグを肩に提げ、ぱっと身を翻して去っていく香月の後ろ姿を、俺は呆然として見つめてしまった。

 なんだ、さっきの?

 なんでもない……て、どこか遠ざけるように言ってごまかすに覚えがあった。距離を置かれているような、そんな妙な隔たり。男のフリをしていたときも、そうだった。

 嫌な胸騒ぎがして、ぼうっとしていると――、


「はい、モモコ。買ってきたよ」

「わー、ありがとう。ケンジくん」


 前の列からそんな会話が聞こえてきた。


「モモコの好きなピーチティーがあったよ。あとポップコーンも買ってきたから」

「やったー。ケンジくん、さすが!」


 斜め前の席で、ケンジくんというらしい男性が両手に飲み物を抱えて座席に座り、そのうちの一つを隣に座っている女性に渡していた。やがて、和気藹々とポップコーンを挟んで、仲睦まじく話し出す二人を眺めながら、何か……とてつもない違和感を覚えていた。

 あれ。

 そういえば――俺、いつもの癖であっさり「ああ」とか言って香月に飲み物買いに行かせちゃったけど……良かったのか? 『女友達』なんて小六以来だし、女の子と二人きりで出かけたことなんて(『カヅキ』と、この前の絢瀬との待ち合わせを除けば)おそらく、人生初。だから、俺は経験も知識もほぼゼロで、全くもって良く知らないけど、それでもなんとなく分かる。こういうとき、飲み物とか買いに行くのって、ケンジくんみたいに男が行くものなんじゃ……。

 なんでもない、て無理したように言っていた香月の声もひっかかって、俺は言い知れぬ焦燥感に駆られて立ち上がっていた。

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