第5話 ナラク
ひまわりの種を追って辿り着いたのは、学区外のとある廃墟だった。
おそらく、昔はカラオケボックスだったのだろう。
色褪せた看板にはマイクや音符が描かれた跡があった。
「ここか・・・」
幸い、走ってきたからか足は震えていない。
息を整え、敷地内へ侵入する。
黒塗りの外車が数台止まったガレージに足を踏み入れると、獣の鳴き声が聞こえた。
とっさに身体を反らすと、弾丸が元いた場所を通りすぎ、コンクリートの壁を砕いた。
パラパラと音を立てた壁の反対側に、人影が現れる。
そいつは灰色の巨体で四つん這いだった姿勢から二足で立ち上がり、獣から人間へと変貌していく。
「・・・そうか、あんた
獣人化──自分の身体を獣と合成し、錬金術の応用で肉体を人間から獣に変える違法魔 術。
最悪の場合は自我を失い、魔獣に成り果てるため厳しい法が敷かれている真っ黒な魔術だ。
黒いスーツに身を固め、灰色の髪をかき分け頭を掻いている男が話しかけてきた。
「おい、てめぇ何しに来た?てめぇみたいな坊主が来るとこじゃねぇ・・・とっとと帰るんだな」
「誘拐・・・及び違法魔術使用の現行犯でお前達を逮捕する。大人しく投降しろ・・・」
「坊主、てめぇ風紀委員か」
男が構えるのと同時、俺も身構えた。
男の身体の状態を確認する。
男は身長推定180cm、右手の全指に輪状の痣があるから利き腕は右腕でメリケンサックを使って来るだろう。
目元には最近出回っている薬の使用者と同じ青紫色の隈。
おそらく常用者だろう。
さっきの使用で発覚している拳銃は形状からして6発までのリボルバー。
さっき一発は使用していたため、残弾5発以下と仮定。
対して、こっちの装備はスタンガンのみ。
近くまで踏み込まなければ行けないうえ、それでもなお勝ち目は薄い。
ここでの上策は他の風紀委員が到着するまでの時間を稼ぐことだろう。
が、華恋がたった今殺されかけているかもしれない。
そう考えると、ここをどうにかして突破しなければ…。
「・・・ここを通す気はないんですね・・・」
「てめぇみてぇな坊主に大人しく投降すると思ったか?
それに、構え合ったなら言葉は要らねぇ。男なら覚悟決めろや」
瞳を一瞬だけ閉じて──見開いた。
走り出した、男へ近づき背の後ろへ隠したスタンガンを──
とっさに横へ避けるが、男のメリケンサックが脇腹を掠め、シャツを裂いた。
左脚を回し蹴るが、腕でガードされる。
捕まれないよう一旦間合いを取り、再度追撃。
スタンガンを持った右腕を伸ばすが空をきった。
男が足を払い、空中に身を投げ出すが、左手だけで逆立ちし両足を回しながら相手を蹴る。
「うっ、はぁっ・・・まだまだァ!」
体勢を立て直したところへ男のメリケンサックがみぞおちへ入った。
「かはっ・・・!?」
唾液を置き去りに宙へと舞った。
コンクリートの床に叩きつけられた全身にまだ痛みはない。
が、腹を抑え、口元を拭う。
息を整え、もう一度追撃。
「──
空気中の水分がねじまがり、矢となって男へ襲いかかる。
が、男は右こぶしの連打で3本の矢を全て撃ち落とした。
やはり、あれは違法魔道具。
恐らく、メリケンサックの内側に小さな針があり、筋力増強の違法ドラッグを瞬間的に錬金術で精製・投与させる術式を刻印しているのだろう。
瞬間的な動きは、人間の限界を超えている。
しかし、身体への負担もゼロではないはずだ。
ドラッグは副作用、錬金術は等価交換の原則がある。
そしてその代償は恐らく血液。
あの魔術を多用させれば、血液低下、酸欠させる事ができるかもしれない。
「──
「何度やっても無駄だァ!!」
「──
矢の数を増やす、が全て弾かれる。
「・・・はぁ・・・」
男が息を吸い込んだ。
──ここだ!!
全速力で駆ける。
右腕を男の脇腹へ当て、スタンガンのスイッチを押す!!
「ぐぁ、がぁああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
男の身体から汗が蒸発し、男はその場に倒れ込んだ。
手錠をポケットから取り出し、男の手を拘束した。
「この上か…待ってろよ華恋」
男に背を向け、入り口へと走り出す。
「てめぇ、油断したな?」
バキンッ!!と金属が壊れる音がした。
カランカランとコンクリートに壊れた手錠が落ちる。
それと、俺が噛まれたのは同時だった。
灰色の巨体が俺の身体に噛みつき、押し倒した。
「ぐぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
「・・・はぁ、男は不味いな。筋肉が引き締まってるのはいいんだが臭みが強すぎる。ああ、ちょうど昨日喰ったテニス部の女の子は美味しかったなぁ。柔らかくて、甘かったぜ」
脇腹のシャツが血に染まっていく。
男──いや、その獣は喉を血で濡らし、そんな吐き気がする言葉を平然と言いやがった。
「てめぇ、今なんて言った!?」
「ああ、分かりにくかったか?捕まえてきた女は全員喰っちまったって言ってんだ。
そんな・・・。
誘拐された少女達を助け出すために、風紀委員が、特に楓は連日徹夜で捜索していた。
これまでにも、アジトを見つけた事は何度かあったんだ。
でも、発見されたのは
こいつらは証拠隠滅のために人間として絶対にやってはいけないことに手を出した。
人間の理を外れたんだ…。
「許さねぇ・・・」
俺は、その時にはもう捕まえるという目的を忘れていた。
自分自身、何をしたいのか分からなかった。
ただ、許せなかった。
どうしても、こいつらを許せなかった。
それだけで動いた。
こいつらと同類に落ちる気はない。
でも、痛い目を見せなきゃ気がすまなかった。
「てめぇええええええええええええええええええ」
何も考えずに走り出した、が拳は空をきり、腹にカウンターを食らって身体は元の場所へと吹き飛ばされた。
憎い。
こいつらが憎い。
憎い。
******
『また、あの日を繰り返すのか?』
心のどこかで誰かが問いかけてきた。
黒い影。
あの、炎の夜に見た黒い影。
俺が失った幻の記憶。
何故か
覚えていないはずなのに、影は俺にその光景を思い出させる。
影は俺を貪欲にする。
力が必要だ。
男を捩じ伏せる力が。
運命に抗うための力が。
『俺はお前だ』
「お前は俺だ」
影は俺にこう言った。
『俺はお前の力だ。俺は俺のためにお前の力になる。
だから、お前はお前のために俺を使え。
お前は俺の名を呼ぶだけでいい、昔お前が妄想したヒーローの名を』
これは、いつかの
果たせなかった約束を果たすための。
だから俺は、こいつの手を取った。
『ナラク』
子供の頃に俺が夢見た、
誰かを影で支えるヒーロー。
******
男が手だけを獣のものに変え、近づいてきた。
長く太い爪は鉤ばりのようだった。
あれを防ぐ盾がいる。
「来い…ナラク」
男はその手を俺の身体へと振り下ろした。
が、その手が俺の身体へと届くことはなかった。
黒い影が立っていた。
腕を西洋の盾のように変形させ、男の手を押し返す。
鬼のような頭に剥き出しの歯。
黒い影は俺の命令を待っているかのようだった。
「なんだ…それ。なんだその影は!?もしかして、ボスと同じ
「行け、ナラク」
影──ナラクは男へ襲いかかった。
男はとっさにメリケンサックをナラクの拳に合わせ打ち付けるが、メリケンサックは音を立てて割れ、男の拳も砕けた。
「がぁああああああああああああああ」
拳を抑えて男は叫んだ。
ナラクが男を軽く蹴り飛ばすと、男は100メートル先のコンクリートへ叩きつけられ、動かなくなった。
俺は、悲鳴を上げる全身に鞭を打って立ち上がる。
そして、男の側へ行き、脈を確認する。
気絶とこれほどの怪我なら当分は寝ているだろう。
そしてナラクへと向き直った。
すると、ナラクはその身体を霧のように霧散させた。
深呼吸をし、息を整える。
そして今度こそ入り口へと向かった。
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