Horizonblue Paranoia ――まつらわざる者の英雄譚――
猫熊太郎
宿命の灯 [Rule of Role]
序 [prologue]
その男は、前触れもなく進み出てきた。
帝都にある〈
異様な空気を漂わせていた。
数名の団員が
しかし、遅い。
男は既にその団員達の
男は、擦り切れた
その下に武器でも隠しているのではと懸念を覚え、団員達は
しかし男は、そのマントを自らの両腕で押し広げるようにして隠れていたその肉体を衆目に
武器の類は所持していなかった。
けれど、多くの者がその男の肉体に圧倒された。
全身が余す事なく鍛えこまれた、荒々しい獣のような肉体――
西方の地域に点在する、呪術を信仰する集団特有の赤い蛇のような
そして、これもまたその呪術者集団の特徴である
飾り紐で一つに繋がれた大量のそれらは、まるで巨大な
と、何でない事のように、男がその繋いである紐を両手で引き千切った。
悪趣味な白色をしたその”果実”も左右に飛び散り、中が空洞である事を示す間の抜けた軽い音を立て、聖堂内の床に散乱した。
だが、騎士団の役職持ちであるその部隊長だけは、余裕のある笑みで男のその奇怪な行動の理由を
部隊長がそう寛大な対応を取っているのには理由がある。
帝国内で
しかして、力押しだけでは政治は成り立たぬ。
故にこのように難民や貧困に
だから彼は、難民達の手前、その異様な男にも決して角を立てぬよう、親し気な振る舞いで歩み寄ったのだ。
――それが過ちであった。
紐を千切った反動のまま、両腕を胸の左右で開いていた。男のその筋肉質な右腕が、近づく部隊長の顔面に向かって瞬きの
気づいた時、部隊長は片手で顔を
それに前後して堂内の柱にべちゃりと何かがぶつかり、
その転がったモノとは、血に
友好的に近づく部隊長のその右眼を、男は何の
未だそうして血で濡らした二本の指を揃え、それを相手に向けたまま、男はフードから見えるその口元を凄絶に
――
突如の凶行に周りの団員達が剣幕を
だが、そんな彼らよりもいち早く行動を取っていたのは、誰あろう右眼を抉られた部隊長本人であった。
〈
それでも彼らはこの変容してしまった世界で適性を示し、ここまで生き残ってきた。
強大な魔物の数々を討ち果たし、その力を誰の目にも明らかに示してきた。
その中でもこの部隊長の実力は折り紙つきだ。伝説的な英雄と言っても差し支えない。
そんな彼だったからこそ、床に膝を突けるような事態にはならなかった。
抉られた目元を
その鞘から抜く動作のまま、眼前の男の胴を
部隊長の振るう刃は
その赤熱の刃によって彼は強靭な敵を数え切れぬ程に
刀身に宿ったそのエネルギーは、振るった際に光波となって飛来する。その距離を問わぬ必殺の剣撃こそが、彼の雷名を
だが、それこそが男の目論見であった。
その
鋭い刃を目の前にすれば、人は
だがこの男は向かってくるその炎熱の刃を正面から迎え入れるかのように、身を
その超然とした心構えと身のこなしによって、薙ぐ
荒岩に叩きつけてしまったかのような感触と、そして微動だにしない相手の重心。
部隊長は片手で未だ右眼を覆っていた。よって、さらに身を滑り込ませてきた相手をどうする事も出来なかった。
次の瞬間、男はさらに鋭く踏み込み、同時にその勢いを殺さず部隊長のガラ空きの腹目掛けて膝を打ち上げる。
部隊長の身体がくの字に折れ、その頭部が下がる。
男は下がったその頭を素早く脇に抱え込んでいる。
周りの部下達からは、その瞬間がありありと見て取れた。
男が自身の右脇に抱えた顔面――その
そうして一息に、まるで何の感慨も無いかのように、掴んだ顎を回すように
ぐきりとした、奇妙な音がその場に響いた。
部下達が気づいた時、彼らの部隊長の身体がうつ伏せに床へと落ちていく。
その胴体は床に胸をつけた状態で転がっていた。――だと言うのに、その〝顔面〟だけは堂内の高い天井を真っ直ぐ
部下達は声も出なかった。
その場の難民達も、未だどういう事かを掴めず呆然としていた。
やがて空白の時間は取り除かれ、その事実を周りの全員が理解する。
殺されたのだ。
それも、呆気なく。
何の苦労もないような素振りで男は
一呼吸の後、団員達の怒号とも悲鳴とも取れない絶叫が連なって反響した。
構えたままの武器を振りかざし、男の元に殺到しようとする。
だがそこで、冷静だった数名が意識する。
それはこの男が一番初めにばら
散らばったままのそれをよくよく見れば、その様相がとても人工物だとは思えない。
その色合い、その汚れ具合――そして気がつく。こびり付くそれらは、乾いた血であり、干乾びた肉片である事を。
それは作り物ではなかった。
本物の人骨、人間の頭部から肉と皮を
まさにその瞬間――
床に撒かれたそれら全てから強烈な炎が噴き出した。
火炎の奔流が、まるで意思を持つかのように宙を暴れ狂う。本当に生物であるかのようにその身をくねらせ、凄まじい勢いで堂内を所狭しと駆け巡った。
そして、巻き起こるは爆轟であった。
炎の化身のような蛇達が各々に狙いを定め、相手に飛び掛かった瞬間にその身は弾ける。火炎の破片が聖堂内部とそこに居た人間を一緒くたに焼き焦がした。
炎に
紅蓮の光に照らされた堂内で、辛うじて生き残った団員がその光景から眼を
頸椎を
肉を裂き、肋骨を断ち、そうしてそのさらに奥へと刃を食い込ませ、厳重に守られたそこから目当てのものを抉り出す。
そう、未だに脈を打ちそうな程に生々しいその心臓を取り出した。
あろう事か次の瞬間、男はその
仰向けに倒れているにも
口内で
男は、獣であった。
人の皮を被った獣の類であったのだ。
その事に今更ながら気づき、生き残った団員は
初めから、この男を隊長に近づけてはいけなかった。
例え武器の一つも持ち得ていなかろうが、この獣はその肉体一つで人を殺せてしまえたのだ。
むしろ、それこそが奇襲としての手段か。難民に紛れていたのも、この場に隊長が慰問に訪れる事も全て、人に化けたこの獣の算段の内だったのか。
炎と煙に巻かれつつある聖堂内に、外から他の団員の一人が踏み込んできた。
脇目も振らずに飛び込んできたのは、つい最近に騎士団に加入したばかりの青年だ。
その端正な容姿と明朗な性癖で、まだ日は浅いが多くの人間が彼を知る所となっている。
そして、まだ成人すらしていないこの彼もまた、その
彼はこの状況を確認し、悲愴にその表情を変える。
普段、あれだけ人懐っこい穏かな笑みを浮かべるその美しい
しかしそれは、炎に呑まれている難民や仲間達の無惨な姿でなく、高熱によって
そう、彼の意識はその一点にのみ集約されていた。
男が振り返る。
そしてこの場で初めて、その口から低く硬い声が放たれた。
「久しぶりだな――」
同時に、男は
表れたのは武骨で強烈な印象を持つ顔。口元を得も言えぬ程に赤黒く汚した、それでもやはり、それは人間の顔であった。
見ようによってはこの男もまだ相当に年若いかもしれない。
「なんで、こんな事を……!?」
端正な顔を悲痛に歪ませている彼が、言葉を喉から絞り出すようにして問うた。
男は強い光を放つその
「お前には判らないさ」
そう短く漏らし、また
その眼光を受け、相手はかっと眼を見開いた。それは何事かの覚悟を決めた者の顔つきであったろう。
事実として、彼は腰から細身の直剣を抜き放ち、一直線に男へ向かって踊り掛かっていた。
橙色に染められたこの空間に、突如として青白い雷光が
彼のその一連の動きがまるで一筋の稲妻のようだと――そう錯覚させるほどの速度であったが故だ。
一直線に正面から向かうと見せかけ、その直前で軌道を変えて弧を描く。
彼の身は、男のその背後を易々と獲っていた。
そして鋭い角度の剣閃が
だが男は相手を見もせずにただ上体を右に傾ける。
たったそれだけの動きで、彼の剣筋の軌道から身を避けさせた。まるで男はその動き、その戦法を熟知しているかの如く。
そして振り返ると同時に、その凶悪なまでに隆起した太い腕を轟然と突き出す。
カウンターに近い状態で男のその掌底が相手の顎を捉える。
中空で仰け反るその身をさらに片腕で掴み取り、床へと真っ逆さまに投げ落としている。
背中で床板を割った彼の身が地にのめり込みつつ、大の字で投げ出された。
「この期に及んで、まだ急所を避けて狙うか」
先程の彼のその位置からならば、確かに左の脇腹から男の心の臓を突き刺す事も可能であったろう。
しかし男も、無防備に横たわり、意識を
ただフードを目深に被り直し、建物全体に火の手が及びつつあるこの場を後にしようとする。
「……待て……よ……」
だが、
必死に横這いになり、膝を立てていた。
「何で……こんな事を……続けるんだ……? ――何でだよ?!」
顔だけをそちらに向け、
「言っただろう、お前に判りはしない。そして、解らなくていい事だ」
「何だよ、それ……何なんだよそれ?!」
しかし、男はそれ以上の言葉を返さない。
天井や
「一体、どうしちまったんだよ……!? なあ、シオ――!!」
残されたその場に、悲痛さと遣り切れなさを
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