第17話 進路は迷路

「じゃ、食べながらでいいから、聞いてね」


 本当は飲食厳禁なんだけどね、ここ、なんて笑う柚葉に促されるまま、三澄は総菜パンの包装を開ける。


「これ、去年のなんだけど」


 モグモグやっていると、柚葉が一枚のA4プリントを机に置いた。上部には、大きく進路希望調査書と書かれている。胃がきゅっと締まる感覚がした。


「佐竹君は、進学と就職、どっちを考えてる?」


 総菜パンを袋に包み直して机に置く。


「ウチでは、まずほぼ全員が進学するから、今回の調査は単なる確認って感じで形骸化しちゃってるんだけど……、佐竹君に進学する気持ちはあるのかな」


 こちらを案じるような視線。


「正直、迷ってます」


 深くは考えて来なかった、と言った方が正しいかもしれない。

 一年生の時の文理選択も、特に展望もないまま決めてしまった。


「どういう風に迷ってる? やりたいことが見つからないのか……、お金が心配なのか」

「お金の心配は勿論あります」


 金銭面での不安が、一番の障害になっていることは間違いない。なんせ収入源は三澄のバイトのみ。日本の平均年収と比べても、おそらくは半分以下だ。

 だが、それだけではないことも確かであった。


「佐竹君の家の状況は、私には分からないけど、大学に通うとしたら、かかる費用は大体これくらいになってくると思う」


 柚葉は、ファイルから数枚の資料を取り出すと、三澄に差し出して来た。一年間の授業料から入学金、教科書代など、国立、公立、私立に分けてそれぞれ表になっており。更にめくると、奨学金や大学無償化なんて単語もチラホラ。

 この話をするために、あらかじめ用意していたのだろうか。


――ほんっと、この人には頭が上がらないな……。


 多忙な教師生活において、ここまで一人の生徒に時間を割いてくれる。

 とてもありがたくて、申し訳なかった。


「その資料にある通り、今は国からの補償もあるし、奨学金だってある。あとは……、これはあんまり教師の私が言うのもあれなんだけど、教科書なんかも、同じ学科の先輩のを借りたり貰ったりできればかなり節約できる。だから、大学に通うだけなら、金銭的なハードルはそこまで高くないの」

「そう、なんですか……」


 奨学金の返済がどうこうって問題はあるんだけど、なんて柚葉が渋い顔をしている傍ら、三澄は資料に目を落とす。

 見る限り、確かに彼女の言う通り、通うだけなら可能そうに思える。


――そもそも、通うだけなら、きっと補償とか奨学金とかなくても……。


「それを踏まえて、どうかな」


 柚葉はおそらく、三澄に進学の道を選んで欲しいのだろう。だから、従ってしまうのもいいのかもしれない。


「……すみません。少し考えさせてください」


 結局、頭を下げる。


「ああ、ううん、今日答えを出せって話じゃないの。急に進路調査するって言って、一週間で書いてこいって言われたら、佐竹君が困ると思ったから。だから謝らないで?」


 彼女の気遣いが身に染みた。


「それにもし、今回の進路調査が終わるまでに答えが出なかったとしても、勉強さえ頑張っていればひとまず問題はないから……」

「……」


 柚葉の窺うような視線を受け、思わず目を逸らす。


「国の補償や奨学金を受けるには、審査みたいなものがあってね。佐竹君の今の成績だと、正直、かなり難しくなってくると思う。それだけ、頭に留めておいてね」




「今日はこのくらいにしておこうか。昼休みにわざわざごめんね、お腹空いたでしょ?」

「いえ、むしろありがたかったです。放課後はバイトがありますし」


 柚葉が気を遣って昼休みを選んでくれたのは分かっている。

 去年からずっと、彼女には世話になりっぱなしだ。

 真島といい、どうしてこうも差があるのだろう。

 生きた時間の差だろうか。確かに三澄は、柚葉とは約十歳、真島とは三十歳近い年齢差がある。これは非常に大きい。

 だが、それは絶対なのだろうか。本当に、絶対に埋めようのない差なのだろうか。

 三澄は大人と子どもの差を痛感させられながら、進路指導室前で柚葉と別れた。


 教室に戻ってくると、大半の人間が弁当を片付け終え、食後の談笑に勤しんでいた。

 自席に座ろうとすると、前の席の生徒、向田敦むかいだあつしが振り向いた。冬服のネクタイをきっちり締めるような、それなりに真面目な男である。


「あっれ、佐竹。今までどこ行ってたん?」

「呼び出し食らってた」

「呼び出しぃ? 食いモン持って?」


 敦は怪訝な顔で、三澄の右手の袋を見やる。


「ああ……、食う?」

「マジ? くれんの? て、これ食いかけじゃん」


 渡した袋を覗き込むと、総菜パンを取り出して、眉間に皺を寄せた。


「気になる? じゃ、おにぎりだけ。封も開けてないから」

「あ、ほんとだ。サンキュー」


 特に不思議に思った風もなく、敦がおにぎりを手に取り、包装を外す。三澄も、食べかけのパンを片付けてしまうことした。

 その後、敦と他愛もない話をしばらく続けて、午後の授業が始まる。

 科目は日本史。昼食後に繰り広げられる、意味難解な呪文染みた羅列は、生徒たちは夢の世界へと誘う。実際、開始十分にして、一人二人うとうとし始めていた。

 三澄とてそれは例外ではない。が、今回ばかりは、別の意味で授業に集中できていなかった。

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