第122話 火元がなくても煙は立つのが政

 南で火のない煙が立った――そんな暗号めいた一文を持ち帰ったのは、奴隷商人のユルゲンだった。ベリル国は奴隷を必要としないが、別の商品で付き合いがある。へーファーマイアー家の密偵を兼ねるユルゲンを、ベリル国は商人として優遇してきた。


 納品した美しい壺を確かめに足を運んだ王弟が、ぽつりと告げた南の国々のきな臭い噂話をアウグストに届ける。先日消えた奴隷のせいで出た損失は、壺の売り上げで十分潤った。ベリル王家からのお返しとして、へーファーマイアー王家への婚約祝いに宝玉を預かった。大粒で曇りのない見事な紅石を手渡しながら、世間話のていで伝える。


「なるほど、お前はどう見る?」


 受け取ったルビーに唸った後、妻に渡したアウグストはユルゲンに茶菓子を勧める。素直に1枚摘んだユルゲンは、ゆっくり咀嚼してから口を開いた。


「南の半数は動くでしょう。どれも小国ばかりと推測できます」


「ベリルが動かなければ、そうなるか」


 一番の大国が動かない。海を背負ったベリルは広大な領地の大半を、地の利で守っている。そのため軍はあまり表に出て戦うことがなかった。周辺諸国は勘違いしているだろう。


「この機に乗じて、ベリルを倒そうと画策する国が出るか」


「私はそう考えます。ただ……返り討ちは確実ですから、南のベリル、北のクリスタに二極化します」


「ユルゲンはそう考えるのね?」


 大粒の裸石を日に透かしていたカサンドラは、くすくす笑いながら指摘した。


「二極化しないわ。だって私たち、仲良しだもの」


 政治に口を挟む女性の妄想……そう切り捨てられない意味ありげな口ぶりに、ユルゲンは頭を下げた。アウグストの姉は、前ベリル国王の側室である。つまり血縁関係があり、また現国王と腹違いの王弟はアウグストの甥に当たる。互いに手の内をよく知る、幼馴染みで従兄弟のベルンハルトと仲違いをする愚か者ではなかった。


「ふむ、奥方様が仰るなら間違いございません」


 追従するユルゲンへ、黙っていたベルンハルトが口を開く。


「南に渡る際、俺と婚約者の絵姿を王族に広げてきてくれ」


 聞かれなければ言わない戦略ではなく、自ら撃って出る。ベルンハルトの決断に、父母は何も言わずに頷いた。潔い彼らが揺するふるいに、どれだけの王家が残るのか。お目がねに敵わぬ国は、いずれ風化して消えるだろう。そんな運命を垣間見たユルゲンは「承知しました」と了承した。さて、腕の良い画家を手配しなくては。


「お兄様、難しいお話は終わった?」


 飛び込んできたアゼリアは、ユルゲンに屈託なく笑いかける。裏で彼が手を汚す仕事をしていると知りながら、馴染みの商人として扱った。腕を組んでいる美形の男性が魔王陛下か。立ち上がって礼を尽くそうとするが、その前に首を横に振られた。


「そなたがユルゲンか。優秀な商人だと聞く」


 有能ではなく、優秀と褒めた裏に情報収集の腕が含まれている。気づいたユルゲンが礼を言って頭を下げた。


「皆様、失礼いたします。陛下こちらを」


 アゼリアが開け放した扉の外、廊下に現れたメフィストが一礼し、小さな紙を手渡した。報告書のように詳細に書かれた文章を読み終えると、近い位置のベルンハルトに回す。


「アゲートが挙兵する。先陣は我が魔王軍が引き受けよう」

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