第100話 一緒なのに嫌なの?

「……家に帰りたいわ」


 2日ほど、大人しくイヴリースに抱っこされて生活したアゼリアは、彼の気持ちが落ち着いたのを見計らって要望を突きつけた。


 公爵家の屋敷の自室で寝ていたのに、いつの間にか連れ出された。きっと父母も兄も心配している。そう告げて、イヴリースに実家に帰りたいと申し出た。すぐに叶えてくれる、大したお願いじゃないもの。そんなアゼリアの気持ちは、予想外の駄々っ子により拒絶された。


「嫌だ」


 何を言われたのか、理解できなくてきょとんとした。子供さながらの受け答えは短く、それゆえに感情が強く滲む。絶対に離さないと全身で訴えるのは、幼子ではなく魔王だった。仮にも最強種族である魔族の王が……これでいいの?


 尋ねる視線を送ると、必要以上に離れた位置に移動した執務机のメフィストが、生温い眼差しで頷く。これで正しいみたい。膝の上に横抱きにされたアゼリアは、目の前の整った顔に頬擦りした。


 嬉しそうに頬を緩めたところで、もう一度お願いしてみる。


「少しの間、家に帰りた……「嫌だ」」


 言葉を重ねて否定された。私がイヴリースのところにいることを知っていたとしても、一度は挨拶しておきたい。無事を伝えたいし、婚礼日時の連絡も……。


 何がそんなに嫌なのかしら。自分の置かれた状況をよく考える。死にかけたせいで心配かけたから、見える場所にいて欲しいのだろう。それは理解したから、こうして彼の腕の中で生活していた。


 密着していないと引き寄せ、見えなくなれば不安そうに探すイヴリースに「離れて」とは言えなかった。1人になれるのはトイレのみ。風呂も薄絹を纏って並んで入る。身体や髪を洗う侍女がいるから、2人きりではないけれど。恥ずかしさに目を瞑れば、常に恋人が一緒にいるのは幸せだった。


 抱き抱えられて眠り、起きて身支度する間も見える位置から離れない。食事や移動は膝の上、執務すら横抱きで、そういえば靴を履いていないわね。足元は絹の靴下で覆われ素足ではないが、靴はなかった。それでも不自由しないほど、イヴリースが抱いて移動するのだ。


 実家なんて離れた距離、許可が出るわけないわね。そこまで考えて、違和感を覚えた。どうして反対するのかしら。実家へ行く時、護衛をつければいいし……そもそもイヴリースも一緒に行くじゃない。


「イヴリースも一緒なのに嫌なの?」


 重ねて尋ねたアゼリアに、今度はイヴリースが目を見開いて驚いた顔をする。目の前の書類を見つめ、部屋の隅に追いやられたメフィストに視線を移した。眼鏡姿で書類に署名したメフィストが顔を上げる。暗赤と黒曜石の視線が絡み、先にイヴリースが瞬きした。


「余が一緒なら……問題ない、な」


 そうだ、なぜアゼリアだけで行かせると想像したのか。離れられるわけがない。ベルンハルトやアウグスト、カサンドラが信用できるとしても……愛するアゼリアと離れる想定など不要だった。自分も同行すればいいのだから。


 目を輝かせ、魔王は宣言した。


「よし、クリスタ国へ向かうぞ」

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