第91話 能力に溺れた者の末路

 地下牢の薄暗い廊下に立つエリゴスの表情は、強張っていた。他者の感情を読み取り誘導する能力は、彼にとって忌むべき才能だっただろう。親友の苦悩も、強大すぎる存在が抱える闇も、何もかも感じてしまうのだから。


 他者に共感するが故に優しくなる。私にすれば、甘いと切り捨てる感情に踊らされる。だからこそ使える人材だった。コツン、コツン、わざと足音を響かせて近づく。メフィストの気配をもっと手前から感じていたエリゴスが、諦めの表情を向けた。


 また始まる拷問を想像しているのか? 愚かな……だが、私の気持ちや感情を読むことは出来まい。魔王イヴリースの表面しか読めないのと同じだ。自身より魔力量の低い者しか読み取れないのが、エリゴスの能力の欠点だった。魔力が遮蔽の効果を齎らすようで、表情と同じ浅い感情しか感じ取れない。それでも、彼はゴエティアに選ばれた程の実力者だった。


「そこの供物を渡していただきましょう」


 人ではなく、獲物でもない。何かに供する物と表現したことで、アベルの行く末を匂わせた。びくりと肩を揺らすエリゴスに、くすりと笑う。アベルの幼馴染みであると同時に、最初に彼を裏切ったのはエリゴスだ。


 醜い独占欲の果ての行動だった。魔王候補に名を連ねながらイヴリースに興味を寄せるメフィストに、エリゴスは取引を持ちかけた。イヴリースの危機を知らせる代わりに、その兄をなんとか生かして欲しいと――魔王の親族はすべて殺される運命を変えてくれるなら、イヴリースに忠誠を誓い仕える。それがエリゴスの望みだった。


 圧倒的な魔力量と冷酷な性格をもつ、イヴリースが魔王になるのは確定だ。年齢など関係ない。あの時点でもっとも魔王に近い位置にいる少年の情報を、強者であるメフィストに明け渡した。


 メフィストが側近として魔王に次ぐ地位にいるのは、即位前の暴走を止めた功績もある。その礎となった部分を支えたのが、エリゴスだった。メフィストは約束通り、アベルを殺さない理由を並べて幽閉に留めた。エリゴスを含め、誰も会えない状態にして……。


「約束が、違う」


 掠れた声を上げるエリゴスに、メフィストは眼鏡の縁に触れながら、きょとんとした顔で首をかしげた。


「約束なら守ったでしょう? 陛下の即位後もアベルは生存した。この時点で私が交わした契約は終わっています」


 言われて、エリゴスは嵌められた事実に気づく。メフィストが約束したアベルの生存期間は定められていない。だがエリゴスは死ぬまで魔王に仕える契約になっている。対価が釣り合わなかった。他者の感情を読むことに慣れたエリゴスは、己の感じた直感を信じた。だがそれすら偽られていたら? 強者の魔力に阻まれ、上手に操られたのだと知る。


 エリゴスから見た契約は継続しても、メフィストはすでに契約を終えた。一方通行だったと気づいたエリゴスが膝から崩れ落ちる。


「上手に踊ってくれたことに感謝の意を表しますが……今後のためにひとつ教えておきましょう。あの契約であなたが失敗したのは、求める対価の選び方です。アベルの命ではなく、アベルの所有権を主張すべきだった」


 石床に伏して嘆く親友だった男の姿に、アベルはぼんやりと視線を向けた。そうか、幽閉の塔に誰も来なかったのは……メフィストの仕業か。すとんと腑に落ちた。あれほど執着を向けたエリゴスが離れたことも、自分の呪術が邪魔されたことも、すべて操られたのだ――この灰色の悪魔に。


「最低の屑野郎が……っ」


 修復された喉で吐き捨てた言葉に、メフィストは微笑んで「褒め言葉ですね」と嫌味を返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る