第32話 英雄でなくても戦士は集う

 寝返る相談をしながら街道を歩く傭兵達は、ふと嫌な予感に歩調を緩める。ひそひそと周囲も相談を始め、離脱の色が濃くなってきた。


 ヘーファーマイアー公爵領に入るには、かつての小国が作った外壁を越えるか。または街道に繋がる門を潜る必要があった。築かれた古い砦の下に埋め込まれた門は、吊るしタイプだ。上で支える綱を切り落とせば、一瞬で封鎖が可能だった。


 格子状の吊るし戸を落とした後、さらに内側の鉄扉を閉めることで立て籠もることが可能な要塞――その認識は、命懸けで戦場を渡る傭兵の共通認識だ。馬にようやく慣れた貴族は、まだしがみついた情けない姿ながら、速度を速めた。


「公爵領を落とせば、好きに略奪させてやるぞ」


 やる気を引き出そうとするその発言が、寄せ集め軍の崩壊の切っ掛けだった。ざわっと集団が揺れたことで、気分をよくした貴族は声を張り上げて聞くに耐えない言葉を吐き出す。


 美しい令嬢も犯し放題、豊かな領地からなんでも奪い放題だと――言うに事欠いて、公爵令嬢アゼリアの名を呼び捨て、公娼にして抱かせてやると口にした。


 この時点で傭兵の半数が顔を顰めた。残っていたわずかな騎士がそっと隊列から抜ける。追う形で、徐々に傭兵の数が減り始めた。


 王都に閉じこもり、王族のご機嫌取りしか能がない貴族達は知らない。へーファーマイアー公爵家は、孤児上がりで仕事のない傭兵達に定期的な仕事を与えてきた。公共事業としてはもちろん、己の領地周辺の魔獣退治から、強盗を働く犯罪者の駆除に至るまで。


 正規の報酬に加え、傷薬や食料品なども支給する。おかげで生活苦で犯罪者に身を落とさず済んだ傭兵も多く、家族のために医者を手配してもらった者もいた。彼らは正規兵として雇われず底辺に位置する住民だ。そんな彼らを人として扱い、ただ施すのではなく、仕事を与えてくれた。


 物乞いではないと己の力で生き抜く傭兵の心意気を理解した上で、足りない部分を補ってくれる。そんな恩人に剣を向ける気はなかった。そもそも、この行軍の目的がへーファーマイアー公爵領の略奪だと知っていたら、傭兵は2割も集まらなかっただろう。


 銀貨をもらった以上、報酬の範囲は仕事をする。そう決めた彼らの限界は近かった。もうすぐ半日近く、銀貨の効果は切れる。得意げに先頭で馬にしがみつく貴族の馬鹿息子が気づかぬうちに、後ろの軍は6割目減りした。


 さらに離脱しようと殿しんがりを務める一部の傭兵に、貴族は前方の荷馬車を示した。


「景気づけだ! あの馬車を襲え!!」


 命じられた者は顔を見合わせ、前報酬の銀貨をちゃりんと放り出した。それはこの仕事の放棄を意味する。別に持ち帰っても構わない正当な報酬だと思うが、こんな奴に従ったことがすでに不名誉この上ない。


 公爵閣下に顔向けできない金は持たない。


「最低だな。あの豚」


「豚に失礼だろ。食えるだけ豚の方が偉い」


「そりゃ言えてる」


 口々に好き勝手言いながら、傭兵連中は足を止めた。馬鹿貴族は馬の扱いを知らない。立ち止まって戻ることもできず、前進あるのみだった。


「貴様ら! 後で覚えてろ!」


「うるせえ、どうせ顔も覚えてねえだろうが」


 怒鳴り返し、げらげらと笑い出す。手を振って見送ったものの、ふと気になって荷馬車の様子を窺った。遠くてわかりづらいが、速度がやたら遅い。


「おい、もしかして追いついたら」


 馬自体の性能は格段に上だ。馬は群れる生き物だから、前方に仲間がいれば追いつこうとする。その速度を制御できない馬鹿を乗せたまま……。


 泡を食った数人が走りそうとした瞬間、数歩先で地面が割れた。飲み込まれる王家の軍は、一瞬で壊滅する。略奪の旨みに盲目だった愚者を飲み込んだ大地は、やがて馬だけ吐き出した。


 悪夢のようで、あまりにすっきりした決着に、傭兵達は大きな歓声を上げた。拍手して、逃げ込む荷馬車を見送る。


「すげぇ秘策だったな」


「ああ、銀貨1枚分以上の価値はあった」


 仲間への土産話が出来たと笑う傭兵達は、半日かけてゆっくり進んだ道を引き返す。これから始まる戦いの予感に身を震わせながら、家族を連れて再び公爵領へ向かうために。

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