第6話 ふわふわのモフモフです

 へーファーマイアー公爵領は、王都から半日ほどの距離だ。それは乗馬に慣れた騎士が身軽な状態で飛ばした場合の話である。そのため2人乗りの父母と並んで馬を走らせると、全力で走るより遅かった。


 騎士の練習に入り込んで剣を握り、兄の乗馬レッスンに紛れて馬の扱いを覚えたお転婆娘アゼリアは、久しぶりの乗馬ズボンに機嫌がいい。あのカエルとの婚約もなくなった。王都でくだらないお茶会に付き合わなくてもいいし、こうして自由に外を出歩ける状態は最高だ。


「アゼリア、本当に良かったのか?」


 父アウグストの尋ねた真意を知らなければ、王太子との婚約に関する質問のようだが、実際は真逆だった。あの王太子に文句を言わなくて、一発殴らなくて、本当に良かったのかと聞いているのだ。


「そうよ、私だったら殴ってたわ」


 隣国ルベウスの王女だった母カサンドラは、人目がないのを確認して狐の尻尾と耳を解放した。ルベウス国は獣人の血を引く誇り高い種族だ。普段は体内の魔力を操って隠していた。しまうと手足を同じ形で縛られた状態に似て、痺れるし疲れる。


 兄は尻尾も耳もないが、アゼリアは両方とも受け継いでいる。女系に遺伝しやすい性質があるのかも知れない。母が解放したのを見て、アゼリアも耳と尻尾を出した。途端に気分も解放されて笑顔が溢れる。


「殴っても手が疲れるだけよ。それに色んな神様や魔王にまで祈ったんですもの。願いを叶えてくれた人に顔向けできない暴力は、つつしむべきよね」


「あなたがいいなら、もう何も言わないわ」


 母の穏やかな声に、伸びをして手綱を握り直す。この先の街道は整備されており、魔獣除けの呪いも施されていた。魔法ほどの強さはないが、近寄りたくないと思わせる錯覚を利用したと聞いた。自分が興味のない話をあまり深掘りしなかったので、王太子妃教育の一環でさらりと聞いた程度の浅い知識だ。


 このユークレース国は滅びへ向かっている。古臭い慣習や体面ばかり気にして、大切な物を見失った。貴族の大半は、我がへーファーマイアー家が行った改革を支持している。


 民を充分食べさせ、子供達に教育を与える政策は、やっと軌道に乗ったばかり。これから数十年かけて根付かせる予定だった。気の長い話だが、数年で壊せる国の体制も、作り上げるのは十倍以上の年月が必要だった。


 父の半生が無駄になってしまった。それがアゼリアの心残りだ。


「お父様、私……せっかくの改革をダメにしてしまったわ」


「おや? お前はもうダメにしてしまうつもりか」


 宰相として外交を担当して他国と渡り合う父の言葉に、アゼリアははっとした。そうだ、まだ結果は出ていない。


「これから壊されるとしても、その前に他の貴族家と結託して建国する手もある。民と共に決起して、王家を倒してもいい。国が滅びるまでの時間を数えて過ごすなど、我が娘として恥ずかしいぞ」


「そうね、ありがとうございます。お父様」


 ここで謝罪は合わない。父アウグストが言う通り、まだ打つ手はいくらでも選べるのだから。国が衰退するまで数年しかないのではない。数年もあるのだ。その間に民を救う道を選べれば、まだ十分に間に合うはずだった。


 爽やかな風が吹き、空を見上げる。耳や尻尾を解放すると縦に瞳孔が現れる獣の瞳へ、美しい青を焼き付けた。










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