第482話、知恵の実ならぬ欠片


 形容し難い不安。リアハは、目の前の子竜に戦慄した。


 生まれて数ヶ月前にも満たない子竜に、全てを見透かされている。いくらドラゴンと言えど、限度というものがある。


『うん……』


 ヴィテスは、リアハの言動を受けて瞳を閉じた。


『まずはそこから話したほうがよさそう。でないと、助言も頭に入らないみたい』

「……」

『理解するのは難しいし、納得はできないかもしれない。ただ事実は簡単。私が、変なものを食べたせいで、一気に知識と経験を得た』


 何を言っているのか、リアハにはわからなかった。


「変なものを食べたせい……?」


 それで知識と経験を得たとはどういう意味だろう。


『そう、変なもの。ドラゴンはもちろん、人間だって口にしないもの』

「それはいったい……?」

『シェイプシフター』


 ヴィテスは淡々とその名を口にした。


「シェイプシフター……?」

『知らない? 影の魔物。姿を自由に変えることができる生き物で、スライムの仲間とも影のモンスターとも化け物とも言われる』


 そういえば、とリアハは思い当たる。確か、東方の忍びの術を受け継ぐカエデが使役している従魔ではなかったか。


 武器になったり、偵察用の使い魔になったりと、色々便利に使っていた。


「それを食べた……?」


 ドラゴンは肉食の傾向にあるが、あの黒くて、お世辞にも食べ物には見えないものを口にして大丈夫だったのだろうか?


 いや、ドラゴンは鉄の胃袋を持つから食中りなどはしないと聞いたような――いやいや、そうじゃなくて!


「食べちゃったの? カエデのシェイプシフターを」

『違う、食べたのはジン・クレイマンのシェイプシフター』


 ヴィテスは目を開いた。


『あの方は、私が先天的に持っていた障害を取り除いてくれた。その際に、シェイプシフターの欠片を与えてくれた』

「障害?」

『言語理解が少々。脳の障害だとジン・クレイマンは言っていた』


 ヴィテスは、もう片方のフォルスと違って人に懐かない。無口な子で通っていたから、誰もその障害に気づいていなかったのかもしれない、とリアハは思った。


『先日、カエデのシェイプシフターで影の使い方を教わっていた時に、ジン・クレイマンがやってきて、私の障害に気づいた。そこでこっそり、シェイプシフターの欠片を食べるように言われた』


 反応に困る話だった。シェイプシフターという姿を変える魔物の、欠片とはいえそれを食べろ、とあの老魔術師が、子供ドラゴンに差し出したという。


 何かしらの治癒魔法ならまだしも、いくら何でも魔物の摂取はない。


「それで……食べたと」

『薬、とかいう小粒な石みたいな形。丸呑みにした』

「あ、ああそう……」


 リアハは口元を引きつらせる。


「それで……シェイプシフターを食べて、治ったの?」

『障害は取り除かれた。だが周囲は私が障害を持っていたと知らなかったから、特に変わることなく、これまで通り振る舞った』


 ――言われるまで気づかなかったものね……。


『ただ、副作用があって、脳を修復する一方で、そのシェイプシフターが保有する知識や経験の一部が私のものと結びついてしまった。その結果――』


 ヴィテスの姿が、ドラゴンから人の姿に変わる。以前、見かけた子供姿ではなく、リアハと同じくらいの年頃の少女に。


 二十歳より少し前くらいの金髪緑眼の美少女である。


「ゼロ歳児にして、大人並の知識を得てしまったの」


 ちなみに、今の姿はシェイプシフターの中にあった記憶の人間で、ヴィテスは会ったこともない女性の姿なのだという。


「納得できた?」

「うーん、納得と言うか……」


 リアハは微妙な表情を浮かべる。


「あなたは本当のことを言っているとは思うけど、鵜呑みにしていいものかどうか……。いいえ、あなたの言った通り、理解が追いつかないと思う」


 化け物を食べたら、頭がよくなりました、なんて。


 食べただけで知識を得られるなど、まるで神話などにある、神の世界の果実のようだ。


 ――神の世界……?


 まさか、あの老魔術師――ジン・クレイマンは伝説の王ではなく、神の世界の住人なのではないか?


 銀の翼商会にいる人間たちに知識を与え、その教えを受けた者たちは、飛躍的にその能力を伸ばした。


 その筆頭は、リアハの親友であるソフィア。エンネア王国の若手でおそらく王国一の魔術師となった彼女を始め、その強さに憧れてやってきた魔術師や戦士たちでさえ、その力がグンと向上した。


 リアハは、自分より後からきた者たちのことゆえ、その成長を見ていた。改めて冷静に考えれば、恐ろしいほどの能力向上だった。


 例をあげれば、このダンジョンにある大木を、普通なら手間も時間も掛かるそれを一撃で切断させたことか。よくよく考えれば、そんなことができる者がゴロゴロしている銀の翼商会が、どれほど非常識な集団かわかる。


「……クラウドドラゴンが言っていたのだけれど」


 ヴィテスはリアハの横に立った。


「あの人は、神竜なのだそうよ」


 神の竜。


「我らドラゴンに知恵と力を与えたドラゴン神。……まあ、本当のところは違うのだけれど――」


 ヴィテスは含み笑いをした。


「とある世界で彼は、始祖と呼ばれることになる竜を置いていったことがあるから、世界によっては神と同じことをしたと言ってもいいかもしれない」


 絶句するリアハの顔に、ヴィテスはチョイと指先を当てた。


「さあ、私のことは話した。信じる信じないはあなたの勝手。で、話を戻すけれど――」


 話って何だったっけ?――リアハは咄嗟に思い出せなかった。


「あなたも王族なら、主人が複数の妻を持つ事例があるのは知っているでしょう? だからレーラのことは気にせず、ソウヤが好きなら攻めればいいわ」


 あ、そのことか――ヴィテスの話が想像以上だったため、自分のことを忘れていたリアハである。


「うん……まあ、考えておく」


 そう口にするのがやっとだった。

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