第十三話

【10月30日 金曜日】


 文化祭当日。


 僕は学校には行かず、お馴染みのミセドで朝から呆けていた。


 昨日、一昨日と学校を休んだ。


 本当は今日も休みたかったけれど、流石に三日連続で、それも文化祭の日に休んでしまったら家族に心配されそうなので、渋々制服を着て家を出てきた。


 けど、通学路を歩いているうちに学校に行きたくなくなり、こうして人生で初めての“学校サボってファーストフード”をしてしまった。




 朝日の差し込む明るい店内。


 陽気なBGM。


 甘く、温かいココア。


 それを口の中に流し込んだ後、僕は深い溜息をつきながらテーブルに突っ伏した。




 どうして学校に行きたくないのか。

 

 それは、三日前に起こったとある出来事が原因だった。


 その日、僕は自分で築き上げてきたものの全てを失った。


 偽りの青春も、憧れた関係性も、自分が信じた価値観も全部。


 だから、僕は学校に行きたくなかった。


 学校に行ったところで、楽しいと思える事もなければ、話をする相手すらいない。


 それどころか、嫌がらせや理不尽な暴力を受ける可能性だってある。


 それを知っていたから、僕はミセドでココアを啜っていたのだ。




 顔を上げ、椅子の背もたれに寄りかかりながら外の景色を眺めた。


 風が吹き荒れ、落ち葉が空中をヒラヒラと舞っている。


 行く当てもなく空を彷徨うその様は、まるで今の僕みたいで。


 何だか可笑しくなって、鼻で自分を嘲笑してみた。




 太一に言われた言葉の意味を、僕はこの二日間ずっと考えていた。




“遊佐奏太にとっての普通とは何か”




 その問いかけの答えを、僕はずっと探していた。


 けれど、そう簡単に正解が見つかるわけもなく、僕は何も分からないまま、意味のない虚しい時間を過ごしていた。

 

 行動しなければ、自分から動かなければ、解決は生まれない。

 

 太一が、そう言っていた。


 分かっていた。


 分かっていたけど、僕は何もできずに、何かをしようとする気にもなれずにいた。


 生まれてこの方14年間、ずっと他の誰かに決められた、他人の常識に縛り付けられた“普通”を基準に生きてきた。


 だから、今更自分にとっての“普通”を見つけろと言われても、突然自分の意志を持てと言われても、正直難しい部分があった。




“普通”ってなんだろう。




 そんな素朴な疑問が、僕の頭の中を占めていた。




 僕が今まで縛り付けられてきた世間一般の常識に倣うのなら、こういう時は、悩んだり、迷ってしまった時は、友達や信頼できる相手に相談するのが“普通”なのだろう。


 しかし、誰よりも“普通”を求めたはずの僕には、そんな相手は存在しなかった。


 あまりにも救いがなくて、少し可笑しくなってしまう。


 ハハハと薄ら笑いを浮かべながら、溜息をつく。


 ……いや、完全にいないというわけではない。


 それらしき、僕が一方的に信頼している人間なら二人いる。


 一人は大西太一だ。


 知り合って間もないけど、一度だけ、一緒にバスケをしただけの関係性だけど、それでも太一は僕を気にかけてくれて、心配してくれて、励ましてくれた。


 僕が助けを求めれば、太一は必ず助けてくれるだろうと、そう、妙な信頼感と親近感を太一に抱いていた。


 それくらいに、僕は大西太一の豪快でいて和やかな人格を好いていた。


 けど、太一にはもう助けを求められない。


 何故なら、僕は太一に言われしまったからだ。


「お前なら自分で乗り越えられる」と。


「自信を持て」と。


 僕を大切に思ってくれる人からの期待を、信頼を、僕は裏切りたくはなかった。


 それに、太一にまた弱みを見せるのも何となく嫌だった。


 太一に勝てる要素なんて一つも存在しないけど、太一は僕よりも何倍も大人で、自立した精神を持っているけど、それでも、僕は太一とは対等な関係でいたかったからだ。


 気取らず、気を遣わず、本音で、等身大の言葉で貶し合っていたい。


 これ以上僕が弱みを見せれば、太一にとって僕は“可哀想なヤツ”になってしまう。


 それだけはゴメンだった。


 だから、僕はもう太一に頼る事は出来なかった。




 そして、僕が信頼できると胸を張って言えるもう一人の人間。


 それは……


 秋月さん、もとい、秋月文乃さんだ。


 しかし、この人にも太一と同様、相談なんてできなかった。


 理由は明白。


 何故なら、僕は秋月さんとの関係のもつれに悩み、自分の今までの価値観すらも疑っている最中だからだ。


 以前のように、秋月さんと気軽に話せるようになるにはどうしたらいいのか。


 秋月さんを笑顔にさせるにはどうしたいいのか。


 秋月さんの事を、堂々と、胸を張って大切な存在だと宣言するにはどうしたらいいのか。


 それについて悩み、怒り、失い、絶望していたからだ。


 秋月さんはこの悩みと迷いの根本的存在だ。


 そんな人に、相談なんてできるはずがない。


 だから、僕には助けを求める相手なんて一人もいなかった。


 先の見えない暗闇を、一人で呆然と彷徨っていた。




 はぁ、と三度目の溜息をつく。


 そんな僕の姿を見て、隣に座っていた四歳くらいの男の子が首を傾げていた。


 手にはモンデリングとフラッシュクルーラー。


 二つのドーナッツを幸せそうに頬張りながら、口元にクリームをべったりとつけている。


 その子を見て、不意に秋月さんがドーナッツを食べている姿を連想した。


 ふふっと、思わず口元が緩む。




 けれど、数秒して、自分の今の立場を思い出した。


 僕の隣に、目の前に、秋月さんはもういない。


 もう二度と、一緒におしゃべりしたり、勉強をしたり、ドーナッツを食べたりする事はできない。


 このまま何もしなければ、秋月さんとの繋がりは断たれたまま戻らない。


 それを思い出して、また憂鬱な気分になった。




 分かっている。


 分かっているけど、どうすれば……


 そうやって、また同じ質問を頭の中で繰り返して、意味のない時間をループしようする。


 そんな自分が情けなくなって、袖で目元を拭った。


 それでも止まらない液体を拭き取ろうと、通学カバンからポケットティッシュを取り出そうとしたその時。


 赤い表紙のノートが、僕の手の甲に当たった。




「秋月さんのノート……」




 そう、うわ言のように言葉を漏らしてしまう。


 三日前、秋月さんが廊下に落としていったノートだ。


 一冊は秋月さんが回収していったけれど、もう一冊はその場に取り残されていた。


 それを、僕が回収しておいたのだ。


 たしか、秋月さんは僕のために国語のテスト対策ノートを作ったと言っていた。


 多分、そのノートだと思うけど、まだ中身は確認していない。


 断りもなく見るのは悪いからと、カバンの奥に見えないように仕舞いこんでいた。


 けど、精神が弱り切った今、その決意は揺らいでいる。


 秋月さんが僕のために作ってくれたノートを、苦労して考えてくれたであろう内容を確かめたかった。


 まるで秋月さんの分身のように見えて、秋月さんを失った心の隙間を、少しでもそれで埋め合わせたかった。


 つくづく最低だなと自分に悪態をつきながら、ノートをカバンから取り出し、ゆっくりと開く。


 一ページ目から数枚、順を追って目を通した。


 しかし、そこには授業や二人で勉強した国語の内容は綴られておらず、代わりに、大きい文字で書かれた日付と、今日は~から始まる小さい文字で書かれた文章が綴られていた。




 これって…………

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