第56話 剣聖 ヨハンネス③
(なるほど……)
ノアは納得する。
斬られた直後、人が感じるのは痛みよりも熱。
(――――確かに熱い。けど、同時に体が寒さに震える)
熱く、寒い。 そこに矛盾はない。
体内で温められた血液が排出され、体温が急激に下がる。
不思議な感覚。 体の危険信号。
怖い。斬られて思い出す刃物への原始的な恐怖。
そして――――
(やっぱり、痛いじゃないか)
斬られ、離れた肉を発する痛み。 ダメージと言うならば、殴る蹴るの比ではない。
「ふぅ」と空手の息吹のように息を吐く。
乱れた呼吸を整え、精神を平常時へ近づけさせる。
ノアは斬られた場所に手を当て、回復魔法を使用する。
回復魔法。ノアだって魔法が使えないわけではない。
けど、それの練度は低い。精々、斬れた皮膚を繋ぎ、止血する程度。
(やっぱり、メイドちゃんと比べると心許ない)
そんな事を考えていると――――
「まだやるつもりかい?」とヨハンネス。
「負けを認めたら、逃がしてくれますか?」
「ほっほっほ……どうじゃろうな?」
「ん? 冗談なんだけど……」
「そもそも、ワシはお主等の目的がわからぬからな」
「無理やり奴隷にされた女の子と母親を救うため……かな?」
「ふむ、すると今回の件とは無関係か」
「今回の件って?」
「まぁ、教えてやる義理はないわな」
「そうですか。それじゃ、話したので見逃してくれます?」
「ほっほっほっ……まさかじゃ? そっちも中途半端で終わるつもりもないじゃろ」
「あー、バレてた? 背後を見せたら後頭部を殴りつけようと思っていたけど」
「そいつはお気の毒じゃが――――ゆくぞ」
ヨハンネスは、不可視のはずの剣を煌めかす。
一度、斬られる事で心体共に刻まれた刀剣への恐怖心。
だが――――
剣聖の剣技に向かうのはノア・バッドリッチだ。
恐怖心を克服する武器を――――勇気を持っている。
自らを奮い立たせ、さらに前へ!
しかし、相手はヨハンネス・リヒテナウアー。
ノアの動き、そのタイミングもスピードも読みきっていた。
前に出るノアの速度と同等の速度で後ろへ下がり、余裕をもって追撃を――――できない。
「むっ!?」と驚きの声を発したのはヨハンネスだ。
前に出るノアの速度が予想よりも遥かに早かったのだ。
「貴様、今まで手を抜いておったか!」
ヨハンネスが剣を振る速度よりもノアが
自身に向かって振り落とされている剣を――――いや、剣を振るう腕を受け止める。
だが、腕を抑えられたとはいえ、ヨハンネスの攻撃は止まらない。
「きえぃ!」と奇声をあげて蹴りを放つ。
だが、蹴りを放とうと上げたはずの足が地面に付く。
「なぜッ!?」と困惑するのはヨハンネス本人。
ノアが腕を掴んだまま後ろへ下がる。
自然と体が前のめりに倒れかけたヨハンネスは、無意識に蹴りを繰り出そうとする足を前に出してバランスを整えたのだ。
だが、ノアの動きは終わらない。 まるでダンスを踊るかのようにヨハンネスを引っ張る。
ノア自身も忘却していたことがある。 ノアが修めた武術で対刃物は柔道だけではない。
それは――――
合気
引っ張られているヨハンネスは抵抗するために下半身に力を込めることすらできない。
倒れないように前に一歩一歩と足を出すことしかできない。
なぜ? 何が起きている? とヨハンネスの脳裏は疑問符で埋まった。
そして、ついに――――
一ヶ条
合気道において一番有名ともいえる関節技。
仰向けに倒れた相手の腕を真っすぐに伸ばし、肘を押さえつける。
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