第54話 剣聖 ヨハンネス

 ヨハンネスは構える。所謂――――


 雄牛の構え


 それはドイツ流剣術の象徴する構えである。


 半身になり、剣を頭よりも高く。 手首を返し、剣先を相手に向ける。


 だが、奇妙な事にヨハンネスは無手。 よく見れば腰には剣すら帯びていない。


 「ここは私が」とメイドリーが前にでる。


 無手の相手……だが、その殺気は尋常ではなかった。


(――――これほど濃厚な殺意。どれほど、日常的に人を殺す事を考えてば至るのか……)


 ヨハネスの殺気は、まるで結界のように自身を覆っている。 


 間合いに入れば強烈な殺意を浴び、その圧力が精神や肉体にすら影響を及ぼすだろう。


だが――――


「けれども殺意のやり取りならば私の本領。今……参る!」


メイドリーが前に出る。  高速移動にフェイントを複数入れ――――


「お命頂戴いたします」


瞬時に背後へ、その時、メイドリーの手には白刃のナイフが握られていた。 

 

「いくら速くても、速いだけで……遅いわ」


ヨハンネスの言葉。 恐怖に体が動かされる。


そして、ヨハンネスは振り返ると同時に何かを振るった。


(暗器? ですが、この間合いなら十分に避け――――ッ!?)


メイドリーは思考は鋭い痛みに停止する。


斬られて、初めて斬られた事が認識できるヨハンネスの妙技。


衣服の切れ端が舞うのと同時に鮮血が周囲を真紅へ染め抜いていく。


(致命傷は避けれました。 しかし――――)


「うむ、命に別状はないよう、ギリギリで戦力のみを削いだ。もしも足掻くならば、次は一刀両断よな」


「ほっほっほっ……」と剣聖は笑い声を続ける。


「どうやって……武器が見えなかった」


「ん? 簡単な事自じゃよ。剣がなくて斬れなければ剣士にあらずじゃよ」


 ヨハンネスは虚空を掴むように拳を握り、構える。


 「まずは愛剣を強く欲する。それから、殺意を乗せる……ほら、殺意はやがて質量を持ち、切れ味を有する」


 ザクッと異音。 なんとなくスコップで土を刺した音に似ているが……


 「こうなれば、建築物の壁程度なら容易に斬り捨てれる」


 周辺にあった壁に刀傷が入ったかと思うと、壁がずり落ちて崩れた。


 「――――ッ!」とメイドリーは息を飲む。


 魔法とも違う技術。 あるいは、異能と言われる未知の力とも違う。


 ただ、殺意を強め、物を切断する。


 目の前にいる老人ははもはや――――


「ねぇ? あのおじいちゃん、素手だよね?」


「え? ノアさま? 何を……」


「素手だったら、私の領域だよ。ほら、メイドリーちゃんは下がって」


「お嬢様!」と止める声を無視して、ノアは駆け出していた。


「ほう、次はお嬢さんが相手かの……って、ぶわぁ!」


 ヨハンネスが驚くのも無理はない。 ノアは駆け出したまま、その勢いで地面を蹴り、土砂をヨハネスの顔面にぶつけたのだ。


「いきなり、目潰しとは何たる卑怯を……なんつって! そんな手にひっかかるはずもなかろう!」


 目潰しが効いたと思わせるのは罠。 思惑通り、向かい来るノアに向かい剣を振るおうと――――


 だが、次は読めなかった。


 ノアが口に含んだ。 何かをヨハンネスに向かい噴射したのだ。


 超反応にて液体ですら避けようとしたのは流石、剣聖と言える。


 だが、全てを避けきれるはずはない。さらに初手でノアが蹴り上げた土砂と液体が混じり顔面が酷い事になっている。


 だが、ヨハンネスの苦しみはそれだけではないようだった。


 「―――くッ。貴様、何をかけた?」   


 「何って? オレンジジュースだよ? 酸味いっぱいで目潰し効果たっぷりで、どこでも売ってるやつね」


 笑うように言うノアにヨハンネスの殺意が一層濃い物に変わった。


 「いいね、お嬢さん。若いのに実戦というものがわかっている。 次は確実に斬る!」

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