鬼退治

 太郎は捨て子だった。それを、川沿いの村の老婆が拾って育てた。


 老婆を母親代わりとして、太郎はすくすくと育った。母親の言うことを聞く、素直で聡明な青年になった。村の誰よりも力持ちになった太郎は、村で一番の働き者に成長した。


 あるとき、太郎の暮らす小さな村に、鬼がやってきた。もちろん、この鬼は悪い鬼である。鬼は村を荒らし、数人の村人をさらって行ってしまった。ちょうどこの間、山に柴を刈りに出かけていた太郎が村に帰ると、出かける前と村の様子が違っている。事情を知ると太郎は大変驚いた。そうか、鬼が村人をさらって行ってしまったのか。驚く太郎に、母親がわりの老婆が嘆いた。


 太郎や、太郎。あいつらは、なんて悪い鬼なんだろうねえ。村を襲って、人をさらっていくなんて、絶対に許されないことなんだよ。太郎や、あたしゃほんとうに悔しいよ。さらわれた人たちは帰って来るまい。鬼に、ああ、悪い鬼に食べられてしまうに違いないよ。今頃、悪い鬼たちが、寄ってたかって八つ裂きにして、はらわたを丁寧に引きずり出して、鍋にでも放り込んで、ごちそうだ、ごちそうだと、はしゃいで喜んでいることだろう。その光景を思い浮かべるだけで、涙が止まらないよ。太郎や、太郎、わたしゃ、ああ、わたしゃほんとうに悔しいよ。


 太郎は聡明な青年だった。母親がほんとうに望んでいることを理解した。太郎は、仕事道具の斧と鎌とを引っさげて、勇躍、鬼のすみかに乗り込む決意を固めた。乗り込むと決めたら、村で一番うでっぷしが強いのは太郎だから、太郎が単騎で攻め込むことは自然だった。だが村人は誰一人として鬼のすみかを知らなかった。


 そこで太郎は、鬼の足跡をたどることにした。鬼の足は人間の足と比べて大きく、鉤爪が発達しているため、足跡を見分けるのはたやすいことだと太郎は思った。実際、足跡が平地に残っている限りは、なんの苦もなくそれをたどれた。しかし途中で足跡は、樹木の鬱蒼と生い茂る森の奥へと入っていった。草木が繁茂する山の中では、平地と比べて足跡は残りにくい。普通の人間ならば、ここで諦めてしまうに違いなかった。しかし太郎は違った。尋常ならざる観察力と集中力を発揮して、鬼の痕跡を嗅ぎ分けて、そのあとをたどっていったのだった。そして不意に視界が開けた。太郎はついに、鬼の集落をつきとめたのだ。


 鬼たちは、人間の調理法について相談しているところだった。焼いて食べるか煮て食うか、生でぺろりと丸呑みか、鬼たちのそれぞれの好みもあって、なかなか意見はまとまらなかったが、このごろ寒くなってきたことだし、やっぱり鍋にして食おう、と、皆の意見がまとまった、まさにそのとき、一人の男が猛然と挑みかかってきた。太郎は、仕事道具の斧と鎌とを両手に掴んで、すさまじい勢いで鬼の群れに飛び込んだ。これに気づいて鬼たちはすぐさま応戦したが、太郎のそのあまりの強さに仰天した。かりに普通の人間ならば、とうてい鬼の相手がつとまるものではない。まさに赤子の手をひねるようなものである。だが太郎は普通の人間ではなかった。強靭な肉体を誇る、天下無双の偉丈夫であった。太郎は得物をぶんぶんと振り回して、鬼たちをざくざくと攻め立てた。たちまち、あたりは血の海と化した。太郎は一番強かった。太郎にかなう鬼はいなかった。太郎は、大人の男の鬼だけでなく、女や子どもの鬼たちも一匹残らず探し出し、鬼の首をことごとくはねて廻った。やがて、大小さまざま、三十あまりの鬼の生首が転がった。こうして太郎は、さらわれた村人たちを助け出すことに成功した。太郎は鬼を滅ぼした。


 太郎が村に帰ると、村人たちは熱狂して太郎を迎え入れた。誰もが皆、さらわれた村人たちの生還を祝った。誰もが皆、悪い鬼がいなくなったことを喜んだ。誰もが皆、太郎の手柄を誉めそやした。そして誰よりも嬉しがったのは、母親がわりの老婆であった。太郎や、おまえはほんとうに親孝行ものの立派な息子だねえ。あたしゃほんとうに嬉しいよ。人様の役に立つ、立派な、世界一の、自慢の息子だよ。太郎は誇らしげに胸を反らした。


 しかし、これで村が平和になったかと言えば、そうでもなかった。あちらこちらで頻繁にいくさが起こるようになっていたのだ。太郎の村も無関係ではいられなかった。あるとき、村に軍隊がやってきた。


 諸君、聞きたまえ。このたび、この村は我々が治めることになった。ひいては、年貢米と、兵隊に使える男どもをもらってゆく。


 老婆は言った。太郎や、いくさは、いやだねえ。いくさは、恐ろしいものだよ。つまらない見栄や意地っ張りのために、人がいっぱい、死んじまうんだよ。あたしゃ、いくさなんて、まっぴらごめんだよ。


 太郎は聡明な青年だったので、母親のほんとうに望んでいることをたちまちのうちに理解した。太郎は、村に残って威張り散らしている兵隊の首を、みんな残らずはねてしまった。それだけでなく、村の周囲の、兵隊のいる村や街や山城を、片っ端から攻め滅ぼした。兵隊という兵隊の首をはねて廻った。兵隊がいるからいくさが起きるのだ。兵隊がいなくなってしまえば、いくさもなくなってしまうのだ。太郎は正しいことをしたまでだった。太郎は聡明な男だったので、自分が正しいことをしていることをきちんとわかっていた。そして太郎には、正しいことをきちんと成し遂げるだけの力が充分に備わっていた。太郎はすべて正しかった。太郎の恐ろしさは近隣諸国のみならず、遠国にまでも響き渡った。村には平和が訪れた。


 あるとき、平和な村で老婆が病に倒れた。

 老婆は言った。太郎や、太郎や、自慢の息子や。お前はほんとうにいい息子だねえ。親孝行ものの、いい息子だねえ。病人の世話も、甲斐甲斐しくしてくれる。あたしゃ、いい息子を持ってしあわせだよ。もう、思い残すことは、ないさねえ。心残りといえば、太郎や、お前と一緒にいられなくなるのが、なによりもつらいさねえ。もう、それだけだねえ。太郎。太郎や。もう少し、長生きをしたいねえ。


 太郎は聡明な息子だったので、母親のほんとうに望んでいることをあっという間に理解した。太郎は、長寿の薬を探す旅に出た。長寿の薬、なんてものがこの世にあるかどうかはわからないが、あるとすれば、日本で一番高い山、富士の山の頂に、あるいはあるかもしれないが、という話を一人の行商人から聞き出した。


 太郎はすぐさま富士の山に登った。まもなく山頂に着き、薬を探していると、全身が、肌の色を残して真っ白に覆われた老人が目の前に現れた。太郎は聡明な男だったので、この老人がただものでないことに気づいた。太郎は、この老人が長寿の薬について何かを知っていると直感した。しかし、薬のことを尋ねようと太郎が口を開くその前に、白い老人は喋り始めた。


 長寿の薬をお探しかな。ああ、わかっておる。言わずともよい。そうじゃ。いかにも、わしは下界で仙人と呼ばれておるものじゃ。お前さんが考えていることなぞ、手に取るように分かっておるわい。お前さんの探しておるものは長寿の薬じゃな。ある。あるぞ。ちゃんと、わしが持っておる。しかしじゃな。まったく、お前さんも、あわれな男じゃなあ。お前さんは捨て子じゃったのじゃな。生まれた時から要らぬ子で、口減らしのために川に流されたのじゃな。そして、川沿いの村の老婦人に拾われて、愛情を一身に受けて、真っ直ぐに育ったのじゃな。すさんだ世の中といえども、優しい人間はいるものじゃ。下界も、まだまだ捨てたものではなさそうじゃのう。しかしじゃな。お前さん、お前さんは、自分が犯した罪の重さを、きちんと自覚しておいでかな。お前さんは今までに、どのくらいの数の人の命を奪ってきたか、きちんと自覚しておいでかな。お前さんが、気に入らないから、と言って、死なせてきた人のことを考えたことはおありかな。最初は、鬼の一族を滅ぼしたのじゃったな。お前さんは、どうして鬼が村人をさらっていったのか、考えてみたことはおありかな。あの鬼たちは、もともとは鹿や猪を主食にしておったのじゃ。それが、お前さんが、あのあたりの山々の、鹿という鹿を、猪という猪を、ことごとく狩り尽くしてしもうたから、鬼たちの食べるものがなくなってしもうたのじゃ。困った鬼たちは、人間を食べてみることにしたのじゃ。食べ慣れぬものだから、腹を壊すかもしれぬ、病気になるかもしれぬ。それでも、何も食べずにいれば死んでしまうから、一族のためにも、子どもたちのためにも、人間を食うてみることにしたのじゃ。それで、たまたまあの村に下りてきて、手頃な人間を、ひょいっともらっていったのじゃ。一応、鬼の方も考えはあっての、同じ人間でも、老い先短い老人をもらっていく方が、前途のある若者をもらっていくよりも、人間の怒りを買わずに済むはずじゃ、と、ま、こういう考えがあったのじゃな。人さらいは生活のために仕方なくやったことなのじゃ。こうでもせねば、一族は死に絶えてしまうおそれがあったのじゃ。切羽詰った事情があったのじゃ。振り返ってみて、お前さんはどうじゃ。村に軍隊が来たときも、話し合おうとも思わなかったじゃろう。死なせなくてもいい尊い命を、たくさんたくさん、死なせてきたのじゃ。お前さんがこうなってしまったのには原因がある。お前さんの、母親が悪いのじゃ。もちろん、実の母親ではなくて、お前さんを育てた老婆のことじゃ。お前さんは、同じ歳の若者よりも、大きくたくましく育った。山で獣を追いかける、足の速さを比べる者もいなかった。木を切り出すための腕力も、畑で野良仕事を続ける持久力も、田植えの際に、苗を植え付ける手際の良さや、かがんだ姿勢を保つ足腰の頑丈さも、どれもこれもみんな、同じ歳の若者よりも秀でておった。お前さんが優れた仕事をするたびに、母親は喜んだ。そしてお前さんは、母親の喜ぶ顔が見たいがためにますます仕事に精を出した。村ではお前さんにかなう人間は一人もおらんようになった。お前さんは一番になったのじゃ。一番、優れた若者になったのじゃ。しかしじゃな。そのうちお前さんは不安になる。一番だから、今のところは愛してもらえておる。これが、二番になると、どうなるのか。母親は、これまでと同じように愛情を注いでくれるのか。お前さんは不安になった。不安になって、悩んで、悩み続けて、お前さんは変わる。今、母親が、自分に望んでいるのは、何か。今、母親が、一番喜ぶのは、何か。お前さんは、これを、瞬時に、いち早く、誰よりも早く、何よりも早く、察することができるようになった。察して、正確に、母親が望む通りの行動ができるように、自分をつくり上げていったのじゃ。お前さんに自分の意思はあるじゃろうか。自分で何かしたいと思ったことがあるじゃろうか。母親とはかかわりなく、お前さんが、こうしたい、どうしてもこうしたい、と、そう思ったことはあるじゃろうか。いつも、母親の顔色を伺っておるのではないじゃろうか。母親の意向にそぐわぬことをしておらぬかどうか、母親の意志に沿ったことをしているだろうか、お前さんは、全身全霊をかけて、そのことに力を注いでおったのではないじゃろうか。もしそうであれば、お前さんは変わらねばならぬ。自分を、変えねばならぬ。母親から、離れねばならぬ。特にお前さんの場合は、周りの命に大いに影響してしまうから、一刻も早く変わらねばならぬ。自分の足で歩くのじゃ。自分の意志で歩くのじゃ。今までの自分を変えるのは、自覚があっても、とてもとても苦しいことじゃ。今までの自分を否定せねばならぬ。今までの自分は間違いであったと、そう思い切らねばならぬ。人間は、育てられたようにしか育たぬものじゃ。お前さんも同じように、育てられたようにしか育たなかったのじゃ。直接は口に出さぬまでも、人間の命は軽いもの、と、そう教えられたお前さんは、そのようにしか育たなかったのじゃ。これは、今さら、変えようとしても変えられぬ、どうしようもないことじゃ。恨みたければ母親を恨むのじゃ。憎むのじゃ。呪うのじゃ。ただしお前さんは、母親を死なせてはならぬ。死なせてはならぬのじゃ。死なせてしまえば、今までのお前さんと同じことじゃ。それではだめじゃ。わかるじゃろう。お前さんは変わらねばならぬのじゃ。お前さんは母親を恨みながらも、生きていかねばならぬのじゃ。もう、人間を死なせてはならぬ。命を奪ってはならぬ。命は尊いものじゃ。死なせなくてもよい尊い命を、お前さんは、たくさん、たくさん、死なせてきたのじゃ。もう、死なせてはならぬ。お前さんならわかるはずじゃ。


 仙人の話を聞いて、太郎は深い感動を覚えた。目から鱗がぽろぽろとこぼれ落ちた。今までの自分の行いは間違ったものだった。その原因は母親、つまり自分を拾って育ててくれた老婆にある。母親のおかげで、太郎は人の道を踏み外した。母親のおかげで、太郎は罪深い生き方を強いられた。母親のおかげで、太郎は人殺しの罪を背負わなければならなくなった。母親のおかげで、太郎はまっとうな人生を歩んでこられなかった。太郎は母親を恨んだ。しかし母親を死なせてはいけない。死なせては、恨みを思い知らせることができないからだ。生きて、償わせなければならない。そして太郎は、太郎の人生を生きねばならない。太郎は聡明な男であったから、仙人が言わんとすることを瞬く間に理解した。太郎は、今、自分が富士の山のてっぺんにいることを思い出して、下山しようと踵を返した。そのとき、仙人が、両手を差し出してこう言った。ここに二つの薬がある。長寿の薬と、不死の薬じゃ。お前さんにどちらかを渡そう。どちらがよいか選ぶがよい。太郎は選んだ。


 富士の山を下り、太郎は村へと舞い戻った。我が家に帰ると、病床の母親に長寿の薬だと言って薬を飲ませた。老婆は死ななくなった。鬼畜の道を強いた母親に対する復讐だった。


 それから太郎は村を出た。鹿や猪を狩り、山々を渡り歩く暮らしを始めた。獣を狩りすぎれば食料が尽きることを太郎は学んでいた。その日の食料に必要なだけの獣を、狩っては食べる生活が始まった。しばらくすると隣の山に移る。またしばらくすると、またその隣の山に移る。太郎は地上から消え去った。太郎は山の男になった。太郎が表舞台から姿を消したことで、太郎が人々の話題に上ることも少なくなっていった。それでもときおり太郎は人々に思い出された。どこの山に太郎がいた、どこの森で太郎を見かけた、先月はこのあたりにいたそうだが、暖を求めてどうやら南に下ったらしい、いやそうではないようだ、北の方で、腹黒い金持ちや悪徳商人から金品を奪って貧しい人々に分け与える、義賊のようなものになったらしいぞ、いやいや違うぞ、太郎は海を渡って大陸の王者になったのだ、と、そのような、嘘か本当か判然としない噂話が、まことしやかに語られた。太郎は伝説になった。太郎は、人々のあいだで、ほそぼそと、しかし、ながく語り継がれるようになった。太郎を残して鬼は消えた。

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