あにきとお姫様

冷門 風之助 

その一 

 その日は朝から雨が降っていた。

 俺、私立探偵の乾宗十郎いぬいそうじゅうろうは、困り果てていた。


 事務所のソファに腰を下ろし、目の前に並んで座っている二人を眺めながら、もうシナモンスティックを三本も齧りつくしている。


 一人は男、痩せてはいるが筋肉質で背が高い。

 今時珍しい角刈りに、目じりが少し吊り上がり気味で鋭い。右頬には縦に、かなり深いきずが走っている。

 服装はノーネクタイにワイシャツ。紺のジャケット、グレーのズボン。黒革の靴。

 


 俺はこの男を知っていた。


 二年ほど前、行きつけのバアの止まり木で、たまたま隣合わせに座ったのが最初だった。名前を土方健ひじかた・けん、(ヤクザ映画に出てきそうな名前だが、本名なんだから仕方がなかろう)。

 歳は、五十代後半、大所帯ではなかったが、結構名の知れた”武闘派組織”の元幹部である。


  抗争の結果、組織が解散。彼も塀の中に落ち、臭い飯を7年喰った後に出所。

 業界から完全に足を洗い、現在はある土木建築会社で真面目に働いている。


 彼とは懲役おつとめを終えて出てきた時、たまたま行きつけのバァのカウンターで隣り合わせになり、一緒に呑んだ。

 俺は職業的カンて奴で、彼がどんな筋の人間だったかはすぐに分かったが、別に仕事絡みではないし、をつけられたわけでもないので、殆ど言葉を交わさず、黙って同じ酒を呑み、最後に”こういうものだ”と名乗りあって別れた。

 

 それだけの関係だった。


 そして、しばらくぶりに顔を見せたのが、今日だという訳だ。


 しかしまあ、問題は土方じゃない。

 彼の隣に座っている若い女性だ。


 背中の中央近くまで伸びたブルネットを額の真ん中で分けている。


 背は高く、スリムな体形をしていた。

 抜けるような白い肌に、宝石のような青い瞳。鼻はそれほど高くなく、そう、『ロミオとジュリエット』のオリビア・ハッセーに何となく似ている。


 着ているものはグリーンで裾の長いニットワンピース。

 装飾品は殆どつけていない。

 わずかに先端にひし形の飾りがついた銀のネックレスをしているのみだ。

 履いているのは茶色のパンプス。

 腰かけているソファの傍らには男物の黒いハンチングとサングラス。


 年齢は二十歳前後といったところだろう。


 試しに俺が英語で話しかけてみる。


 自慢じゃないが、英語なら日常会話くらい何とかこなせる。


 だが、彼女は小さな声でそれに応えはしたが、あまり英語は分からないらしいので、軽く首を振り、それから知っている限りの日本語の単語の羅列、後は聞いたことのない言葉が口から出た。

 雰囲気からすると欧州のどこからしいが、はっきりと識別は出来なかった。


 彼女は悲しそうな表情を浮かべて、うつむいてしまった。


 土方もほとほと困ったように、

『ずっとこんな調子なんだよ。』と、ため息をつく。


 今から二日前の事だった。


 その日も朝から雨が降っており、彼は夕方、仕事帰りに一杯ひっかけた後、自宅(とはいっても1DKの安アパートだが)に、傘を指して帰る途中だった。


 家の近くまで来た時、妙な空気を察した。黒のセダンが二台ほど停まっており、ダークスーツにサングラスという如何にもなスタイルの屈強な男どもが、あちこちをうろついていた。


”妙だな”と、土方は思ったが、さして気にせずに家へと急ぐ。

 すれ違ったダークスーツも、彼の方をちらっと見たが、そのまま通り過ぎていった。


 振り返るとダークスーツたちは二台のセダンに分乗してどこかに走り去った。


 そのままアパートの階段を上がろうとすると、階段近くの物陰に誰かがうずくまっている。

『誰だ?』と声をかけると、そこにいたのが”彼女”だったという訳だ。


『オネガイシマス。タスケテクダサイ』と、片言の・・・・というより、殆ど単語のつなぎ合わせみたいな日本語で彼に訴えかけるように言う。


 土方はああいう世界にいた人間だ。今時珍しく侠気おとこぎというようなものを持ち合わせている。


『仕方ない。来な』

 そういって、手まねで後をついてくるように合図した。


 彼女は立ち上がってふらふらと後をついてくる。

 そのまま部屋に入った。

 相当長く外にいたんだろう。


 髪の毛も服も雨ですっかり濡れいている。


『しゃあねぇなあ』

 そう呟き、風呂を沸かしてやり、

”先に入れ”と手まねをした。


 少し恥ずかしそうにしているから、


『大丈夫だ。俺は何にもしない』と手まねを交えて喋る。


 通じたか通じなかったか分からないが、とにかく彼女を脱衣場に入れ、代わりに自分の着古したスウェットの上下を貸してやった。


 向こうが風呂の入り方を知っているかどうか不安だったものの、覗くわけにもゆかない。

 出てくるまで、着ていた服やら、下着やらを洗濯機に放り込む。

 一人暮らしが長いのだから、こういった作業は手慣れたものだ。


 そうしている間に朝食べ残しておいた雑炊を火にかけ、温めてやった。


 やがて彼女がおずおずと言った体で出てくると、

”そこに座れ”と畳を指さす。

 彼女の前の座卓に、雑炊の入ったアルミの手鍋を置き、玉杓子で茶碗によそってやり、

”食べろ”と手まねをする。

 向こうは何もせず、上目遣いに彼を見ている。


 その時になって、彼は箸しか出していなかったことに気づき、立ち上がってスプーンを出してきて手渡してやった。


 恐る恐ると言った体で、彼女は雑炊を食べる。


 すると、目をパッチリ開け、

『オイシイ!』と叫び、夢中で食べ始めた。


 その晩はどうしたかって?

 彼は布団派でベッドは置いていない。


 仕方がないから、一組しかない敷布団と掛け布団、枕を彼女に貸してやり、座卓を真ん中に挟んで、彼は毛布一枚を身体に巻き付けて寝たという。


『枕もなしで畳の上にごろ寝だからな。お陰で首が痛くってしょうがねぇ』と、彼は首筋を撫でながら俺にぼやいた。






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