第8話 想い出の花

 上へ下への大騒動を巻き起こしたこの事件は、実に意外な解決を迎えた。

 城に常駐する兵士のほとんどを駆り出しても発見出来なかったセクティアが、翌日の昼過ぎに突然城門前に姿を現したのだ。


「セクティアが戻りましたとスヴェイン殿下にお取次ぎ下さい」


 ざわめきの中、さっと馬からおりて、王女らしく気品のある微笑みを浮かべる。

 昨夜眠らされたのとは別の門番が目をき、転びそうな勢いで報告にのぼった。スヴェイン自らがシンを伴って出迎えに駆け付けた時には、馬を兵士に引き渡しているところだった。


「……よくぞご無事で」

「ご心配をおかけ致しました」


 何事もなかったかのように、セクティアは案内に従って城内へと入っていく。お互い、この場では一切を語ろうとはしなかった。

 後ろで扉がしまった途端、鋭い目つきでささやいたのはスヴェインの方である。


「父上に報告をしてくる。部屋で待ってろ」

「は~い」

「いいか。逃げるなよ」

「信用ないなぁ」

「そんなものあるかっ」


 セクティアは蚊に刺されたような顔をして肩を竦め、「ご案内致します」と促すシンに続いた。



「それで、どこに行っていたんだ?」


 報告を済ませた後、セクティアの部屋へやってきた彼の一言目がこれだった。

 城の者があんなに大騒ぎして心配したというのに、反省する素振りすら見せないセクティアに腹を立ててはいたが、それらの感情をぐっとこらえて問い詰める。


「え~っとぉ……言わなきゃ駄目?」

「言い逃れ出来ると思ってるなら大間違いだぞ」


 王女は婚約者の口から説教が雪崩のように溢れてきそうだと悟り、逃げ腰で後ずさった。そんな彼女の肩を、スヴェインが両手でがっちりと掴む。


「外の警備は増員してあるし、侍女も長時間傍につかせる。至れり尽くせりで嬉しいだろ?」

「何よそれ、監視じゃない」

「お前に文句を言う権利はないっ」


 息がかかりそうな距離に顔が近付く。互いの瞳に相手が映り、唇の動きもリアルに感じられる。鼓動が耳朶じだを打つ。

 けれども、色めいた雰囲気になどなろうはずもなく、観念した様子でセクティアはふいと目を逸らしながら呟いた。


「……に行ってたの」

「は? 何だって?」

「結婚してから行っちゃまずいと思って」

「だから、何処に」

「だから、前に行きたいって言ってたでしょ? ク・ラ・ブ――ひゃあっ!?」


 最後の「ブ」を言い終えた瞬間、セクティアの視界が回転した。次いでドン! と大きな音と痛みが全身を襲う。


「ちょ、なっ、何するのよっ!」


 すぐには自分に起きた出来事を理解出来なかった。が、ややあって力任せに投げられ、床に叩きつけられたことを悟った。受け身も取れなかったため、体のあちこちを強く打ってしまったようだ。

 扉の向こうから、控えの「いかがなさいましたか?」という声がかかる。なんだか強烈な既視感デジャヴを感じていると、スヴェインがしらっと言い訳した。


「案ずるな。ただの痴話喧嘩だ」

「ちょっと! それ激しく使い方間違ってるっ!」


 王女はよろよろと立ち上がりながら抗議した。特に傷む左腕を庇い、膨れ面で相手を睨みつける。


「未来の奥さんを投げ飛ばすって、どういう了見よ?」

「お前こそ、結婚直前の未来の夫に向かって『ホストクラブに行った』とはどういう了見だ。あぁ!?」


 恥も外聞もあったものではない。お互い猛獣のように威嚇し合い、対峙している。


「だから結婚前に行ったんじゃない。してからじゃまずいでしょ?」

「アホかっ! そもそも王族の女性が、そんなところに出入りすること自体まずいだろうがっ! 前も後もないっ!」

「そんなの差別よー! それにまたアホって言ったぁ!」


 はぁはぁと肩で息をしながら怒鳴りあう。二人とも一歩も譲る気がないと見え、花婿と花嫁とは思えない殺気を放っていた。


「うるさいっ。……お前、本当に俺と結婚する気があるのか?」

「何よ、やぶから棒に」


 突然変わった会話のリズムにセクティアは怪訝けげんな表情を浮かべつつ、ドレスの裾に付いたほこりを払う。


「少しでも心配した俺が馬鹿みたいじゃないか。お前は昼間の一件で腹を立てて出て行ったとばかり思っていたのに」

「昼間のこと?」


 きょとんとし、しばし考え、ポンと手を打った。


「あぁ、あのことかぁ」

「忘れてたのかよ!」


 一足飛びに間合いに飛び込まれ、すぱーん! と今度は頭をはたかれる。突っ込みにしては強すぎる一撃だ。


「いったー! そっちこそ未来の嫁をバシバシ殴るってどうなのよ、この暴力夫!」


 はぁはぁ、ぜぇぜぇ。肩で息をしながら、次は絶対避けてやるとばかりに距離を取る。これでは話し合いではなく、完全に「試合」だ。

 しかし、いかにセクティアが身軽だとしても、ここは室内で相手はそれなりに鍛えた男性だ。手加減する様子もなさげでは、分が悪い。


「……それより、あれで私が怒るってのが良く分からないんだけど? 怒っていたのはそっちじゃない」

「酷い侮辱ぶじょくだったからな」

「はぁ? 男のメンツを潰されたって意味? そりゃ、悪かったけど。女から告白しちゃいけないなんて。女性差別反対~」

「そうじゃない。……からかわれたんだと――」


 気持ちをうまく表現出来ず、言い淀んだスヴェインは、次の瞬間、足元に強い衝撃を受けて前に倒れ込む羽目に陥った。


「なっ!」


 ぐんぐん床が近づいてくる。なんとか鼻の頭を打つ寸前で手を付き、全身を支えた。腕が悲鳴を上げるのを感じながら、セクティアに足元へ蹴りを入れられたのだと悟った。


「馬鹿にしないでよ! いくら私だって、あんなこと冗談で言ったりしない!」


 今までで一番大きな声だった。スヴェインがはっとして見上げると、彼女の瞳から涙がにじんでいた。


「セクティア」

「何よ。もう、あんたなんか大嫌い。乙女の告白を、なんだと思って……」


 彼は立ち上がって溜息を付き、ハンカチを取り出した。それを王女の目元へあてがいながら、


「泣くな。俺が悪かった――なんて言うと思ったかこのアホ娘っ!」


 どすっ! 手とうが炸裂する。


「~~~!!」


 声にならない悲鳴を上げてうずくまるセクティアに向かって、王子が怒声を浴びせかけた。


「ったく、油断も隙もない! 俺はな。昔のことを思い出したんだよ。あの時、お前は今回と同じ薬を使っただろ」


 清々しい草原と、眩しいくらいに輝く少女の笑顔。そして辺りに漂っていた甘い香り。あれは、人を惑わす効果を持つ花の効果だったに違いない。


「すっかり騙された。そんな女と結婚なんて出来るか。婚約は解消だ」


 低く突き放すような声音に、うずくまったセクティアはじっとしたままで動かない。


「どうした。企みがバレてショックだったか?」

「……」


 セクティアが飾っていた花は全て没収され、部屋にはほんのりと残り香だけが漂っている。今頃医師や薬師が詳しく成分を調べてくれているはずだ。


「ふん、国から迎えが来るまでせいぜい反省していることだな」


 薬は過ぎれば毒と化す。人を昏倒させる効果があるなら、誤用されればとんでもないことになる。

 目を合わせようとしないセクティアを放って、スヴェインは改めて専門家から話を聞くことにした。



 だが、執務室で詳細を聞くうち、彼は言葉を詰まらせる羽目になる。老成した医師が眼鏡に手を遣りながら告げたセリフが信じられなかったせいだ。


「もう一度説明してくれ」

「ですから、あの花は花粉をただ嗅いだだけではほとんど効果がないと申し上げました」

「効果がない?」

「花粉をすり潰した粉末を飲ませる。そうして初めて五感を鈍らせたり、眠らせたり出来るわけです。王女が所持していた瓶の液体は粉末を溶かしたものでした」


 液体の方が安定し、酒にも混ぜやすかったためではないかという。


「書物をあたってみますと、確かに我が国では珍しいものですが、フリクティーでは王都を中心に自生しているとか」


 運よく開花時期に群生地を見つけられれば、特徴的な甘い香りに満ちた、白く染まった大地に出会えるらしい。


「残念なことに、人の手で育てることは難しく、採取後は乾燥に弱いので保存もしにくい。薬の材料としては不向きと判断する他ありません」

「本当に、香りには効果がないのか? 例えば、花を身に付けて馬に乗ったりしたら危ないとか」


 恐る恐る訊ねると、医師はゆっくりと首を横に振った。


「香りをぐだけで効果があるのなら、本人や周囲の人間が眠気や倦怠けんたい感を訴えるはず。しかし実際、王女の世話係にそのような症状を訴えた者はおりません」


 スヴェインは部屋を飛び出した。すれ違う者達は皆振り返り、廊下を走る王子に道を譲り、慌てて頭を下げる。

 セクティアの部屋の扉を思い切り開け放ち、彼は怒鳴った。


「何故、弁解しなかった」

「……スヴェイン」


 穏やかに紅茶をたしなんでいた彼女は驚いた風でもなく、カップを受け皿に置き、戻ってきた王子に微笑んだ。

「これじゃ道化だ。一人で騒いで、お前を責めて……酷い醜態しゅうたいさらして」

「良いじゃない。たまには」

 

 ふふっと笑う。腹立たしいほどに無邪気に。


「私も、言われるまで忘れてたわ。まぁ、あの時は色々と気が付かなかったんだけど」


 子どもの頃に付けていた香りは、侍女が「願掛け」と言って付けてくれたものであり、当然、薬になることなど知らなかった。


「願掛け?」

「多分、私以上に私の気持ちを知ってたのよ」


 スヴェインは顔を高潮させた。それはつまり、当時のセクティア本人でさえ気付かずにいた淡い恋心を侍女が察し、気を利かせたということだろう。


「ここに来て、どうして急にスヴェインと結婚しようなんて思い立ったのか自分でも不思議だったけど。ただ、初恋を思い出しただけだったのよね」


 再会する前から好意を寄せていたのだから、少なくとも彼女にとっては当然の成り行きだった。

 スヴェインはもう何度目か分からない溜息をつく。


「だから、お前は突飛過ぎるんだ。少しは順序立てて説明してくれないと、こっちには分からん。せめて言い訳くらいしろ」

「弁解しなかったのは、しなくても大丈夫だって思ったからよ」


 あっけらかんと言う。その自信は一体どこからくるのか。彼はただただ呆れてしまった。頭が良いのか悪いのか、判断するのも馬鹿らしくなる。

 セクティアは待ってましたとばかりに、勢いこんで断言した。


「自信の根拠? そりゃあ、愛でしょ」

「それだけは絶っ対にない」

「やーねー。そんなに力説されると照れちゃうじゃない」


 何を言っても無駄である。スヴェインは酔っ払いを相手にしているような気分に陥り、全てを放棄した。

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