二十一.姫荒平

21.1

 稲田神社境内の傍ら、神社の駐車場の奥に見える黒い瓦が扶桑家の屋根である。庭木が邪魔をして道路から家の様子は見えないが、手前にある、ほんの車三台分程度のコンクリート打ちの駐車場に、福岡ナンバーのセダンが駐まっていた。おそらくあれが、打ち合わせ相手の車だろう。

「何て名前の人だっけ……今から会う人って」

 外部協力者との連絡や調整は、本来であれば美郷の仕事だろう。しかし今回美郷は体調不良でダウンしたこともあり、怜路が先方とのやりとりをしていた。

「モリヤマ。木が三つの森に山だな。下の名前は……どう読むのか分かんねえ。セイかヤス……一文字でなんて読むっけなあ。名字は守山サンと被っちまってるし、ヤッサンとでも呼ぶしか無ェか」

 セイかヤス、というならば「靖」という字であろうか。そう考えて「やすし、とかじゃないの?」と尋ねれば、怜路は「そうかもなあ」と頷いた。

 その森山某の車の隣に、美郷も公用車を駐める。車内に人影があり、美郷らの車に気付いて運転席側のドアを開けた。

「――え、女の人!?」

「はァ!? マジか!!」

 車から出て来たのは、身長は小柄ながらがっちりと体格のよい――いわゆる固太り体型の女性だった。実用性一辺倒といった風情の、装飾性のない地味色をした長袖シャツと黒パンツの上下に、大きなリュックサックを右肩に担いでいる。年頃は三十代半ばよりも上であろうか、整えられたロングヘアというよりは「ただ伸びてしまっただけの髪」といった風情の飾り気のない黒髪を後頭部でひとつに縛り、化粧っ気のない顔にフレームの太い眼鏡を掛けていた。

「声とか、聞いたことなかったんだ?」

「ずっとメールとかチャットでやりとりしてたからな……まあ別にどっちでもいいんだが」

 言った怜路が、シートベルトを外して助手席のドアを開ける。車を出るなり、「アンタが森山サンかい?」と声を掛けた怜路に、その森山某も驚いた――というよりは、強張った顔で動きを止めた。

(……そうか、向こうも『市役所から調査協力依頼』をされてて、相手が金髪グラサンのチンピラだとは思ってなかったよな……)

 怜路という名も、どちらかといえば端麗な字面であろう。お互いにオンラインでのやりとり特有の思い込みをしていたらしい。ここで、もう一人の「市役所職員」として出て行く美郷もロングヘアなのだから、少々相手の方が気の毒だろうか。などとしょうもない思いを巡らせながら、美郷も車のキーをポケットに突っ込んで車を出た。

「お世話になります、巴市役所の宮澤です」

「メールやりとりしてた狩野でーす」

 車の傍らで会釈をした美郷に、ぽかんと目を瞬いた森山氏が一拍置いて会釈を返す。

「あっ、どうも、森山です」

 わたわたと……どうにもそうとしか表現しようのない、落ち着きのない所作で森山が名乗った。小振りな右手で項を掻いて、小さく「はー、マジか」と呟く声を美郷の耳が拾う。

「ども、今日はヨロシク――あ、先にちょっといいかい? アンタ、下の名前なんて呼べばいいんだ? モリヤマサンはこっちにも居てさあ、被るから呼び辛ェんだけど」

 女性で「やすし」はおそらくあり得ない。ならばセイ辺りがギリギリ選択肢であろうか――などと考えていると、森山は「あー、何でも良いっスよ」と軽く返してきた。

「それペンネームなんで、好きなように呼んでもろて。実名は死ぬほど似合わんキラネームなんですよ~」

 トコトコと屋敷の方へ歩き出しながら、気を取り直したらしい森山がへらりと笑って続ける。好きにと言われてどうしたものか、と悩んだ美郷とは対照的に、怜路は彼女に続きながら「えー、なんて名前? 分かんねえとヤッサンとか呼んじまうぜ?」などと気軽に応答している。その対応力の高さに、美郷はひっそりと舌を巻いた。

「あっはは、ヤッサンでいいよいいよ。本名は――ヤスの字がヒントっすねえ。あと、このご面相になんでそんな名前付けた、って感じなのがヒント。当てなくていいから!」

 怜路の受け答えが気に入ったらしく、機嫌良さそうに言いながら森山――ヤスがリュックのポケットに手を突っ込んだ。ちゃらりと高い金属音がして、ふたつ、みっつ程度鍵のついたキーホルダーが取り出される。怜路は森山の拒絶とも誘いとも取れる言葉を「誘い」と取ったらしく、顎に指の背を当ててしばし中空を睨んでいた。

「あー、うーん……セイラちゃんとか?」

 ポロリとこぼした怜路の回答に、靖が目を瞠って動きを止める。

「ビンゴだろ!」

「え、ちょ、なんで分かった!?」

 唖然とした靖に、怜路が「へっへん」と得意げに顎を上げた。美郷はその、初対面同士とは思えない軽妙なやりとりに参加することもできず、二人について扶桑家の敷地に上がり込む。

「すご、当てられたの初めてなんだけど……聖なる綺羅と書いて『聖羅せいら』、ホントにこの名前似合わなさすぎて駄目なんで、ヤッサンって呼んでくれると有り難いっす」

 驚きと苦笑いを交ぜた表情で言った靖が、「じゃあどこから見ます?」とキーホルダーを掲げて話題を切り替えた。「ドコって?」と尋ねる怜路に、庭の真ん中で立ち止まった靖が、正面にある母屋の玄関と、左手奥に見える土蔵の屋根を順に指差す。庭は年に一度程度手入れをしているのか、数年空き家というわりには荒れていない。端に植えられたイロハカエデが緑から黄色そして紅へと、枝先からその葉の色を変えていた。

「母屋ん中だと宮司さんの部屋か仏間に、蔵だった場合二階の箪笥か長持の中に資料があるでしょう……って話だったんで。時間があれば両方確認したいんスけどね」

 小首を傾げてこちらの返答を待つ靖に、美郷は怜路と顔を見合わせる。

「あの、すみません。今更な確認で申し訳ないのですが……打ち合わせ場所をこちらに変更された目的は、具体的にどういったものなんでしょうか? 何かここで探し物があるんですよね」

 美郷らは元々、市役所の小会議室辺りで話をするつもりでいた。その場所を急遽変更してきたのは靖の方であり、実は未だその目的をはっきりとは聞かされていない。困惑気味に尋ねた美郷に、目を丸くした靖が目元を覆って仰け反った。

「あ~~~!! ゴメンゴメン! つい前のめりになりすぎちった……。ええと、じゃあ母屋入って一旦ゆっくり座って話しましょうか。家探しする許可は貰ってるんだけど、勝手に台所とかは使えないし電気も止めてあるらしいから、お茶とかは持参がないと無理なんだけど……あ、そうだ、あとお手洗いも使えないから。最寄りで……生田いけだのヤマザキだったかな、コンビニ。あそこまで帰らないとトイレないから気をつけてね」

 まくしたてて、靖が手元のキーホルダーから鍵を選ぶ。玄関に設えられたアルミ引き戸の鍵穴にそれを差し込み、ガチャガチャと回して解錠した。飲み物がないのはともかく、便所が遠いのはいささか不便だなと美郷は考える。

「お邪魔します~」

 無人の家に声を投げて上がり込む靖に続き、美郷と怜路も二畳ほどの石貼りの玄関土間に上がり込んだ。

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