第86話、二人の関係
開け放たれた窓から冷たい夜風が室内に侵入する。
風に煽られたカーテンがふわりと舞い踊り、窓辺に腰掛ける人物を月明かりが照らし出した。
艶やかな黒髪を後ろでひとつに結び、黒いウサ耳をぴょこんと動かす。しかしその可愛らしい仕草も見る者全てが冷酷と評するであろう冷たい美貌で愛らしさを打ち消していた。
憂いを多分に含んだ表情で虚空を眺めるその姿からは、とても成人していない子供とは結び付かないだろう。
彼は賢者の監視役筆頭だが、なんとなく賢者とは顔を合わせづらい気分だったので他の者に代わってもらったのだ。
こくりとグラスの中身を煽り、月を見上げた。
『へぇ、こりゃ珍しい。あの超高度な文明を誇る世界から来たのか。あの世界から転生者が出るなんてレアだなぁ』
遥か遠い昔の記憶がフラッシュバックする。
一度目の人生を終え、二度目の人生が幕を開け、初の転生に戸惑いながらも受け入れつつあった頃。
独特な雰囲気を纏う異質な2人組と出会った。
当時はちょっと変わった人達だなぁ程度の認識だった。そしてもう会うことはないだろうと思っていた。
それなのに……
「なーに物思いに耽ってるんです?」
いつの間にか隣を陣取った金髪の犬がグラスを弄び、主を静かに見据えていた。
「……別に。昔を思い出していただけだ」
近くにいることは分かっていたし、この犬が大人しく自分を一人にさせてくれるとも思っていなかったので、何の前触れもなく突然現れた護衛騎士にも驚かなかった。
グラスを傾け中身を煽る。と、そこで違和感を覚えた。
中身をすり替えられたのだと気付き、金髪の犬を睨みつける。
「いやいや、子供が酒飲んじゃ駄目っしょ。総合年齢がエンシェントドラゴン並みでも、肉体はそうじゃねーんだから」
カラカラと笑ってすり替えたグラスの中身を一気に飲み干す護衛騎士を僅かばかり恨めしく思うも、言わんとすることは理解しているので何も言えなかった。
大人の味は諦めて葡萄ジュースで喉を潤していると「第2王子ならワインの一本二本気付かねーよなー」と溢す。兄のものを拝借したのは筒抜けだったらしい。自身の護衛なのだから当然だが。
数口だけ飲むのを許したのは彼なりに気を使ったのだろう。精神年齢は誰よりも大人なのに、肉体年齢が追い付かないせいで大人の味を禁じられているのが哀れに見えたか。
あと2年もすれば自分も酒を飲める年になるが、味を知っているだけに、その2年が長く感じる。
「フェリアーナ」
「!」
「って、誰っすか?」
にっこり、人好きのする笑顔で問われた。
何故自分に聞く、と逆に問い返してみれば「えー、だって知り合いっしょ?」との返答が。
「知り合いなどではない。フェリアーナ殿とは前世で何度か会ったことがあるだけだ」
「にしては反応しすぎじゃね?あ、分かった。前世のフィードにも会ったことあるとかそんな感じのアレっしょ」
「…………」
その沈黙は、肯定だった。
かつての記憶が走馬灯の如く脳内を駆け抜ける。
始まりは二度目の人生。
当時はちょっと変わった人達だなぁ程度の認識だった。そしてもう会うことはないだろうと思っていた。
それなのに、幾つもの世界で何度も巡り会った。
生まれ落ちた種族が毎回違ったのに、彼女達はいつも自分に気付いた。魂を見れば分かると、そう言って笑っていた。
そして、その二人の傍らには、必ず彼がいた。
「………もう昔の話だ」
表情を変えないまま、酷く平坦な声色でぽつりと呟いた。
いつも通りにしているはずなのに何故か隣から痛いほど視線を感じる。横を見てみると、自分をじっと見つめる犬の姿があった。その顔はどこか心配そうで。
思わずふっと口角が上がる。なんだその顔は。主人の身を案じる忠実な犬か。普段はあんなにちゃらんぽらんでへらへらした態度のくせに。
ヒヨコの賢者の口から彼女の名前が溢れてから様子がおかしかったことはこの忠犬にはお見通しだったらしい。他の誰も、賢者でさえ見抜けなかったのに。
「そう心配するな。少し感傷に浸りたい気分なだけだ」
そう。本当にそれだけ。
自身の監視対象がかつての大切な人だったと知り、昔の彼との思い出が蘇って感傷に浸っていただけだ。思い出を肴にして酒を楽しんでいたとも言う。
年寄り臭いと自分でも思うが、たまにはそんな気分を味わってもいいだろう。もう、かつての彼はどこにもいないのだから。
過去は過去と割り切ってただ思い出を想起しているだけだと分かったからか、心配性な忠犬は安堵の表情を浮かべる。次いで、いつものようにへらりと笑った。
「あそこまで過剰に反応するなんて、前世ではどんな関係だったんすかー?」
「親友でもあり、兄弟でもあり、殺し合いをした仲でもあるな」
「待って待って待って、ちょい待って。話飛躍しすぎて意味わかんねぇんだけど!?」
常に余裕の笑みを浮かべる彼にしては珍しく困惑している。
「君も知っての通り、私の前世はひとつじゃない。それぞれ生きていた世界も種族も違う。まぁ、種族が違うのは私の方だが」
「あー……そういう……」
種族が違う、のところで色々と察したようで、なんとも言えない顔をされた。
そしてふと気付いたようにあっと声を上げた。
「フェリアーナって人とも何度も会ったって言ってたけど、ひょっとしてそれもそれぞれ世界が違ったりすんの?」
いい着眼点だ。目元を緩めて肯定の意を表す。
すると不可解そうに眉を潜めた。
「転生者……じゃねぇよな。話を聞くに、容姿は変わってねーみたいだし。え、どうなってんの?なんで世界超越してるワケ?つーかもしやこっちにも来ちゃったりする?」
困惑混じりの表情でぶつぶつ呟く。答えに辿り着けず、金色に輝く尻尾が苛立ちと警戒を露にしていた。
「来るだろうな。確実に」
最後の一言に返事をすると、警戒を解かない眼差しが自身を貫いた。
「そう警戒しなくていい。世界を越えているのは事実だが、目的は賢者だ」
「フィード?なんでまた」
ますます意味が分からないと表情が物語っている。
うーむと唸り、眉間にシワを刻みながら古い記憶を手繰り寄せた。
「確か……賢者の指導者、導き手、あるいは育成者。呼び方は様々だが、それらに近い存在だと聞いたことはある」
何故世界を越えられるのかと聞いても答えてくれなかったが、それ以外は割とすんなり教えてくれた。
賢者本人にも教えていないことを何故自分には伝えるのかと疑問に思ったりもしたが、それはループ転生の呪いが関係してるのかもしれないと結論付けた。
ループ転生は、転生ガチャで延々と記憶と魔力を引き継ぐ呪いだ。どうやって解けばいいのか、そもそも解ける呪いなのか、未だに判明していない。
その呪いがある限りフェリアーナ達に関する記憶は消えない。つまりは、彼らの特異性や、彼らに対する疑問がずっと心に残っている状態。
下手な介入を阻止するためにある程度情報を与えて好奇心を満たそうとしたか、教えても問題ないと判断したか……
フェリアーナ達だけではない。ほとんどの人生で、他の賢者と指導者的立場にいる特殊な人達にも関わった。だからこそ、フィードが大切な人の生まれ変わりだと気付けなかったのだが。
「彼らの目的は賢者を導き、世界に繁栄をもたらすことだ」
少なくとも、表面上は。
「ふーん……」
まだ警戒を完全に解いてはいないが、主に害のある類いではないと判断したらしく、どうでも良さげに相槌を打った。
確かに害はない。害はないのだが、彼の監視役である以上、自分も巻き込まれるのは確定だ。
全く。何度生まれ変わっても自分を巻き添えにするのが得意だな、あのヒヨコは。
いいだろう。君の気が済むまで巻き込まれてやるさ。
記憶がなくても、思い出を共有できなくても、再び君が自分のことを忘れ去ってしまう日がきたとしても。
大切な、たいせつな、君のためならば―――――
「1杯だけならいいだろう?」
「2年後に好きなだけ飲みなー」
忠犬な護衛騎士はなんだかんだ主には手厳しいのであった。
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