第71話、不穏な影

 ファラダス王国は、東にエルヴィン王国、西にリンドネル帝国、南にハルシオン王国、北にディレベンク王国に囲まれた内陸の国。

 美食と芸術の国として知られるディレベンク王国、漁業国家ハルシオンに挟まれて自然と貿易が盛んになった国だ。


 ファラダス王国で手に入らない物はないと言わしめるほどに、様々なもので溢れかえっている。そのため、国中が常に活気付いていた。


 それはエルヴィン王国との国境沿いのヴェネット伯爵領でも同じ。ただし、この街は少しばかり異質だった。


 動物を売買する商店が異様に多いのだ。まるで獣人王国に見せつけるように。お前達もこいつらと変わらぬのだとでも言うように。


 それは、領主の屋敷でも同じだった。



 ヴェネット伯爵邸のとある部屋で、生き物の売買が行われていた。


「金貨20枚でいかがでしょう?」


 屋敷の主に金額交渉する商人。どこか胡散臭い笑みを浮かべてテーブルに置かれた物からそっと布を取る。

 布を取り払った先には、檻の中に入れられた小さな鳥。


「うぅ……ママ、パパぁ……」


 ほろほろと涙を流し、離ればなれになった家族を想い、つい声に出してしまった小鳥。

 ふと目の前にいる自分を檻に入れた人間と煌びやかな服装の人間を見て震え上がった。


 小鳥は瞬時に悟ったのだ。自らの運命を。


 すすり泣きながら死ぬほど後悔した。

 あれほど言われていたのに。お外は危険な人がいっぱいいるから、1匹で行動しては駄目だと言われていたのに。

 あのとき、親の言い付けを守っていれば……


「15枚だ。煩くてかなわん」


「躾がなっておらず、申し訳ございません」


「喉を潰せ。そしたら金貨20枚で買ってやる」


「かしこまりました」


 どれほど後悔しても、もう遅かった。


 冷ややかな目で見下ろす商人が、自らを閉じ込める頑丈な檻を持って退室する。

 小さな舌打ちとともに「手間取らせやがって」と忌々しげに呟かれ、再び身を震わせた。


 部屋に残ったヴェネット伯爵は中断していた仕事を再開する。黙々と書類を捌きながら、時折休憩を挟んで紅茶を味わっていると、ノックの音が響いた。


「お父様。これ、処分して下さる?」


 入室してきたのはヴェネット伯爵の娘だった。

 その手には小さめの檻。そしてその中にはやや縦長フォルムの歪な鳥がいた。藁にも縋る思いで伯爵を見つめている。


「ああ、そろそろだと思ったよ」


 ふっと微笑み、次いで側に控えていた使用人に殺処分の命令を下す。

 顔色ひとつ変えず「かしこまりました」と檻を受け取って命令を遂行しようとする使用人に、歪な鳥は絶望した。


「失礼致します」


 使用人と入れ替わるように入ってきた先程の商人。

 檻の中に入っている小鳥の目には涙の跡があり、その瞳から希望が失われていた。


 金銭受け渡しを済ませ、屋敷をあとにした商人を見送ったヴェネット伯爵は、どこかそわそわして一連のやり取りを黙って見ていた娘を見やる。


「お父様、これって……」


 キラキラと目を輝かせ、期待を膨らませる娘に、ヴェネット伯爵はくすりと笑った。


「誕生日には少し早いが、プレゼントだ。受け取りなさい」


「ありがとう、お父様!」


 ぱぁっと花のように笑う娘に、つられてヴェネット伯爵の頬も緩む。仕事を忘れてしまうくらいには、娘に甘い父親であった。


「やっぱり鶏獣人はヒヨコじゃないとね。成長しちゃったら可愛くないもの」


 檻の隙間に手を滑らせて小鳥を撫でながら放った言葉にヴェネット伯爵はぴくりと反応する。


「それは違うよ」


「え?」


「ヒト族ではない、ただの獣だ。ヒトになり損なった、愚かな獣だ。鶏獣人じゃなくて鶏なんだよ」


 冷笑、という単語がぴったりの笑顔で告げられたそれに娘は目を瞬かせ、次第にくすっと笑って「そうですわね」と同意した。


「ではお隣の国も、獣人王国ではなくて獣の国ですのね」


「その通りさ」


 穏やかに笑い合う父と娘。

 しかしふと娘の笑顔が翳った。


「隣国といえば……先日、魔物が大量に発生したそうですわね?こちらに被害が及ばないと良いのですが……」


 魔物の大量発生はアネスタ辺境伯領のすぐ近くだと聞く。

 ここはアネスタ辺境伯領と隣接した領地。下手すると魔物の軍勢がこちらに攻め入ってもおかしくない。

 国境の街なので軍事予算は潤沢だが、それでも不安になってしまう。


「心配はいらんよ」


 妙に確信がある声色で告げられ、娘は首を傾げる。

 しかし上級貴族たる父親が言うのだから大丈夫だろうと、根拠の欠片もない自信が胸に広がり安堵した。


 底冷えのする、身が凍り付くような怖い笑みを浮かべる父親には気付かずに。


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