第36話 反撃

 騎馬兵たちが剣を構えてシオンへと向かった。シオンは腰に差していた剣を抜こうとした。しかし、シオンがそれを振るう前に、ウァールが意地汚い笑みで告げた。


「大人しくしろ。さもないとチビが死ぬぞ。増刃実ましばみの毒だ、一瞬で死ぬ」


増刃実ましばみ!? ウァール、そんなえげつないものを」


「お前黙ってろよ、緊張感なくなるだろ」


 ウァールはこんな時まで能天気なニケにあきれた。それはシオンも一緒で、とりあえず剣を元の位置に収める。


「よし、チビと違って師匠は言うこと聞く方だな。捕えてくれ」


「ニケ、一切心配するなよ」


 すると兵士たちがあっという間にシオンに襲い掛かって、抵抗しないシオンに殴りかかった。


「なっ、なんで、剣を抜いてないじゃん! やめて、シオンを蹴らないで!」


「馬鹿だなお前。巡回薬師は腕が立つんだよ。じゃなきゃ旅なんてやってられないからな。だから、今ここで降参したと見せかけても、後から何をしでかすか分からない。捕えるときは、腕の一本くらい折って、動けなくしてからが基本だ」


 そんな説明をしている間にも、シオンは無抵抗なまま兵士たちの暴力を受けていた。


「やだ、止めてってば!」


 やっと兵士たちの暴力が収まったかと思うと、地面に倒れ込んだシオンの姿が見えた。


 それを確認したニケの頭が一瞬で真っ白になる。


 痛みに顔をしかめたシオンが、目をゆっくりと開けてニケを見た。そして、はっとする。


「ニケ、だめだ。落ち着け! 心配するな――」


 シオンがそう叫んだのと、ニケの全身が炎に包まれたのが同時だった。




 精霊樹のはるか上空まで、ニケを包んだ火柱が立ち上る。その反動で、ウァールとニケを結んでいた縄が瞬時に焼け落ちた。


 そこにいたシオン以外の全員が、何が起きたのか理解できずに、火柱になってしまった少女を見つめることしかできなかった。


「ニケ、落ち着け、ニケ!」


 シオンは立ち上がろうとして、そして、地面に片膝をついた。肋骨にひびが入ったのか、呼吸するだけで尋常ではない痛みがシオンの身体を襲った。


「何だ、どうなっているんだ!」


 ウァールがニケからじりじりと離れて行く。フォッサ王もその突如現れた火柱に、どうしていいのか分からずに動けないでいた。周りにいた馬たちがいななきながら暴れ始める。


「くそ、ニケ……!」


 シオンは動こうにも動けず、その場で浅い呼吸を繰り返した。背中を冷たい汗が伝っている。


「シオン、どうしよう」


 意識を集中させていると、ニケの声が火柱の中から聞こえてきた。それにこたえるようにニケの名前を呼ぶと、火柱が消えた。その中心だったところから、顔面蒼白のニケが震えていた。


「シオン……どうしよう。さっき、精霊に力を貸すって言っちゃったの私。そしたら、今、精霊が私の中に入ってきて……」


 見ると、ニケの足元に、精霊樹から伸びた木が絡まりついている。


「まさか〈契約〉――」


「……今、力を貸してって言われて」


 言い終わらないうちに、ニケが力が抜けたようにすとんと地面に座り込む。目を瞬かせたかと思うと、次の瞬間、辺り一面の木々がいっせいにそこにいた人々に襲い掛かってきた。


「だめっ――」


 木々のざわめきにニケの声がかき消された。


 ニケの魔力を、守護精霊が引き出して使い始めた。シオンが気がつくと、あちこちから兵士たちの怒号が聞こえてくる。


 ――まずい。


 シオンは立ち上がれないまま、自分の頭上にいる守護精霊の老人の顔を見つめた。


 怒りと侮蔑を含んだ瞳でフォッサの兵士たちを見下ろし、ニケから吸い取った魔力によって、森を自由自在に操っている。


 兵士たちは、地面を破壊しながら足元から伸びてくる木の根に身体を巻き取られながら、締め上げられていく。


 怒号はやがて苦しそうにうめく声に変わり、かすれていく。


「止めろ、守護精霊ともあろうあんたが、こんな……人を襲うなんて。ニケの魔力を使うな!」


 守護精霊は、透き通った迷いのない瞳でシオンをちらりと見る。


『わが同胞を殺した罪深き人間を、今ここで殺さずしてどうしろというのだ。命は、命をもって償え』


 シオンの声はもうすでに怒りに我を忘れた守護精霊には届かない。ニケは魔力を他人に使われるという初めての反動に耐え切れず、その場にくずおれていた。


 ひときわ大きな声がして、ウァールが太い木の根に全身を簀巻きにされながら、空中に舞っていた。


「くそ、何なんだ……!」


 ウァールが手から小さな火を発火させて、木の根に押し付けるが、そんな小さな攻撃が効くものかと言わんばかりに、締め付けが苦しくなっていく。


「くそ、止まれっ!」


 ウァールが、猛毒の塗られた針を、木に刺した。


 守護精霊が悲鳴を上げて、巻き付かれた拘束がはがれて行く。毒が回ったのか、苦しそうな声を上げながら、守護精霊がのたうち回る。


「この、化け物が!」


 あちこちから、解放された兵士たちが、木々を剣で傷つけていた。


「やだ、止めてってば! なんでみんなこんなことするの」


 ニケが半身を起こして、苦しそうに顔をゆがめた。


 シオンは、ニケの後ろから、ウァールが近づいて来るのを目でとらえる。


「――ニケ、逃げろ!」


 シオンが痛みを振り切って立ちあがって走った。


 ニケがその声に後ろを振り返り、自分に向かって毒針を差し込もうとしているウァールと目が合った。その目は、狂気で歪んで、口元には笑顔があった。


 針が自分に刺される寸前、温かいものがニケに覆いかぶさる。


 ニケの鼻腔に、懐かしい香りが伝わった。

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