第16話 全と無
見たこともない光景を目の当たりにしたニケが、口を開けっぱなしのまま声も出せずにいると、シオンが後ろから手を伸ばしてきてコップをどかす。そして、魔法陣布に手を伸ばした。
二重の円に描かれた十二時の方向の文字を指さす。
「これが、光の魔法文字だ。そして、この右隣が風、時計回りに次が火、次が金、次が闇、土、水、木。この八つが魔力の性格なのは知っているな?」
急に問題を出されて、ニケは一拍おいてから頭を振った。
「うん。左右が相性の良い魔力で、対極が相性が悪い魔力だよね?」
そうだ、とシオンは続ける。
「魔力は八つと言われている――表向きは」
「表向き? 裏があるの?」
ニケは目を瞬かせた。
「ある。本当は、あと二つある。全部で十種類だ」
「え? そんな話、聞いたことないよ?」
ニケが驚くと当たり前だとシオンは息を吐いた。
「誰もかれもが知っていいものではない。力のある
そして、中央の円に描かれた魔法文字を指さした。
「これがまず一つ目、〈無〉の魔力。そしてこの外側の円の中に書かれている文字が示すのが…〈全〉の魔力だ」
「〈無〉と〈全〉?」
初めて聞くその魔力の話に、ニケは興味をそそられると同時になぜか背筋が寒くなるのを感じた。
「対をなすようでいて、それぞれが独立している魔力の種類だ」
シオンは机に寄りかかると、魔法陣布を見つめた。
「絵具を全色混ぜ合わせると、色がごちゃごちゃになって、個々の色が無くなってしまうだろう? 〈無〉の魔力は、そういう力だ。全ての魔力を吸収して、無効としてしまう」
だから、すべての力が交差する魔法陣の中央に描かれているとシオンが指をさす。
「じゃあ、〈全〉は?」
「どうだと思う?」
いきなり聞き返されて、ニケは考え込んだ。〈無〉がすべてを無効にするなら――。
「全部、使えるってこと?」
「当たりだ」
シオンは腕組みをしながら、ニケに向き直る。
「だけどな、〈全〉の魔力は魔力だけがあるわけで、絵の具で言えば原材料みたいなものだ。原材料だけでは絵は描けない」
それにニケは確かに、とうなずいた。
「だから、持っていても本人には使うことができない。つまりは、魔力の性格という色を持つ者に引き出してもらって使うしかないんだ」
「じゃあ、例えばだけれど、精霊と契約したり、魔導士に力を貸したりすれば、使えるってこと?」
そうだ、とシオンはうなずいた。
「――ニケは、〈全〉の魔力を持っている」
「はい?」
そのあまりも突拍子もないシオンの言葉に、ニケの声が盛大に裏返った。
「今さっき見ただろ? 全ての魔力が反応したのを。希少な魔力だから、三重魔法陣布でなければ出てこない。だから、普通のもので魔力確認を何千回したところで、ニケの魔力が検出されることはないんだ」
ニケには精霊も見えたし、話すことまでできた。それは、魔力があった証だった。
(――魔力が、私にもある……!)
それは、ニケが、今までずっと欲しかったものだ。それは、嬉しさと同時に、恐怖の感情をニケにもたらした。
「この力を持つ者は、全体の一割以下だと言われる。魔力を持つ者が千人いたとしたら、〈無〉や〈全〉の属性は一人いるかいないかだ」
そのあまりにも少ない人数に、ニケの方が驚いた。平凡すぎる自分に、そんな力があるとは到底思えなかった。
「全部の力が使えるということは、どの魔導士や精霊にも手を貸すことができる。反対に〈無〉はどの魔力も無効にすることができる。つまり、悪用し放題なんだよ、二つとも」
「悪用……」
そのたった二文字が、ニケの心をさらにざわつかせた。
「もちろん、良いことにも使える。今日みたいにな」
そう言われて、ニケはぱっと顔を輝かせた。シオンが言っているのは昼間のモグラに似た精霊のことだ。
「金の性格の魔力は、木の魔力と対局で相性が悪い……だから、みんなも、精霊も手が出せないけれど、私がどちらにも適応する魔力だから繋げることができて、治療ができたんだ!」
ニケが喜びに顔を赤くすると、シオンがニケの頭をぽんぽんと撫でた。
「良いことにも、悪いことにも使える魔力だ。だからニケ、これから先、魔力があることを隠している方がいい。でないと、その魔力を狙われることになりかねない」
シオンが、ニケに言い聞かせるように、しっかりとゆっくり言葉を紡いだ。
「悪いことには使わないよ! 師匠と約束したもん。私の力はきっと人と精霊の役に立つから、そのために使いなさいって」
ニケが顔を赤くして力説すると、シオンは深くうなずく。
「ニケがそう思っていても、ニケから無理やりに魔力を搾り取ろうとする者だっているんだ。そういう奴らに、ニケの魔力を悪用させないためにも黙って隠しておくのが無難だ」
シオンの真面目な顔に、魔力がある喜びと、役に立てるかもしれないと思った希望にわくわくしていたニケの心が急にしぼんだ。
「その魔力は必ず、治療には役に立つ。ただし、使われる人物を選ばなければならない。悪用してくる人間とそうでない人間を見極めるためにも、必要となる時までは隠すんだ」
シオンには、有無を言わせない迫力があった。ニケは嫌だと言えるはずもなく、肩を落とした。
「……分かった」
見るからに気落ちしたニケの両肩を、シオンがとんと叩いた。見上げると、美しい印象的な金色の瞳がすぐ近くにあった。
「ニケの力を、悪いようには使わせたくない。だから、一人前の薬師になるまでは俺から離れるな」
「……一人前って、いつなれるの?」
ニケはもう十四歳だ。まだまだ成長期で、これから学ぶことだってたくさんあるけれども、心だけは立派に大人になりかけていた。
何やらシオンに魔力のことを牽制された気になって、ニケはふてくされた。
今まで魔力が無いと思っていたためにできなかった色々なことを、早急に取り戻したいという気持ちを否定された気がしたのだ。
「早く、一人前になりたい。そうしたらもっと精霊も人も救えるでしょ? 魔力があるなら、竜にだって会えるかも……」
急に焦り始めたニケに、シオンが肩を掴んだ手に力を入れた。
「落ち着け、ニケ。急いだって仕方がない」
「でも、だって、私ずっと魔力無いって思ってたし、みんな私を追い抜いて行っちゃって、私まだ半人前のままで、師匠と旅してた四歳の時から修行だってずっとしているのにこのままじゃ竜に会ったって何もできないんじゃ――」
そこまでまくし立てて、何も言わないシオンを、ニケは悔しそうに見た。
「魔力があって嬉しかったのに、自分じゃ使えないんじゃ、私はやっぱり役に立たないの?」
それは違う、とシオンはしっかりとニケに伝えた。
「ニケ、それは違う。この世に役に立たない能力を持って生まれてくる人間なんていない。それを、どう使うかが鍵なんだよ」
ニケはシオンを見つめた。
「もしかして……竜と〈契約〉できないとか、あるの?」
竜や精霊と〈契約〉すると、契約した相手の力を使えるようになる。しかし、魔力の相性があるため、自分と同じか、隣り合う相性の良い魔力を持つもの同士に限られる。
顔や骨格や身長や才能や人種や体力の有無を自分で選べないのと一緒で、魔力の性格も自分では選べない。
ある程度努力すれば、魔力の量を増やしたり調整できたりもするが、毎日かけっこをして体力が上がっても、動物のように早く走れるようにならないのと一緒だった。
魔力の相性というのは変えたくても変えられない宿命のようなものだ。
「私がどの魔力も使えるなら、どの竜とも――」
ニケのそれにシオンは目を細めた。その反応に、ニケが止まる。
「どの竜や精霊とも〈契約〉できるぞ。ニケが持つのは、魔力の原石だから」
シオンの発したその言葉に、ニケは喜びに安堵した。しかし、誰かがいなければ使えない魔力の意味に、果たして意味があるのかと思いめぐらせた。
「悩まなくてもいい。追々にして分かることだってあるさ。必要だからこの世に生まれるし、必要だから力を持つんだ。さ、もう寝よう」
ニケはうん、と力なくなずいてベッドにもぐりこんだが、シオンに頭を撫でられて、気持ちが落ち着いた。
「シオン、私もっと勉強する。私の魔力が役に立つようにどうしたらいいか、考えなくっちゃだと思う」
「ああ。ニケならできるさ」
言われてニケはほほ笑むと、ゆっくりと目を閉じた。
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