第85話 長い夜(1)



静まりかえった宴の会場で、俺と百合子は抱き合っていた。

この細腕に強い力を込めて俺を離そうとしない百合子は、子供の頃に戻ったようだ。


だが俺は、少し戸惑っていた。

俺と百合子の住む世界はあまりにも違いすぎる。

賢ちゃんが、ここにいる事が分かってて総代と百合子に声をかけなかったのは、そういう意味だろう。


「ゆりちゃん、少し落ち着こう」

「いや、絶対にいや!」


近くに来た百合子のお付きと思われる女性が、そんな百合子を見て驚いている。

百合子の警護官らしき背の高い女性も同じだ。


声をかけてやめさせようとしているのが、わかるが、その声を百合子にかけられないようだ。


でも、そんな時、藤宮久留美がやって来て話しかけた。


「百合子様、ここは危険です。直ぐに総代とお部屋にお戻りください」


流石の百合子も総代の名前が出ると、我を失ってた自分を取り戻す。


「わかりました。でも、かーくんも一緒じゃなきゃ嫌です!」


「ええ、東藤様もご一緒にと総代からも言われております。お二方、どうぞこちらへ」


藤宮久留美の案内で、俺と百合子は会場を後にする。

既に会場に残ってる人も半減している。

みんな自室に戻ったようだ。


俺は案内されてこの宴の階の下の階に行く。

ここ階はスイートルームらしく、僅かな部屋しかないようだ。


総代の部屋に着くと、藤宮久留美がドアをノックして名を告げる。

中から鍵が開けられて、老紳士がドアを開けてくれた。


「どうぞ、中でお待ちです」


その老紳士は、俺と百合子そして百合子のお付きの2人を中に誘った。


部屋に入ると聡美姉達がいた。

総代に言われてこの部屋に招かれたようだ。


「カズ君……」


そう言って聡美姉が俺の胸に顔を埋めた。

百合子はその姿を見て、少し驚いている。


「聡美姉も無事で良かった。他のみんなも大丈夫か?」


俺は、莉音、珠美、花乃果、穂乃果、雫姉、そしてメイを順番に見た。

皆、怪我もしてないようだ。


「百合子様、東藤様、こちらへ」


老紳士は、俺と百合子だけを奥の部屋に呼んだ。

中では総代が待っているのだろう。


俺達は招かれるまま、部屋に入る。

そこには、総代と西音寺の爺さんが座っていた。


「そこに座れ」


俺は言われるままソファーに座る。

百合子は立ったままだ。


「百合子も座りなさい」

「はい、お祖父様」


百合子も俺の隣に座った。


「さて、何から話そうか……」


総代は思案顔で俺を見る。

俺も総代の目をジッと見ていた。


「では、我から先に話そうぞ。先程は助かった。東藤和輝よ、感謝する」


口火を切ったのは西音寺の爺さんだった。


「そなたのおかげで出席者が怪我する事なく無事であった。今回の主催者として、また、粗相をしでかした公彦の祖父として謝罪と感謝を君に伝えたかった。

すまなかった。そして、ありがとう」


西音寺の爺さんは、俺に頭を下げた。

きっと、普段この爺さんが頭を下げることなどないのだろう。

その言葉と行為を俺は素直に受け取った。


「あの公彦とかいう分家の人の処分はどうされるのですか?」

「できればうちうちで始末したいが、事がことだけに骨が折れそうじゃ」


結局、誰にも分からないように始末するようだ。


「ところで、テレビを乗っ取った回線の主はわかっているのだろう?」


話をしてきたのは総代だ。

この祖父さんはその話がしたかったらしい。


「ええ、白鴎院賢一郎、俺と一緒の拉致されて一緒に生きてきた人です」

「この間、其方にあった時、賢一郎は死んだと言っておったな?」

「ええ、任務中に俺を庇って撃たれたのは本当です。死んだものと俺は思ってました」

「うむ、嘘偽りはなさそうじゃ。儂は賢一郎が生きている事を知っておった」


「……そうでしたか」


俺はそう答えたが、隣に座る百合子は驚いて目を丸くしていた。


「其方がこの日本来て1ヶ月前後の事、紫藤からそう聞いておった。紫藤はユリアから聞かされたようじゃ」


ユリアが絡んでいるのか……


「お祖父様は、お兄様が生きてるのを知ってて私に何もおっしゃらなかったのですか?」


「百合子、その通りじゃ。儂は懸念しておった。賢一郎が元の賢一郎では無くなってしまってる事をな」


「どういう意味でしょうか?」


「百合子、人は育った環境でその人格に影響を与える。カズキ、その方ならわかるな?」


「ええ、嫌というほどわかります」


「賢一郎が生きているとなれば、それはこの白鴎院家に災いしかもたらせん。だから、カズキのようにこの世界でもうまく過ごすことができたら受け入れても良いと考えていた。だが、それはもう遅すぎたようじゃ。賢一郎は元の賢一郎ではない」


「そんな……」


百合子は、愕然としている。

無理もないだろう。


「其方はどう思う?カズキよ、先程、賢一郎の誘いに乗らなかったのう、それは、お主が今の生活に生きがいを感じてると判断して良いのか?」


「時々わからなくなります。パニックになったりもします。ですが、戻れるなら戻りたいと思っています。ですが、それは所詮敵わぬ夢だと理解してます」


「うむ、辛酸を舐めた者しかわからぬ言葉じゃのう。ただ、今は、という話じゃ。この先、今と同じように過ごせばお主は戻る事ができると儂は思うぞ」


「そうでしょうか……」


「お祖父様もかーくんもそれってどういう意味なんでしょうか?」


「百合子、お前に紹介したかった男はこのカズキじゃ。同じ境遇を背負い道は別れたが、今二人揃ってここにおる。陽の当たる場所も闇に染まった見えぬ世界も苦しんだ事実は変わらん。その苦しみの度合いに違いはあってもじゃ。この先の未来の為に、お主達は過去を乗り越えねばならぬ。その時に一人よりは二人の方が良かろうと思っての事じゃ」


「俺は正直ゆりちゃんに会えて話ができた事は嬉しかったです。ですが、胸が締め付けられるほど苦しくもあります」


「かーくん、それって……」


「ゆりちゃん、聞いてくれ。俺は任務と言いながら何人も人を殺した。殺人者なんだ。だから、その罪は一生消えないし消そうとも思わない。過去は変えられないからね。そんな俺がゆりちゃんと一緒にいて良いはずがないんだ。これが俺の正直な気持ちだ」


「かーくんは好きでそんな事をしたわけではありません。被害者なんですよ」


「……そうでもないんだよ。俺は望んで殺したことも何度もある。自分の意思でだ。この感情は今でも同じなんだよ。俺は敵対する人間を可哀想だとか、倫理観で殺してはダメだとかそういうものが欠如してる。躊躇わずに引き金を引けるんだよ。そんな人間が普通だとは思えないだろう?」


「それは……でも、私はかーくんのそばにいたいです。いなきゃ嫌です」


「おそらく、賢一郎も同じなのだろう。儂と百合子がおった席で我々のことは無視をした。つまり、賢一郎には、もう、儂と百合子に関わるつもりはないとの意思表示だ。そうなのだろう?」


「ええ、俺もそう思いました」


その時、部屋のドアがノックされた。

入って来たのは藤宮天剣、総代の警護官だ。

手には紫色の布に包まれた長物を持っている。


「総代、このホテルのフロアーを制圧していた族達を制圧しました」


すると、天剣が持っていたハンドタイプの無線から懐かしい声が聞こえた。


「おっと、まだくたばってなかったか、こいつ!『ゴンッ!』総代ですか?紫藤です。このホテルの族は制圧完了です。ドームの方は警察関係がうじゃうじゃいて手出ししてません」


「そうか、ご苦労じゃったな」


紫藤さん達が来てくれてたのか、どおりで斥候のみでそれに続く部隊が来ないわけだ。


「紫藤さん、俺です」

「お〜〜カズキか。珠美に手を出してねぇだろうなあ?」

「元気にしてましたよ。それで、ドームの状況なんですが」

「警察が包囲している。中には爆薬が仕掛けられている。犯人は球場関係者及び2万8千人を人質にしてるよ」

「人数が多ければ良いとは限らないでしょう?統率が取れないでしょうしね」

「ああ、奴らは戦闘は素人だ。銃火器は本物だがな。素人ほどタチの悪いものはない」

「侵入できそうな場所はありますか?」

「排気ダクトがあるが敵が見張ってるかも知れん」

「それがどこだがデータを送って下さい」

「行く気か?」

「ええ、クラスメイトがいるようなので」

「わかった。聡美に用意させる。詳しい話はあいつに聞け」

〜〜〜〜〜


「すみません。俺はここで失礼します」


西音寺の爺さんと総代は黙って首を縦に振った。

だが、百合子は……


「かーくん、行っちゃうの?」

「ああ、そうだ、これ……」


渡そうと思ってた手紙を取り出して百合子に渡す。


「あ、、ありがとう。じゃあ、これはかーくんが持ってて。私2つあるから」

「そうか、船で渡したのも持っててくれたのか?」

「うん、あれは家にしまってあるよ」

「わかった」


百合子の手から渡されたのは俺が手紙に入れたハンドスピナーだった。


「無事でね」

「ああ、ゆりちゃんも元気でな」


俺は、ここにいる者達に頭をちょこんと下げてから部屋を出る。

待ってたのは、聡美姉達だ。


「カズ君、これ……」


渡してくれたのは白いお面。

確かにバレたらいろいろマズそうだ。


「弾薬は箱ごとバッグに入れてあるから、それとこれも使うでしょう?」


次に渡されたのは、オートマグ44。

44口径のマグナム弾を発射できる自動拳銃だ。


「これは改良版か?」

「うん、初期の物はいろいろ問題が多かったでしょう。だから、安定した改良版しか使えないよ」

「俺は大口径の拳銃は得意ではないのだが……」

「それはカズ君が動き回るからだよね。でも、静止した状態で撃てばその威力は計り知れないよ。それにその銃は雫ちゃんのだし、御守りとして持ってって欲しいんだってさ」


雫姉を見ると下を向いてモゾモゾしてる。

雫姉がこれを撃つとこが見たいと思ったのは言わないでおこう。


「わかった」


「用意できたのネ」


そう言ったのはメイだった。

メイは戦闘用の軽装に着替えている。


「私もです」


穂乃果も動きやすそうな服に着替えていた。

この2人はついてくるつもりらしい。


「行くか」


そう言って俺達は部屋を出たのだった。




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