第39話 沙希と映画



今日は日曜日。

憂鬱な日だ。

勿論、天気ではない。今日は雲が少しあるだけの良い天気だ。

気温も30度近く上がるらしい。

最近は温暖化のせいで世界中の天候がおかしいと思う。

きっと、人間は愚かな過ちを犯したのだろう。


だが、そんな事はどうでもいい。

今日は沙希と映画を見に行かなければならない。

過ちを犯したのは俺だ。

何できちんと断らなかったんだ。

そんな優柔不断な俺が嫌いだ。


だから憂鬱なのだ。


何もなく一緒に過ごせてた兄妹なら、ここまで憂鬱な気分になる事はないだろう。

だが、俺と沙希は別物だ。

実の兄妹でありながら、名乗りを上げることができないからだ。


待ち合わせの時間は、午前10時。今は9時20分。

駅の改札前広場には、まだ沙希は来てないようだ。

俺は、背もたれできる壁際に移動してバッグから本を取り出した。

本を読んでいる時は落ち着く気がする。


最近はミステリー小説を読み始め、今は「ガストン・ルルー」の「黄色い部屋の秘密」を読んでいる。この作品は雫姉に勧められたもので「密室殺人」の古典的傑作と言われているらしい。


本のに集中していると俺を呼ぶ声が聞こえた。

声の方を向くと沙希が俺の前で顔を覗いていた。


「先輩、さっきから呼んでるんですけど〜〜」

「す、すまない。集中してた」

「私より本の方が大切なんですか?」

「そういうわけではない」


沙希は俺の前でクルッと1回転した。


「どうですか?」


何がどうなんだ?


「回転が甘いな」

「違〜〜う!そうじゃなくって私の服どうですか?」

「ああ、似合っている」


何時もの制服姿とは違い、フレアなミニスカートにノースリーブのレースの入ったシャツを着ていた。


「それ、ちょっとした段差や動きでパンツが見えるんじゃないか?」

「先輩ってエッチなんですね。これは中はパンツタイプになっているから大丈夫なんです」


そういうのがあるのか?


「じゃあ行きましょう。シブヤでいいですよね」

「ああ、構わない」


俺と沙希は電車を乗り継いでシブヤに向かった。





日曜日のシブヤは、人で溢れていた。

休日を楽しむ者や、海外から旅行に来てる者。それと皆が休みなのに働いている者など様々だ。


人並みに流されるように駅からスクランブル交差点に出て映画館を目指す。

沙希が見たい映画はデパートの上階にある映画館らしい。


「シブヤにはよく来るのか?」

「友達とはよく来ますけど、あ、勿論女の子の友達ですから」


慌てる必要はないと思うが……


「先輩は、いつもその眼鏡をかけてますね。目が悪いのですか?」

「いや、目は悪くない。これは〜赤外線、じゃなくって紫外線をカットできるんだ」

「目に優しい眼鏡なんですね。それと、その前髪、セットしようとは思わないのですか?」

「これは、その仕様だ」

「仕様って?」

「そうだな、こんな感じが好きなんだ。うん」


沙希との会話は緊張する……

これを1日続けていたら保たないかもしれない。


「ところでどんな映画なんだ?」


「恋愛映画です。生き別れになった兄と妹が兄妹とは知らずに出会って恋をする話です」


「プハッ!ごほん、ごほん!」


「どうしたんですか?」


「ちょっと、唾が喉に絡んでだなぁ〜〜ごほん。もう、大丈夫だ」


こ、これは昼まで保たない……

絶対、無理……


「先輩、信号変わりましたよ。行きますよ」


なんで腕を組んで歩くんだ。

俺の心臓は激しく脈を打っている。


「先輩は普段何してるんですか?」


「特に何もしてないぞ。朝、5時に起床して少し体を動かしてシャワーを浴びる。それから、朝食をとって学校に行く支度を済ませる。あ、歯はちゃんと磨いているぞ。朝と夜寝る前にな。それから……」


「先輩、もう結構です。そういう事を聞きたかったわけじゃないんです」


「そうなのか?」


「そう言えば先輩、夏休みは何か予定はありますか?」


「ある日もあるけどない日もある」


「まあ、そうでしょうけど、私と海に行きませんか?」


「海か……ずっと潜ってるのは閉塞感があってやだけど海岸なら問題ないかな」


ユリアの乗ってる潜水艦は長い期間過ごすには辛い。


「ちょっと何言ってるかわかりませんけど、予定を開けておいて下さいね。約束ですよ」


約束……そう言えば昔も約束したな……

誰と何の約束をしたんだっけ……


「わかった。海岸ならOKだ」


「やったーー!」


嬉しそうに喜ぶ沙希。

本当なら、毎日こんな顔を見られていたはずなのだが……


沙希との辿々しい会話をしながら目的の映画館にやってきた。

カップルシートなるものがあり、沙希はそれを希望して狭い2人がけのシートに座った。


近い……


「先輩、恋人同士みたいですね。それとも兄妹かな?」


そんな沙希の言葉に「ドキン」と胸が高鳴った。

今日見る映画の内容と同じシチュエーションを真似ているだけだと思うが、俺の心臓には悪い言葉だ。


映画のストーリーは、面白かった。

際どいシーンを沙希と見るのは恥ずかしかったが、寝たふりをしてやり過ごした。

そして、ラストは結ばれると思っていた兄妹が別の相手と結婚するというハッピーエンドなのかバッドエンドなのかよくわからない内容だった。


沙希は、ラストが気に入らないらしい。

駆け落ちまでした兄妹がなんで数年後には別の相手とパートナーになっているのか信じられない様子だ。


プンスカ怒りながら歩く姿は、ブルドックのようだった。

どこも混んでいたので、空いてる店を探して昼食を済ませた。


こうして沙希と過ごしていると、時々昔からこうだったような奇妙な錯覚に陥入る事がある。

勿論、幻想なのだが、ありえたはずの未来を俺はあの時死んで見ているのではないかと思ってしまうんだ。

そんな事を考えると闇の中の引きずり込まれるような恐怖を感じる。


沙希、俺はどうしたらいい?


このまま他人として関係を築けばいいのか?

いっそのこと、真実を打ち明けて兄妹だと話すのか?

それとも当初のように沙希の前から姿を消して陰から見守る方が良いのか?


「先輩、先輩」

「あ、すまん。考え事をしていた」

「先輩って時々自分の世界の入ったきりになっちゃいますよね」

「そうだな、そうかも知れん」


「ところでこれ、どうですか?」

「少し際どくないか?ビキニの下が紐だぞ」

「言い方!ウエストを止めるところが紐なんです」

「とにかくそれは却下だ。悪い虫がつくかもしれない」


「もう、結構気に入ってたのに〜〜」


何故か沙希の水着を買うことになり、今、試着を済ませた沙希のビキニ姿を見て感想を述べてたところだ。


「これなんかどうだ?露出面が少ないし」

「先輩、それダサいです。何で全身タイツみたいな水着選ぶんですか?」

「とにかく海は危険が危ないんだ。海に入ってクラゲに刺されたら大変だし」

「私、さっきのに決めました」

「決めちゃたのか?」

「はい、決めちゃいました」


沙希はさっき試着した下が紐……ウエスト部分を止める部分が紐のビキニを買うらしい。


「わかった。じゃあ、俺が払うよ」

「いいですよ。この間のバイトのお金がありますし……」

「いいから、黙って買わせろ!これは先輩命令だ」


俺はレジに沙希お気に入りのビキニを持って、それを購入した。


「これ」

「ありがとうございます」


沙希に礼を言われるのも慣れない。


「さて、これからどうするか?」


「先輩、デートプラン考えてなかったんですか?」


「すまん、こういう事は初めてなんだ」


「……そうですよね。私も初めてです。そうだ。ハラジュクの方に行きませんか?広い公園もあるし神社もあるからのんびりできるかもしれません」


「そうだな、行こうか」


俺と沙希はデパートを出て駅に向かう。

スクランブル交差点のところで信号が赤から青になるのを待っていた。


人が道路に溢れ出てしまうくらい混んでいる。

沙希は腕を組んで離さない。

迷子になる心配がないのは、良い事なのだが……


歩行者用の信号が赤から青に変わる。

人が無造作に行き来し始めた。

俺達は、駅方面に向かい道路の中央部分に差し掛かった。


その時、駅から俺達の方に歩いてくる人影が見えた。

その姿は、多くの人並みの中でも直ぐに気付いた。


ま、まさか……


相手がどんどん俺達の側に近づく。

サングラスをかけて帽子を被っているが、その気配、姿、匂いを俺は忘れた事は無かった。

俺達は中央付近で交差した。

相手は、サングラスの奥から俺を見て笑みを溢した。

俺は呆然としている。

沙希は、俺を引っ張るようにその場から遠ざけようとしていた。

信号が点滅し始めていたからだ。


まさか、まさか、まさか、まさか、まさか……


後を振り返っても、もうその姿、気配は見えない。


まさか、賢ちゃんが生きてた……


俺は白昼夢を見たらしい。


白鴎院賢一郎、彼はこのシブヤにこの瞬間、存在していた。

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