第29話 昔の車で




今朝は、少し寝坊して朝6時に起きた。

身体を動かして、屋敷の周りを走る。

稽古場には、誰かが使った後がある。


メイは基本的に寝坊助だ。

あいつの場合、天才肌なので鍛錬というより遊びの延長の稽古でないとやりもしない。


とすると、雫姉……あ、そうか、樫藤姉妹か……


稽古場の裏手のログハウスに住む樫藤姉妹は、滅多に人の前に現れない。

屋敷にも来てるようだが、その姿を視認する事は殆ど無い。

それに妹はまだ1度も姿を見た事がない。

常に修行として、日常を過ごす彼女を俺は強い心の持ち主だと感心している。


俺も足捌きと左手のリハビリの稽古をする。

今日は、ウエノ美術館へ行く校外学習の日だ。

10時に現地集合の為、余裕で間に合う。


昨日は、聡美姉とメイは、入院中の知り合ったユートンさんのお金の回収をする為、ヨコハマにある事務所を訪れたようだ。


その人物を見つけ、たっぷりとお話して快くお金を多めに頂いたと喜んで話していた。


それと、白鴎院兼定、総代と呼ばれる人物から連絡が会ったそうだ。

明日の昼なら時間が取れるので、食事しながら紫藤さんの件を話すと言っていた。


俺達もみんな揃って朝食を食べていると、聡美姉が


「カズ君、今日はウエノの美術館に行くんでしょう?私が送って行くよ」

「悪いよ。電車で行くから」

「実は一昨日からミレーの『オフィーリア』が展示されてるんだよね。これチケット」


聡美姉は行く気満々だ。


「わかった。お願いするよ」

「は〜〜い」


何時もならメイも行きたいと騒ぐはずなのだが、黙々と目玉焼きを食べている。


「メイは行かないのか?」

「う〜〜ん、絵はよくわからないネ。私はユートンにお金を渡しに行くネ。約束したヨ」


先約があったのか……

でも、この間から俺を避けてる感じもする。


「あ、聡美姉、かかった経費と報酬、請求書は俺に回しておいて」

「うん、そうするね」


こういう事はきっちりしないと、後でトラブルとなる。

まだ、時間がありそうなので、俺は仕込む武器の調整でもしようと思っていた。





日常生活の中で持っていても怪しまれない物を武器に加工している。

日本の生活では銃や金属製のナイフは持ち歩かない。

確かにあった方が便利だが、リスクが半端ない。


虫除けスピレーは、催涙ガス。

良く使うパチンコ玉は、ポケットに袋に詰めてある。

メイとの戦闘で壊れてしまった金属製のシャーペンを補充しておき、腕時計に仕込んだワイヤーに油を馴染ませる。

合成樹脂を加工したナイフは、ズボンの太もも部分の両脇に隠しポケットを作って入れてある。

ユリアがくれた赤外線使用の眼鏡は、メイとの戦闘で壊れるかと思ったが無事だった。


バッグは防弾に優れたケプラー素材を使ってある物だ。

背中に背負える四角いバッグだが、盾として使える。


他にも細かな物はあるが、速度が落ちるよう物は無理だ。

あとは敵が持っていた武器を拝借すれば、通常は問題ないと言える。


あっ、これも持ってくか……


机の上に置いてあったハンドスピナー。

何故かこれを回していると気持ちが落ち着く。


「カズ君、用意できたよ〜〜」


聡美姉の呼びかけで、俺は自室を後にした。






「カズ君とお出かけなんてお久だね〜〜」

「この間、学校まで送ってもらったけど?」

「それとこれは別なのじゃあ〜〜、だって美術館だよ。デートっぽいでしょう?」

「ああ、うん」


嬉しそうに話す聡美姉に、違うとは言えない。

今日は珍しく、ズボンを履いてる。

何時もはヒラヒラのワンピースか、ミニスカートなのに。


「今日は動きやすそうな服だな」

「新鮮でしょう?こういう格好も」

「ああ、似合ってると思う」

「でへへ、ありがとう」


車の排気音が車内に響く。

今日の車は、年代物の車だ。


「聡美姉、この車って?」

「お祖父さんが好きだった車だよ。ランボルギーニ・ミウラって言うんだ」

「そうなんだ。俺もこれはよく知らない」

「私もだよ。今日は昔の絵を見に行くから、車も古くて格好いいのにしたんだ」


確かに格好いい。

メーターの数もやたらと多い。

今の車より車らしい感じがする。


「それより、車って何台あるんだ?」

「15台くらいかな。お祖父さんが好きだったからね」


車庫にはそんなに車があるのか……


「それより、カズ君が請負った金堂組の会長の娘の件だけど……」

「ああ、鰻沢って男の事か?」

「そうそう、どうも一方的にカズ君に依頼したようなんだ。それで、会長の金堂左近に聞いたんだけど、正式な依頼となりました」


結局、金堂組は動かないのか……


「明日の夜に会いに行くからね。お金の事とかあるし契約書も作らないと」

「そうか、紫藤さんがいない間にどうかと思ったんだ。勝手にすまない」

「いいんだよ。お金を得てその分の仕事はきっちりとこなす。ビジネスだからね」


車はビルが立ち並ぶオフィス街を走る。

この車を見て、眼を輝かせて懐かしそうに見ているのはおっさんばかりだった。


「それで今日見に行くミレーの『オフィーリア』って知ってる?」

「いや、知らない」

「シェークスピアのハムレットは知ってるよね?」


「ユリヤから聞いた事がある。デンマークの王子の話だったはずだ。確か『 To be, or not to be : that is the question 』って名言があるんだよな。日本語ではどう伝わっているんだ?」


「その訳はね、一般的には『生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ』って訳されてるけど、ニュアンスは少し違うかなぁ。『生か、死か、それが疑問だ』と訳してる人もいるし、シェークスピア全集の翻訳を手掛けた坪内逍遥は『世にある、世にあらぬ、それが疑問ぢゃ』って訳されてるんだ。でもね、ハムレットの話は復讐が話の主軸なんだけど、その運命に翻弄される人の心の葛藤を描いているんだよ。掻い摘んで言えば、デンマーク王が亡くなって、その弟、ハムレットにとっては伯父さんだね。その弟がハムレットの父親を殺したと知り、その復讐を果たすって内容なんだけど、そう考えると『復讐を果たすべきか、果たさぬべきか、それが問題だ』って解釈がしっくりくるんだ。まあ、この解釈は人それぞれなんだけどね」


「そうなんだ。それでオフィーリアって人物はどういう関係なんだ?」


「ハムレットの恋人だよ。王子のハムレットがデンマーク王が殺されたと知って気が狂ったフリをするんだよ。そして、いろいろあって恋人のオフィーリアの父親をハムレットは過って殺してしまうんだよね。それで、今度はオフィーリアが気が狂ってしまい、小川にかかった柳の木に登って落ちて亡くなるんだ。ミレーの作品はオフィーリアが落ちた後の姿を描いたものなんだよ」


「何とも切ない話だな。誰も救われない」


「そうだね。悲しいお話だよね。カズ君も興味があったら読んでみて。原文の方がカズ君には良いのかな?」


「読み比べてみるのも楽しそうだ」


聡美姉の車は、ウエノ美術館がある公園の通り沿いにある駐車場に入ろうとした。


だけど、警備員に止められてしまう。


「入れないの?」

「いえ、警備上の問題で免許証を確認させてもらってます」

「えっ、そうなの?もしかして、お偉いさんが来るとか?」

「申し訳ありませんがそれは、お答えできません」


聡美姉は、納得したのか免許証を提示する。

それを確認している間に、もう1人の警備員が車をチェックしていた。ナンバーを問い合わせているようだ。


車をチェックして、どこかと連絡している警備員は、免許証を確認している警備員に近寄り小声で話していた。


「藤宮聡美……もしかして藤宮家の方ですか?」


「はい、そうです。藤宮家の事を知ってるという事は、今日のお方は名家の方なんですね?」


「申し訳ありませんが、それに関してはお答えできません」


「その返答でわかりました。今日来たのは偶然だったけど、被っちゃったみたいだね〜〜」


聡美姉は、警備員に話しかけて、すぐに俺をみる。


「こればかりは仕方がないよ。俺は学校行事だし」

「そうね、他の人が警備してくれるなら安心か」


警備員に誘導されて車を駐車スペースに止める。

反対側の奥には、バラコーンが置かれており広いスペースが確保されていた。

周りには警備員が数人控えていて、その駐車スペースを守っているようだ。


聡美姉は、さっきまでのテンションと違い顔色も少し悪い気がする。

藤宮家と知られたことで俺は気にしているのかと勝手に思い込んでいた。


「気にしても仕方がない」


「そうだよね。うん、せっかくのカズ君とのデートだし、気分変えてレッツラゴー!」


無理に明るく振る舞う、聡美姉は何だか見ていて心がいたい。

それは沙希と遭遇した時の痛みとは、また違っていた。

何かを言ってあげたいのに、言葉にできない。

心に重石を置かれたような、そんな気分だった。


待ち合わせは、噴水のある公園広場だ。

まだ時間もある。

俺はテンションの高い聡美姉に連れ添って、美術館周辺の公園に足を踏み入れた。


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