インミシベルな玩具〜暗殺者として育った俺が普通の高校生に〜

涼月風

第1章

第1話 クズ仕事



 夜の繁華街、路地に建つホテルに紺色の帽子を目深に被りマスクをした男が台車を押しながら入って行った。

 受付を通さずに指定された部屋に入ると、そこにはソファーに腰掛けてタバコを吸っている中年女性が不機嫌そうな面持ちで入って来た男に向かって声をかけた。


「あんたが掃除屋かい?」

「……はい」


 そう言いながらグラスに注いだ酒を煽ると羽織っただけのバスローブが少しはだけ、胸から肩にかけて桜の花が描かれた刺青が見えた。

 年齢は40〜50だろうか、裏の世界に長く関わってきた風貌の女性だ。


「ふ〜〜ん、まだガキじゃないか。本当に掃除屋なんだろうね!」


 刺青を入れた女は、少しドスの効いた声で男に問いかけると値踏みする様にジロジロと紺色のツナギを着て帽子を目深に被った男を見つめた。


「そうです。あれを処理すればいいんですね?」


 男は、ベッドにうつ伏せになっている裸の男を見てそう言った。


「ああ、早いとこ頼むよ」


 グイッとグラスに入った酒を煽り、女は男の作業を見ている。


 男は、無造作に台車に積んであったダンボールの中から厚手のビニールでできた大きな袋を取り出して床に敷く。そして、ベッドに寝転がっている男を抱えてその袋の中に押し込んだ。


 台車に積んであったダンボールにその袋を入れると、女に向かって声をかける。


「すみません。男の着ていた服はありますか?」

「そこのクローゼットに掛かっているよ。もしかして私に働かせるつもりなのかい?こちとら客だよ」

「いいえ、全部こちらがやりますので休んでいて下さい」


 そう言いながらクローゼットに向かい掛かっている背広を無造作に取って、持って来た袋に積み、ベッドのヘッドレストのところにあるスマホや財布も袋に入れる。


「作業終わりました」


 男が入って来てから凡そ5分。

 依頼された仕事は完了したようだ。


「へ〜〜あんた、華奢な身体してるのに、意外と力あるんだね。それに余計な事も聞かない。まあまあ合格点だね。それにガキだけど顔も悪くない。あっちの方はどうなんだい?」


 女は男の下半身に目を向けてニヤニヤと笑っている。

 そのニヤけた笑いには、当初の不審者を見るような眼つきは消え失せ、新たな獲物を見つけた猛獣の眼をしている。


 男は、そんな事を無視してポケットに入っていた紙片を取り出して、女の前に差し出す。


「サイン頂けますか?」


「なんだい。ノリの悪いガキだね。わかったよ。サインすればいいんだろう」


 テーブルの上にあったボールペンで殴り書きする様にサインをして男に突き出す。


「ほらよ。それとこれは小遣いだ。帰りに女でも買うんだね」


「ありがとうございます」


 男は遠慮無しで、紙片と一万円札数枚を受け取った。

 その間に女の手は、男の股間に手を伸ばしていた。


「ほお〜、割と大きいじゃないか。今度私とどうだい?」


「それは業務外なので遠慮しておきます」


「チッつ!ガキは扱い辛くて面倒だね」


「失礼します」


 男は、軽く女に挨拶して、台車を押して部屋を出た。

 部屋の中からは『クソッ!どいつもこいつも!!』と悪態の吐く女の声が漏れていた。





『ガラガラ……』


 台車を押してホテルを出ると、大通りに止めてある白い商用車のバンの前に立ち止まる。

 この時間の繁華街は多くの人が行き交っているが、男の動作は自然であり、誰もが配送会社の者だと思うだろう。


 車の窓がゆっくりと開いて、運転席に座っていた若い女性がその男を見つめた。


「20:17、任務完了」


「任務ご苦労様、さっさと車に積み込んで」


「……はい」


 商用車の後ろのドアを開いて台車の置かれていたダンボールを乗せる。勿論、台車もそのまま脇に押し込んだ。


『バンッ』と音を上げてドアを下ろすとその男は助手席に座る。

 そして、運転石席の女性を見て尋ねた。


「行きに車を運転して来たのは紫藤さんだったはずだ。あの人はどうした?」


「え〜〜っ、カズ君はあんなくたびれたおっさんがいいの?」


「そう言う意味じゃない。変更があったら事前に教えておいてくれ。そうじゃないと過って殺してしまうだろう?」


「はあ〜〜全く、カズ君は……紫藤所長は別の任務で出かけたわ。私は急遽呼び出されたってわけ。それに分かってると思うけど任務途中で作戦が変更になる事なんて山ほどあるわ。現場はその時の状況で変わるのだからね。それと、カズ君に会うのは2度目だけど私の事は覚えているわね?」


 運転席に座ってハンドルを握っているのは、ふわふわの白い素地に小さな花が点在してるガラのワンピースだ。

 女子大学生のような格好だが顔は幼い。それにその幼顔と主張し過ぎる胸の大きな膨らみは、どう見てもアンバランスだ。


「事務所で会っている。藤宮聡美20歳。身長158センチ、体重……」


「わあ〜〜!!カズ君。それ以上は言っちゃダメ〜〜」


 慌ててハンドルを離してカズ君と呼ばれる男の口を塞ぐ動作をするが、男はそんな様子を冷静に見つめていた。


「わかった。運転中は余計な事は言わないでおく事にする」


 商用車は、まだ止まったままだ。


「そうね。余計な事を言う子は嫌いよ。カズ君、なんで赤ずきんちゃんはお婆さんに化けた狼に食べられちゃったと思う?」


「赤ずきんと言うのは童話の話のそれか?それなら初めから赤ずきんを食べるために変装してたからだろう?」


「それは正解じゃないわ。赤ずきんちゃんは変装したお婆さんに『耳が大きのは何で?』とか『口が大きいのは何で?』なんて余計な事を聞いたからなのよ。だから、赤ずきんちゃんは変装した狼に食べられちゃったの」


「……尋ねなくとも食べられてしまったと思うけど?」


「結果は同じでもその過程のどこかで赤ずきんちゃんはが狼から逃げ出す事もできた未来があったかもしれないでしょう? 余計な事を聞かないで持って来たワインとチーズを渡していれば、もしかしたら狼は先にそれを食べる可能性も残されていたわ。例えば、ワインを飲み過ぎて狼が酔っぱらちゃうなんて事もあったかもしれない。それに狼が変装したお婆さんがそれらを食べる姿を見て赤ずきんちゃんは本物のお婆さんじゃないと気づく事もできた。隙を見て逃げ出す事も出来た」


「狼と子供の足の速度ではその可能性は極めて低いと思うけど?」


「わからないじゃない?だって、その後に猟師さんが来るのよ。逃げてる途中でその猟師さんとばったり会って助かるかもしれないでしょう?」


「詭弁もいいところだな」


「そう、詭弁でも可能性はゼロではない。だから、余計な事は聞かない方が良いのよ。それに女の子は誰でも心の中に動物を飼っているわ。余計な詮索をして私の中にいる狼が目覚めてしまったらカズ君に『ガオーー』って襲いかかるかもよ」


「‥‥…何が言いたのか理解できないが、余計な事を聞くな、喋るなと言う事は理解した」


「そう?わかってくれて嬉しいわ。じゃあ、カズ君。お姉さんと夜のドライブに行きましょう」


「ああ、安全運転で頼む」


「まっかせなさ〜〜い!」


『ブォォォ〜〜ン』と大きな排気音を立てて車は夜の街に消えて行った。


 だが、そんな様子を見ている人もいた。


「ねえ、カエデ?さっき東藤君がいたんだけど……」

「東藤って、あの転入して来た髪の毛もっさりしている男子?」

「ああ、確かに居たね。そんな男子。ボッチの陰キャのやつだろう?」

「ああ、あの冴えないやつね」

「確か東藤って中学の時に傷害事件起こして院に入ってたんでしょう?怖いわね。そんな男子と同じクラスなんて」


 5人組の女子は緑扇館高校の制服を着ている。

 学校帰りに何処かに寄ってきたようだ。


「東藤君って、そんな子じゃないよ。海外暮らしが長くてこっちの人とのコミュニケーションの取り方が良くわからないんだって言ってたよ」


「へ〜〜そうなんだ。結衣って東藤と話したことがあるんだ?初耳だよ。何で教えてくれなかったのさ」


「同じ美化委員だもん。委員会活動の時お話ししたんだ。東藤君、割と話してくれたよ」


「祐美とあの陰キャの話は分かったけど、こんな時間にあいつは遊ぶ相手もいないでしょう?結衣の見間違いなんじゃないの?」


「ううん、あれは東藤君だよ。紺色のお仕事着着て台車を押してたもん」


「ははは、なんだ。遊んでたんじゃなくってバイトしてたの?笑っちゃうね」


「そうだよね〜〜遊ぶ相手なんかいなそうだもんね。それでさ、今日の美咲の歌とダンスキレッ、キレッだったね」


「うん、上手だったね。またみんなでカラオケ行こうね」


 雑踏の中、そんな会話をしながら女子高生たちは駅に向かって歩いていた。



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