10●『未来少年コナン』(9)人物万華鏡:悪玉編1、レプカとダイス、その罪と罰

10●『未来少年コナン』(9)人物万華鏡:悪玉編1、レプカとダイス、その罪と罰



 『未来少年コナン』の大きな魅力は、キャラクターの豊かさです。

 万華鏡のように、さまざまな人物が画面を巡ります。

 テレビシリーズの『未来少年コナン』は十三時間近くの大長編。

 登場キャラが多く、かつ繊細な描き込みがなされています。

 この点、のちのジブリアニメは二時間ほどの劇場映画なので、キャラの数は絞り込まれ、光る脇役や意外と記憶に残るチョイ役は限られてしまいますね。

 それぞれ一長一短というところでしょう。


 ということで、登場キャラの考察です。

 今回は、悪玉を中心に扱ってみましょう。

 なぜ正義のヒーローヒロインよりも悪玉が優先かというと……


 なにしろ、悪あっての正義。

 悪役が暴れて悪事を働く(もしくはその恐れがある)からこそ、正義のヒーローヒロインが存在できるのですから。

 悪が登場しなかったら正義のキャラは失業です。プロローグで全滅です。


 逆に言うと、正義のヒーローヒロインは“恒久的に悪を必要としている”のですね。

 ちょっと怖い理屈ですが、現実の世界はそうなっています。

 仮想敵国あればこそ、軍隊が堂々と市中を行進する。

 犯罪者集団あればこそ、警察は社会に支持される。

 誰かが加害者と疑われば、ネットでいわれのない誹謗中傷が炎上する。

 自分が正義であるために、撃つべき悪を求め続ける人々が、相当数おられるのも現実でしょう。

 正義を標榜する社会は、常にスケープゴートとなる“悪”を求め続けます。


 まあ、その功罪はさておき……

 まず、“悪”がどのように描かれるかで、その作品のテーマがくっきりと浮かび上がるというものです。


 では各論にまいりましょう……



〈レプカ局長〉

 インダストリア行政局長であり実質的な独裁者。

 作品中の悪の権化。究極の悪であり、ギガントを飛ばすあたりでは、ラスボス感をふんぷんと漂わせましたね。

 本当に“つけるクスリがない”心底の悪人として描かれています。

 “死ななきゃ治らない”ワルぶりなのです。


 いわゆる宮崎アニメの中では『ルパン三世カリオストロの城』のカリオストロ伯爵、『天空の城ラピュタ』のムスカ大佐と並んで“悪玉三兄弟”とでも称するべきかと存じます。


 この三悪トリオに共通するのは、ただひたすら“支配”することを人生の目標としていること。

 何を支配すべきか、そのことにいかなるメリットがあるのか……といった人生の迷いは一切なく、“支配すること”だけを目指してエネルギッシュに行動します。


 ただしレプカの場合、ギガントを飛ばして世界を支配したところで、支配下に入る生産性のある国はハイハーバーくらいで、あとはプラスチップ島の無気力住人ばかりです。世界に君臨するメリットはほぼ皆無で、ハイハーバーと無暗に戦争せず、平和的に妥協してどこかの島の王様に収まった方が、豊かな生活を得られるでしょう。


 本人、頭がいいので、そんなことは全部承知の上です。

 それでも、支配したいのです、君臨したいのです。

 “ただ、支配するために君臨する”

 なにひとつ得られなくても、とにかく支配する。

 それがレプカの人生と言うことでしょう。


 こんな“支配偏執狂”ともいうべき人格は、ほんとにレプカくらい……と思ったら、さにあらず。

 私たちの現実世界に、いくらでもいるのではありませんか?

 教育と支配をはき違えたパワハラ校長。

 法律を無視して自分は正義だと思い込む冤罪警察官。

 自分は神様だと信じている収賄政治家。

 愛する子供を、絶対に自分の言いなりになるように躾けるDV親。

 けっこう身近にいるのかもしれません。


 だから、レプカの悪役ぶりが冴えわたるのです。


 日本国の刑法に照らせば、殺人罪で死刑か無期懲役でしょう。

 未遂ではなく、ギガントの機体上とかで、確実に何人か故意で直接に殺していますから。


 極悪非道で、かつ頭脳明晰なレプカでしたが、コナンたちの活躍の前に完膚なき敗北を喫しました。

 最大の敗因はやはり、腹心の部下モンスリーの背信でしょう。

 インダストリア唯一の海上戦力であるガンボートと精鋭部隊を任せるほど、彼女を信頼していたのが裏目に出ました。

 そして、ほかに一人として、忠実な部下を育ててこなかったこと。

 ギガントを飛ばす直前で、その行為に疑問を持ち意見した部下を、彼は迷わず射殺します。この時、レプカは部下たちを支配する手段として、恐怖以外の方法を持っていないことが物語られます。

 それゆえ、コナンたちのギガントへの攻撃には、部下を頼ることができず、自分独りで率先して対処するしかなくなり、そしてギガントの運命が絶望的となった時、自分独りで脱出する道を選ぶことになります。


 第22話で、ラナを人質にしてフライングマシンで逃亡を図るレプカ。

 逃げる途中でスーツケースが開き、着替えや洗面用具が散乱します。

 つまり、いつでも一人で逃げ出せるよう、荷造りを整えていたということですね。

 この場面が伏線となって、第25話でギガントからいち早く脱出しようとする場面につながるわけです。

 本質的に彼は、臆病者だったのでしょう。

 支配するための権力を得ることにひたすらこだわり、得た権力が自分と同じ何者かに奪われはしないかと、どこかで怯えている。

 

 人の欲はブラックホールよりも深い。

 けれど、底無しの自分の欲に、自分がまず呑まれてゆくのですな。

  

 典型的な、独裁者の末路。

 作品中の役を見事に演じきった、その最期に拍手、ですね。   




〈ダイス船長〉

 典型的な“日和見主義者”。自分を取り巻く状況の変化を機敏に読み取って、すかさず有利な側につきます。

 本人、自分は善人だと信じ切っているようですが、実態は善悪の判断よりも、その場その場に最適化しようとしているだけに見えます。


 ただし彼は、ひとつだけゆるぎない信念を持っています。

 “バラクーダ号、命”

 ……とでも背中にイレズミを彫り込んでいても不思議でないくらい、自分のフネを愛していることですね。

 バラクーダ愛。

 このことが彼を、レプカのような冷酷無情な独裁者に落ちる餓鬼道から救っていきます。


 バラクーダ号は、主に人力操作に依存する機帆船。

 船長以下、乗組員全員がワンチームで結束しなければ、船は動かないだけでなく、難波したり、船内叛乱の危機に直面します。

 チームをまとめる鉄の規律は必要であり、規律に反した者は厳しく罰されますが、よほどの重罪でなければ殺されることはなく、本人の意志に反して船を放逐されることはありません。船にとって、有用な労働力を一人失うことになるからです。


 第3~4話で、バラクーダ号に乗り込んだコナンとジムシイは乗組員からこっぴどくリンチを受けているように見えますが、そもそもの原因は、二人がおふざけで無銭飲食や器物損壊行為を繰り返したことにあるわけで、利息込みの強烈なお仕置きが返って来たことになるわけです。

 子供だからといって甘えは許さない、オトナの懲罰だったわけですね。

 そのあたりの事情を理解したコナンは黙って罰を受け、ジムシイを促して労働に従事します。


 どうやら、ダイス船長が統治するバラクーダ号は、こんな規律に支配されているようです。

 “悪さをしなければ置いてやる、働くなら食わせてやる”


 コナンとジムシイは、バラクーダ号で“仕事と職場”のなんたるかを学ぶわけで、その経験が後日、ハイハーバーの社会への適応を容易にしたと思われます。


 ですからダイス船長はあくまで船長であって、レプカ型の独裁者とは違いますね。

 個人的な欲望よりも、チーム・バラクーダとその船の維持が最優先になるのです。

 ロケットの部品を開発する町工場の社長さんみたいなものですか。

 それも、オヤジ感覚満載の、社長というより大将といった感じの。


 だから彼は、悪玉でありながら、悪からは外れます。

 善悪ではなく、ひたすらバラクーダを愛する人間であり、その点においては、日和見主義者でありながら、全くブレがないのです。


 ハイハーバー到着後は、オーロと結託してでも、座礁したバラクーダ号の再建を目指して行動しています。コナンとジムシイの小屋を焼いてしまうという、ちょっとおマヌケな結果になってしまいますが……


 そして、ダイス船長のバラクーダ愛の最大の要因は……

 バラクーダが、自由の船であること。

 外洋を航海している間は、ダイスとその乗組員はレプカやモンスリーの支配を離れて、独立した生活を送れるのです。

 交易のノウハウを積んでいくにつれ、インダストリアがなくても独立採算でやつていく自信がついてきます。

 しかも、決定的なのは食事情。

 当たり外れはあるものの、自助努力で新鮮な海産物を入手できます。

 それをレプカやモンスリーに上納せず、自分たちの腹に入れることができます。

 これは大きい。


 ひとつチャンスをつかんで、レプカやモンスリーの支配から晴れて独立できないものか……

 そう考えていたところで、ラナ嬢の誘拐を思いついたのでしょう。

 レプカやモンスリーが血眼で追い求める美少女。

 事情はよくわからないものの、バラクーダ号が真の自由を得るための決定的な“持ち駒”としてダイス船長がラナを手に入れ、利用しようと着想したのも無理はありません。


 独立した船を操るダイス船長にとって、世界を支配する太陽エネルギーはもとから不必要。バラクーダに必要なのは帆と風なのですから。

 だから、ラナは責めて白状させるべき捕虜ではなく、懐柔しておとなしくなってほしい賓客として扱います。

 レプカとモンスリーはラナの手足に拘束具を着けますが、ダイスは基本的に、部屋に監禁するだけで、手足の自由までは奪いません。ここに両者の生き方の違いが表現されています。

 もっとも、そのためラナに逃げられたりもするのですが……


 さて第8話、一度はインダストリアからの脱走に成功しながら、夜の海でガンボートに追いつかれ、あえなく降参……と言う場面があります。

 ここで、バラクーダ号には銃器が搭載されておらず、ほぼ全くの非武装船であったことがわかります。ガンボート戦闘員から向けられた銃に対して、ドンゴロスたちは手を上げるしかありません。

 なるほど、そうですね。もしもバラクーダ号に武器を与えたりしたら、速攻でスタコラと脱走し、インダストリアから独立していたでしょう。レプカとモンスリーは周到に案じて、日ごろからダイスたちに武器を持たせないよう腐心していたのでしょうね。


 一応悪玉ながら、ダイスの罪は、ラナに対する未成年者略取誘拐と、コナンとジムシイに対する暴行、と言うところでしょうか。

 懲役十年くらいに相当するかもしれませんが、その後、ラナとラオ博士の救出に尽力した功績で執行猶予か恩赦でチャラになったのでありましょう。


 職場と仲間を守る、親父。それがダイス船長の本質であり、愚かでありずるくもあるけれどどこか憎めない人間味を、この物語に添えていますね。


 ちなみに、ダイス船長を善玉化したキャラクターが、ハイハーバーのガルおじさんでしょう。

 島の裏側へ船を出してチートたちと交易するあたり、善玉側のダイス船長ですね。

 息子たちのチームを率いて漁に精を出すところも、そうです。

 最終話では、悪玉のオーロを引き取って職業訓練し、更生の道を歩ませているようで、指導力もなかなかのもの。


 つまり……

 ダイス船長とガルおじさん、二人のタイプはやや異なるものの、物語中では“父親”のなつかしき典型例として描かれているのだと思います。

 もっとも、あくまで“昭和の親父”なんですが。


 ラナをせっかく船長室に招いて歓待したのにすげなく無視されてブチ切れ、テーブルの食事をひっくり返すダイス。

 その“卓袱台ちゃぶだい返し”ぶりは、まんま昭和三十年代ですしね。


 第11話で、ダイスは砂漠に拘束されて死刑を執行されているところ、フライングマシンで通りかかったラオ博士、コナン、ラナに救われます。

 これが、ダイスをハイハーバー側に転じさせる、決定的な動機となります。

 インダストリアからは反逆者として命を狙われる身、こうなるとラナ嬢のお慈悲にすがってでもハイハーバー側に媚びを売るしか生き延びる道はない……。

 相変わらず日和見主義の結果で、身から出た錆びには違いないのですが、ダイスにしてみれば他に選択肢のない、合理的な決断だったことと思われます。

 この決断が、後日、モンスリーとのロマンスに結実していくのですから、人生、皮肉なもの。とはいえ全編を通じて、最も大きな幸せを手に入れた男はダイス船長ということになりそうですね。 






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