2024年1月31日 味が薄くなる

伝承からで、お供え物の味が薄くなるのはごく普通の様です。まあ儀式的に言えば、線香の匂いと交えてよく分からなくなるが、ややの見解です。あとはお供えしてると熱々ではなくなるから、それも要因らしいです。


ですが。私の家は、線香全く炊きません。いや新型コロナに感染しただろうもありますが、3年前に父親が死んだ頃より顕著です。まあ父親は呆れる程、他所様の分まで食べますし。


そこに、まだ1年経ってませんけど母親が死んでからが、特に味が薄くなったかなです。

まあ、以前はスーパーに勤めていて。日々、今日何買って帰ると嬉しいかなと、小さな幸せを与えていました。

母親曰く何でも美味しいとは言いました。まあ品質には自信のあるスーパーだったのでそれはそうなのですが。単純に私が選んで買って帰るから何でも美味しいんだろうなはありました。ここは、何でも美味しいじゃんが、照れですけど。


そうなんですよね。スーパーとかコンビニに勤めていると、何かと下に見られて、今もその好奇のやや渦中ですけど。それとなく、小さな幸せを売ってるんですよね、小売業の生業というのは。気づく方はままいないでしょうけど。

退職する前に、それをスピーチ原稿に盛り込んでいたのですけど。脱出組扱いされたか、お別れの言葉は無し。まあいいやですけど。



やや話を母親に戻して。乳がんになってから、日に日に老いていくのですが、とにかく食わせれば何とか生き甲斐になるかと、「生きていれば、美味しいの食べられるから」と奮起させていました。

頑張ったとは思います。しかし、咀嚼がうまく出来なくなって、もう時期なのかなと、互いに声に出さずとも、それでも頑張って生きて貰ったと思います。


そして、いよいよ身体に力が入らなくなって、入院するのですけど。ここでの入院は終末治療です。でも、ここからいつも不思議と元気になって、どうせ1週間で退院するかとたかを括ってました。

明日休みだし、チョコの袋菓子買って、退屈しのぎのラジオも買って、まあ差し入れしようかなでした。

遅い昼寝しようとした時に、病院から息していないの一報貰った時は、歩いて5分の病院に走りました。そこには息をひき取った母親がいます。

ここ何となく気づいていました。美味しがりの母親が病院食に満足する筈もないから、持つかなと。私がいないとダメじゃないか。まあ案の定、病院食ほぼ残して天国に行ったようです。

昼寝出来ずに疲れてもいましたが、腰に抜けるというか、看護師さんから貰った椅子に想像以上の体重が乗ります。



まあそんなこんなで、今でもつい母親の分迄の菓子パンやお菓子を買ってしまいます。もう習慣かな。それはそれで、今でも小売業特有の美味しそうな食品を選ぶ勘は健在のようです。


そうとは言え、仏壇に備えると味が薄くなるので、本当美味しいのか、これは。まあご愛嬌ですね。

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