おかしな日記'20

明智 颯茄

哲学をいまさら述べてもな……

 他の作品で、あの世を中心とした日記みたいなものを書いているが、私はそもそもこの世で生きており、この世界のことに熱中すると、向こうの世界のことはおろそかになる――ネタがなくなる。


 というわけで、この世界のことも含めて日記を書いていこうという試みだ。表題の通り、哲学をいまさら述べる必要もないが、心にしみた言葉を今日は書き記しておこう。


 私は以前、飲み歩くことが好きだった。酒が入ると、警戒心は自然と少なくなるもので、隣の席にたまたま座った人と話をする――なんてこともよくあった。


 いろんな話を聞いた中で、かなり年配の方が言っていた言葉を今も思い返す。


 それは、ぜんの話だ。正座して静かに座っているが、心が乱れると肩をパンと叩かれる――あれである。問題は、どうして心が乱れるかだ。


 例えば、花が目の前に咲いているとする。それを見て、人はこう思うのだ。


 綺麗な花だな。

 なんていう名前の花なんだろう。

 あれを持って帰りたいな。

 育ててみたいな。


 これが心の乱れになるのである。つまり、感情で動いてしまう脳になっているのだ。禅の教えはただ、


 花が咲いている――。


 これだけだ。その先を考えると、欲が出てくるのである。これを他の物事に置き換えると、こうなる。


 私は現代医学では治らない、精神病を患っている。これを、禅の考え方にすると、


 病気である。


 ただそれだけだ。


 だが、人間、これがなかなかできないのである。


 私は障害者になってしまった。

 一生、薬を飲み続けなければならない。

 健常者のようにできることが少ない。

 悲しい……などなど。


 しかし、年齢を重ねると、禅のような考え方ができるようになるものだ。今では、ただの事実として捉えているだけ。感情は乗せない。


 いい言葉を教えていただいたと、その方に会えないながらも感謝しよう。


 2020年6月17日、水曜日。



 ――追記。

 今日は子供達の夏休みの期間が決まった。七月一日から九月三十日までだ。三ヶ月丸々ある。子供たちは大喜びだ。(可愛い)

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る