ハルキゲニア

 さてデートの続きを始めよう。僕はパンケーキ屋さんでお会計を済ませると、女子高生二人の注目をよそにそそくさと店を出た。ないとは思うが、後をつけられて動画でも撮られたらたまったものじゃない。坂を急ぎ足で下りて、駅を目指す。


 渋谷の街中で坂をリズミカルに下りていると、デートプランがぼんやりと僕の頭の中に浮かんできた。普通のデートとは違い、砂のチャージに時間が必要だ。移動時間を有効に使わなくてはならない。僕は駅まで着くと、改札を抜け、ウグイス色の電車に乗る。次の目的地は博物館だ。


 昼頃の空いている車内で僕は席に腰掛けると、いつも通り日本史の教科書を開く。この時間もまた時が止まったように感じる。何かに集中していると時間はあっという間に過ぎていく。




☆☆☆




 ガラスケースの中で、照明に反射して赤銅色に輝いたアンモナイトの化石が悠久の時を告げる。誰もいない博物館で、展示を二人占めしたヨスガは古生代の生物の展示に夢中になる。かつて古代の海を悠々と泳いでいた生物たちも、今は化石となってその姿を残すのみだ。展示経路を奥に進めば進むほど、時代は古いものになっていく。




「ピカイアに、こっちはオパビニア。あっ、ハルキゲニアもいますね」




 ヨスガはガラスケースを眺めながら、興味津々に見つめる。僕は半歩後ろで彼女の後をついていく。アンモナイトはわかるが、ここまで来るとマイナーすぎて名前すら聞いたことがない。ヨスガの古代生物に対する知識量に僕は圧倒される。




「ねえソウくん。ハルキゲニアって可愛くないですか?」




 ヨスガが振り返って僕のほうを見る。その目は輝いていて、まるで幼い少女のようだ。ヨスガが指したハルキゲニアの復元図は、ムカデが横向きに海の中を歩いているように見える。どちらが前なのか後ろなのか。顔らしいものは一切見当たらない。前衛芸術の彫刻さながらだ。




「うーん、可愛いのか、これ……?」




「失礼ですね、可愛いじゃないですか」




 ふん、とそっぽを向いて、ヨスガはガラスケースの前を進む。古生代の生き物たちは僕に言わせれば地味だ。さっきみた中生代の恐竜や首長竜の化石のほうが見ごたえがある。




「不思議ですよね、何億年も前の海にはこんな生き物たちが泳いでいたなんて」




「そうだな。地球じゃない、なんか別の惑星みたいだ」




「ふふ、確かにそうですね」




 生命の起源の展示の前でヨスガは立ち止まり、こちらに向きなおった。




「でももっと不思議なのは、この生き物たちが何億年も先の未来で、人間たちに見つかって、名前を付けてもらって、こうやって博物館で今生きている生き物と同じようにその姿を想像ができることです。想像の世界で何億年もの時間を超えて蘇る。これってすごく不思議なことだと思うんです」




「ずっと眠り続けていた生き物が、人に化石を見つけられて息を吹き返す。確かに不思議だ」




「変なこと尋ねてもいいですか?」




「え? なんだよ急に」




 質問にうろたえた僕に、咄嗟の間に笑いをこらえきれなかったヨスガがくすくすと笑いだす。




「ごめんなさい、驚かせっちゃって。そんな大したこと訊かないので落ち着いてください」




 そういって口元にあてた右手を、あごの下まで持ってくる。




「……死って、何なんでしょうね?」




「死?」




「はい、死が体を失うことだとすれば、私の頭の海を歩いているハルキゲニアは死んでるんですかね?」




「ハルキゲニアの意志はないのだから、死んでるんじゃないのか」




「だとしたら意志をもたない無機物や言葉には、死は訪れないのでしょうか?」




「言われてみればそうだな」




 建物だっていつかは朽ちるし、言葉だって死ぬ。死語という単語があるように。




「私は体が無くなることが、何かが終わることが死だと考えたくはないんです。たとえ二度と会えなくても、記憶の中で生きているのなら死んではいないとそう思っていたいんです」




 死生観について語るヨスガは、博物館の照明の陰にもなり暗く、くすんだ表情をしていた。僕は死だとか終わるだとかいう単語に胸が締め付けられる。夏休み最後の夕日を見るような、寂寥感に溺れていく。




「それってつまり」




「ごめんなさい、忘れてください」




 僕の言葉を遮るようにヨスガが言った。つまりの後、僕はヨスガが別れの時を惜しがっているのか訊くつもりだった。




「次に行きましょう」




☆☆☆




 博物館の売店でヨスガは再び目を輝かせた。展示室で夢中になった横になったムカデ、ハルキゲニアは意外と人気らしく売店にはなんとぬいぐるみまで置いてある。少し前に流行ったダイオウグソクムシと違って普通にグロい。可愛くない。




「うわ! めちゃくちゃ可愛くないですか?」




 ぬいぐるみを抱えて僕をいじらしく見つめる。可愛くない。いや、もちろんヨスガのこの姿はすごく可愛いのだけれど。




「うん、まあ、小さいから愛らしいよね」




「ですよね! はあ可愛いなあ」




 顔をくしゃくしゃにして夢中になるヨスガの姿に、僕の心が折れる。ぬいぐるみを買ってあげる約束をして横になったムカデを小さく撫でる。




「ありがとうございます! 大切にしますね」




 大人っぽい憧れの先輩の顔で、子どもみたいな仕草をされるのはずるい。さっきの哲学めいた話とのギャップもずるい。僕は赤面した顔を隠そうと必死にヨスガの注意を逸らす。




「次はどこへ行こうか?」


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