ヨスガ

「え? 綾野先輩……なんで動けるの?」




 自ら時を止めた世界で、僕は硬直していた。




「意外ですか? あなただけじゃないんですよ、動ける人」




 先輩はスマホを握りしめたまま、無表情で言った。明らかに軽蔑の眼差しをむけている。




「え、えっとこれはその、つい魔が差してしまって」




僕は慌てて絵里香から離れ、外したボタンをとめる。




「これは、そのいやらしい考えで至ったわけではなくて。こいつが脅してくるからしかたなく……だいたい僕はあんな性悪女なんか」




 僕は先輩の方を向き、必死に釈明する。綾野先輩は無表情のまま、スマホを触ると、さっきの動画を再生し奏汰に軽蔑の眼差しを向けた。




《よ、よく見ると結構かわいいな……それに胸もでかい》


《……うわ、柔らけえ……》




 どうやら先ほどの一部始終のようだ。写真だけじゃなく動画も撮られていたらしい。




「へー、しかたなくですか。まんざらでもない顔してますよ、あなた」




 そう呟く先輩の口が三角にすぼむ。この時僕はどんな顔をしていたのだろか。たいそうみっともない顔に違いない。僕は顔が熱くなり、先輩の方を向いていられなくなった。




「どうぞ私にかまわずお続けください」




 僕が黙っていると先輩が先ほどと同じトーンで言った。僕は気が動転していた。恥ずかしいシーンを見られてしまった。それも憧れの綾野先輩にだ。綾野先輩……だよな?


 綾野先輩にしては僕に対してえらく他人行儀だと思った。もう一度先輩のほうを見る。中高一貫校の制服さえ着ているが身長や見た目が小6の頃と全く変わらない。おかしい。先輩は今大学生のはずだ。




「綾野先輩……? ……ですよね?」




 僕は恐る恐る訊く。先輩は冷ややかな目のまま答えた。




「……残念ですが、違います」




 やっぱり違った。僕はなぜか安堵した。




「私はその砂時計を発明した者の使いで、時間停止能力を得た人間が能力をどう使うのか観察を行っている者です。名前は……ヨスガと呼んでください」




 ヨスガは少し笑って続けた。




「私の姿は観察対象である能力者にとって少しでもストレスのないように、記憶の中で一番恋しい存在の姿で見えるようになっています。大抵の場合は家族か恋人が多いですね。先輩の姿で見えるなんて珍しいです」




 ヨスガの話が本当ならば、僕の中で綾野先輩が両親や沙綾よりも大きい存在であることを示していた。しかもその姿は小学生のままだ。




「これからあなたがその砂時計を使えなくなるまでの間、私が近くで観察をさせていただきます。3つのお約束さえ守ってもらえれば、何をしていただいても構いません。人を殺そうが、盗みをしようがあなたの自由です」




 僕は淡々と話すこの少女が少し不気味に感じた。見た目が綾野先輩だからかもしれない。




「3つのお約束?」




「はい。まず1つ目は時間停止の能力者であると誰にも口外しないこと。2つ目は私に対しては危害を加えないこと。そして3つ目は必ず一日に一回は能力を使うことです。私はこれからあなたが時間を止めるたび、あなたを観察しに参ります。今と同じように干渉はしませんのでご安心ください」




「もし約束を守れなかったら、僕はどうなるんだ?」




「それはそれは重い罰が下ります」




「重い罰?」




「……はい、とても。内容はお伝え出来ません」




 ヨスガはスマホを構えたまま小さい声で言った。姿形は綾野先輩そのものだが、全くの別人に思えてきた。ヨスガからは生気が感じられない。無機質な存在のように思えた。少女なのか少年のなのか、青年なのか壮年なのかもわからない。見る人によって姿形が変わるのだ。そもそも人なのかも怪しい。


 絵里香への痴態を見られた恥ずかしさはもうこの頃には消えていた。僕はヨスガに声をかける。




「いくつか訊いていいかな、ヨスガ……さん?」




「ヨスガで構いません」




「ヨスガ。あなたはさっき砂時計を発明した者の使いだと言った。この砂時計はいったい何なんだ? 宇宙人か未来人の発明なのか、それともどこかの国の」




 僕の話を遮ってヨスガが言った。




「申し訳ありませんが、砂時計に関する質問は何ひとつお答えできません。私たちは時間停止能力を得た人間が何をするのか、ある種の思考実験のようなことを現実に行っているだけです。もちろんあなたのプライバシーは完全に保護されています」




 思考実験を実際に行う? 実験を行うとして、なぜ僕が選ばれたんだ? 疑問は沸々とわいてきたが質問がまとまる前にヨスガが続けた。




「あとその砂時計ですが、世界に一つしかないのでご安心ください。他の能力者によって勝手に時間を止められたり、能力者同士のバトルが始まるといった漫画みたいなことも起きません。時間が止まった世界で自由に動けるのはあなたと私だけです。ただし私は時間を操れませんが」




 理解はしたが納得はいかなかった。僕は実験体で、時間停止中はヨスガに観察されている。




「実験期間は一か月半です。ですからちょうど夏休みが終わるまで。実験が終われば砂時計を返していただきます」




「その実験が終われば僕はどうなる?」




「砂時計に関する記憶だけを一切消して、今まで通りの生活に戻ります。ただ能力を使って変えた事実は戻りません。殺した人間は蘇りませんし、盗んだお金もあなたのものです」




「そういうことか」




 僕は能力を失っても死なない事実にひとまず安堵した。ただ能力が有限であることに焦りを覚えていた。夏休み明けまでしか砂時計は使えない。マジシャンには到底成れそうにもないし、次のテストは確実に赤点だ。


 ここまで縛られると、己の欲望のままにしか砂時計は使えない気がする。前任の被験者たちはどうだったのだろう。気に入らない人間を殺したり、盗みを繰り返したり、さっきの僕のように女の子に手を出したりして時間停止を楽しんだのだろうか。しかしその様子は得体の知れない存在に観察されている。ましてや僕は綾野先輩に瓜二つの少女にだ。僕にはできそうもない。そう思った。


 砂時計の砂はもうすべて落ちかかっていた。すっかり忘れていたが、絵里香に詰められたところで僕は時間を止めていた。本当に情けないがとりあえず今日のところは逃げることに決めた。


 砂時計をもって校舎裏から逃げ出す僕をヨスガが呼び止める。




「またお会いしましょうね、ササラソウタさん」




「……どうして僕の名を?」




 僕は振り返ってヨスガを見た。彼女は答えない代わりに微笑んだ。頬に笑窪ができる。その顔はまさに綾野先輩だった。


 心に引っかかりを感じながら僕は走り去る。校庭まで来ると砂がすべて落ち、止まった時間が動きだした。




☆☆☆




 遠くで絵里香の悲鳴が聞こえた。彼女には僕が突然消えたようにしか見えていないのだから仕方がない。夏休み明けまでに、毎日一回は時間を止めなくてはならない。時間停止自体に抵抗はなかったが、毎日ヨスガに会うと思うと気が重くなった。


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