砂時計との出会い

――その刹那、喧噪が消えた。








 あまりにも急に静かになったので、僕はレールの冷たさを肌で感じることができた。レールの振動すら今は感じない。


 それはこれまで経験したことがない静けさだった。深雪の真夜中でさえもはるかに凌駕する。これが「あの世」の静けさなのかと思い、僕は恐る恐る目を開ける。




 しかしそこにあったのは、目前まで迫った電車のヘッドライトと空回りをやめた自転車の車輪だった。助かったのだろうか。僕は起き上がり線路の外に逃がした女性に声をかける。




「大丈夫でしたか?」




 彼女は答えなかった。それどころか口元を抑え微動だにしない。この世の終わりのような表情をしたまま動かない。あたりを見渡すと踏切の警報機も、電車中の運転手も、空を飛ぶ鳥の群れでさえも、何もかもが静止している。




「嘘だろ……」




 この世界は今、すべてが静止している。ただ一人僕だけが静止を免れて自由に動くことができる。


 僕は言葉を失ったまま立ち尽くした。そんなことがありえるのだろうか。これは今際の際の幻なのではないか。


 そう自問していると、僕はふと右手が何かを握っていることに気づいた。恐る恐る右手を持ち上げる。持ち上げた僕の右手は小さな「砂時計」を握っていた。




「なんだ、これ」




 不思議なことにこの砂時計だけは静止していない。砂は今もゆっくりと丸底へと落ちていく。僕はこの砂時計を見つめると、何故か畏怖の念を抱いた。


 少々デザインが凝ってはいるが、見た目はなんて事ない普通の砂時計である。手のひらに乗るくらいの小ささで、硝子部分を白い外枠が覆っている。天板は上下で色が異なり、上が黒く下が白い。その黒い天板から蔦のように黒色の装飾が白い外枠に伸びている。


 黒い蔦はオリフィス(硝子部分のくびれ)あたりまで伸び、ちょうど砂時計を白と黒に二分していた。硝子は透き通るほど綺麗で、その中を茜色の砂が流れている。


 僕はその砂の美しさにしばらく見とれていた。砂粒一つ一つがひしめき合うことなくオリフィスに流れていく。それが丸底に落ちる寸前にキラキラと輝く。


 そして砂時計をのぞき込んでみた。近くで見るとやはり美しい。しかしこんなに小さいのに何か大きな重みのあるものに感じるのはどうしてだろう?




 不思議な心持で流れる砂を見つめる。しばらく見つめていると、僕ある矛盾に気づいた。


仮に僕以外の世界が静止したのだとしたら、砂時計の砂が正常に落ちているのは不自然だ。しかしこの砂時計が引き金となって、世界の静止が引き起こされているのだとしたらどうだろうか。


 飛び込んだ時、必死だったが少なくともこんな砂時計僕は持ってなんていなかった。電車が僕を轢く直前、この砂時計が現れ、世界が静止した。


 これはあくまで仮説だが、僕は真実な気がしてならなかった。とは言ってもいつまでもここまま静止しているとは思えなかった。いつ時間が動き出しても不思議ではない。




「お、重い……」




 女性を線路外から踏切の外まで抱えて運ぶ。重量は普段と変わらないが静止しているものを動かすことができた。続けて自転車も踏切の外へ出す。


 僕は女性とは反対側の遮断機の外に立ち、砂時計を握りながら駅へと歩いた。しばらくすると砂時計の砂がすべて流れ落ちた。そしてその瞬間に何もかもが動きだした――。








 甲高い女性の悲鳴と電車のブレーキ音を合図に、横を走る電車が緊急停止する。僕は確信した。この砂時計が時間停止の鍵なんだ。


 未だに信じられなかった。だが同時に神様がヒーローになるチャンスをくれたのだと思った。


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