第340話:見られた
ひととおり説明が終わったので、今回の資料を配り、ざっと目を通してもらう。その間することがない僕はホワイトボードを消して、ひとまず次に集まる日時を書いて・・・。
・・・ガチャリ。
ドアの音がして、思わず振り向く。みんなも一斉にそちらを見るけど、入ってきたのは黒井彰彦で、フレッシュマン岩城君が「お疲れ様です!」と特に何の疑問も持たず挨拶した。
「あ、えっと、何か・・・」
まだ十時過ぎだけど、やっぱり部屋が使えないのかと身構えるも、黒井はのん気に「大体終わったー?」と誰にともなく訊いてにやにやと笑った。何だか、受け持ちの教科の授業中にこのクラスの担任が入ってきたかのような、変な感じでどきどきと緊張する。
「あ、あの、どうかした?そろそろ退出?」
「ううん、そうじゃないけど」
黒井がみんなの手元の資料を「ふうん」と覗きつつ、ゆっくりこちらに近づいてくる。
「みんなさあ、山根センセイの話ちゃんと聞いた?」
「聞きました!」
「っていうか、結局何の話だったの?ユウト、ひとことで説明!」
指名された岩城君は「ハイ!えっと、・・・飯塚君と辛島君が営業マンになります!」と答え、少し遅れてみんなが苦笑した。黒井が来たとたん空気が一気に和んで、ああ、黒井は四月から半年もこんなことをしてきたのかとあらためて実感。
「よし、そんじゃあ一瞬センセイを借りてくから、みんなテキトーに喋って待っててね」
「・・・えっ?」
みんなの前で腕をつかまれて、腹がひゅうと透ける。「な、なに?」「いいから!」でミーティングルームを出て、応接スペースへ。
・・・・・・・・・・・・・・・
雨が止んだ曇天を眺めつつ、応接ソファで向かい合う。受付前では、妹尾さんとセミナー部の小嶋先生が十時半からのセミナーの相談中。
・・・黒井が僕を連れ出した理由は、新人たちにお喋りタイムを与えるためだった。
ああだのこうだの彼らだけで好きに感想を言わせて、その後に質疑応答をやるのがいいのだとか。
「あと資料はさ、最初から何か配って、とにかくメモさせんの。あいつら何か紙がないと、自分のメモ帳派とノーメモ派で分かれちゃうから」
「そ、そうか」
「それと、全員に発言させる。もうみんな喋った?」
「あ、いや、全然・・・」
「あのメンバーならユウトがまず喋って、それに続いて当ててけばみんな何か喋る。・・・はは、不破くんに比べりゃ楽勝メンバーだよ」
「・・・ああ」
そうか、自分のシナリオをつつがなく進めることばかり考えていたけど、もっとみんなの方を向くのが大事だったのかもしれない。
いろいろな反省点が浮かび上がるけど、黒井が「そろそろだ」と立ち上がる。五分くらいで場があたたまるが、十分経つと冷めるらしい。
二人でお揃いの腕時計を見ているのにちょっと照れつつ、再びミーティングルームへ。どうやら黒井も最後までいてくれるらしい。心強いのと、下手くそな仕切りを見られて恥ずかしいのと、半々。
そっと部屋に入ると本当にみんなざっくばらんに雑談していて、女子会が二人だけの会話じゃなくちゃんと隣の中村君も交えつつ、向かいの辛島君にまで話を振っていて驚いた。飯塚君と岩城君は逆に控えめで、山田氏がどこぞのコメンテーターみたいに資料を指さしながら語っている。
「はーい、ご歓談終わりー!」
黒井がパンパンと手を叩くが、まだしばし会話は続く。それでもすぐに黙らせようとはせず、黒井は末席で適当にくつろぎながらキリがよくなるのを待った。終わりと言われたらすぐ口を閉じなくてはいけないと思う僕だが、この視点から見れば、会話を無理に一瞬でやめさせるメリットはあまりない。学校生活と違って、黙らせるより、喋らせる方がキモなんだ。
そうして僕が質疑応答タイムを始め、岩城君はさっき指名されたから、試しに隣の山田氏を当ててみると「ええ、そうですね、今しがた話していたこととしましては・・・」となめらかに話が始まった。その後は順番に一人ずつ感想を言う会のようになり、「見積もりシステムの修正方法が・・・」「契約書の値引き額は・・・」等々の意見。僕としては、「具体的にはいつ何をしなくちゃいけないんですか?」と痛い所を突かれると思っていたのに、みんなは案外、早速やる気みたいだった。
・・・全然、想像と、違うんだな。
あのまま資料を配って解散していたら、分からなかった空気感。
そうしてそろそろ十時半になり、「山根さんは営業事務でどんな・・・」「山根さんが苦労する契約って・・・」などと質問が飛ぶけど、残念ながら答えきれない。ほんのちょっと興味を持たれてむずがゆい気持ちになりつつ、「続きはまた次週に。それまでに一度、何らかのお知らせをメールします。それじゃ、今日はありがとうございました」と締めた。
四課の都合で勝手に新人を営業デビューさせ、それを僕が指名するという少し心苦しい告知会だったはずだけど、みんなから「ありがとうございましたー!」と返され、上着が暑くなるほどちょっと高揚した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
黒井が「外はセミナーのお客さん来てるから、礼儀正しく挨拶するように!」と釘を刺してドアを開けた。そうか、そんなところまで頭が回らなかった。そしてみんなが黒井と何か言葉を交わして部屋を出ていく。僕はホワイトボードを消して机の位置を戻し、むしろ終わった安堵で動悸がして手も震えていた。
・・・とにかく、終わった。
目を閉じて大きく息を吐いていると、パチリと、電気が消される。
え、もう?ちょっと待って、一瞬だけ休ませて・・・。
・・・ガチャリ。
黒井がさっさと出ていってしまったのかと思ったが、そうじゃなかった。閉じられたドアのガラス部分から入る光が遮られて、黒井はすぐそこにいて、真正面から抱きしめられた。
「・・・っ、ちょ、ちょっと」
「やまねこ、お前、よく頑張ったね」
「・・・」
「無事、終わったじゃん」
「・・・そ、そうだけど」
「けど?」
「・・・へ、部屋、取れてなかったり、いろいろ」
「それだって、ちゃんと俺を頼ったじゃん。頼るの苦手なのに」
「・・・う」
「すげえ頑張ったし、えらいし、よく出来てた」
・・・頭が真っ白になって、思わず、僕からも強く抱きしめた。
本来は僕一人でやるべきことなのに、先週から協力してもらって、今日だって反省点ばっかりで、それなのに・・・褒めてくれる、わけ?
・・・こんなので、頑張ったの?えらいって言ってもらって、いいの?
心の声に応えるように、背中をさすられた。
会社に入って、仕事をして・・・褒めて、もらえるなんて。
目頭が熱くなり、涙が、にじんだ。
「あ、あ・・・」
ありがとう、と言おうとして、でもクロに「ありがとう」は禁止なんだったと思い出し、代わりの言葉を探すけどもう頭がぐちゃぐちゃで、わけもわからず出てきたのは、「だいすき・・・」。
「・・・」
変なことを言った、と思った瞬間、「俺も」と、キスをされた。
唇がくっついて、熱い吐息とともに舌が入ってくる。片手で抱き寄せられながらもう片方の手で後頭部を押さえられ、密着感に頭がとろける。僕もその背中を引っ掻くように強くなぞって、一度唾を飲みこみ、また音を立てて舌を絡めて・・・。
・・・その時。
勢いよくガチャリ、とドアの音。
「んもう、終わったらドアは開けたまま・・・」
・・・妹尾さんの声。
独り言は途中で尻すぼみになり、一瞬の静寂の後、すたすたときびすを返す音。
・・・緊張が走り、身体が固まった。
・・・見られた?いや、暗いし、見えなかった?
いや、たとえ見えたとしても向こうから見えるのは黒井の背中だけで、僕までは、そして僕と何をしているかまでは、見えなかったはず・・・。
ゆっくりと唇を離しながら、ああ、黒井の白いYシャツの背中には、僕の黒っぽい上着の腕がしっかりと絡まっている・・・。
っていうか、黒井が一人で立っているだけに見えたなら「何してるの」と声をかけるはずだし、そうでないなら・・・。
・・・だめだ。
見られた。
・・・・・・・・・・・・・・・
ゆっくりと身体を離し、僕は小さく「見られた」と囁いた。
数秒、二人で息を整える。ふいに黒井の匂いがして顔だけ赤くなりはじめるけど、身体は血の気が引いていく。一体どうしたらいいんだ。
何も見られていない・・・ことは、ないと、思う。
どうしよう。・・・どうすることもできないけど、どうしよう。
すると黒井はすっとドアの方を向き、そのまま、歩き出した。
「ちょっと、待って・・・!」
向かうのは、給茶機からオフィス方面ではなく、応接スペースと受付方面。そっちには妹尾さんがいるじゃないか、な、何をしたいんだ!
全てを<妹尾さんの見間違い>という落としどころに落として、しらばっくれるのが最良じゃないか?僕たちがまったく普通にしていればそのうち「あれ、やっぱりまさかね」って思ってくれる・・・っていう案が良くはないか??
そして一瞬、応接スペースに至る手前で、足が止まった。
黒井が<俺のせいにして>と言うなら、僕は行かない方がいい、の、だろうか。
ここで僕が顔を出さなければ、妹尾さんは黒井と抱き合っていたのが誰なのか、分からないかもしれない。だったら今回のことは「黒井が男と抱き合っていた」という被害のみでとどまるのじゃないか?わざわざ僕が出ていって自爆しても、それは黒井の望むことじゃ・・・。
・・・。
・・・いや、<男>って、誰だよ。
何だか無性に、「黒井が男と抱き合っていた」というフレーズに、腹が立った。
万が一このことが噂になって、黒井がスーツの男と抱き合っていたとなって、・・・まさか、その相手は夏でもスーツの上着を着て、黒井に目をかけられてもいる不破くんだとでも思われて、しかも不破くんも何も否定せず、黒井からわざわざ訂正もしなかったら・・・おかしなことになるじゃないか?そこで僕が「いや、不破くんじゃなくて僕なんです!」などと名乗りを上げたって、信じてもらえないどころか不破くんを庇っているとか、あるいはむしろ黒井をめぐって横恋慕だとか思われ・・・。
・・・。
・・・だめだ。
そんなのは絶対だめだ。
黒井の相手は、俺なんだよ!!
僕はもう急いで後を追いかけて、受付前で妹尾さんと話す黒井の隣に立った。
息が荒いのも、少し涙目なのも、もはやそれで構わない。さっきそこでこいつと抱き合ってたのは、僕なんです!
「えっ、あっ、あの」
カウンターの向こうで、壁側に後ずさりしつつ、動揺しまくっている妹尾さん。ああ、やっぱり見られていた。そりゃそうか。
「あっ、いや、ほんとに、なーーーんにも見てない。私なんっにも見てないよ」
そして僕に気がついた黒井は演技なのか素なのか、「妹尾さん、何も見てないって」と不思議そうにつぶやいた。いや、何なんだその反応は。そして妹尾さんはそんな黒井と僕の間で目を泳がせ、固まった笑いを顔に貼り付けて、「本当、知らない知らない、なーんにも知らない・・・」と首をふるふると振った。
「やっだー、ちょ、ちょっと私忙しいし?く、黒井くんに構ってるヒマないのね。いやいやほんっとにいっそがしー!・・・あっ、あー!や、山根くん?る、ルーム、ミーティングルーム、う、うまく使えた?」
言ってから「うまくって何!」と天を仰いでぎゅっと目をつぶり、セルフツッコミ。何だか、逆にこっちが落ち着いてくる。
「あ、あの、本当に・・・い、いろいろすみません」
「うん、もういいや!何もかも忘れよっ!・・・さーて次のお客さんも来ちゃうからね。営業サンは出てった出てった!」
そして、何だか呆けている黒井を連れて、「びっくりした、びっくりした・・・」のつぶやきが漏れ続ける受付を後にし、僕たちはひとまずオフィスへと戻った。
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