第282話:上野動物園
新宿まで出て、山手線。
雨なのに動物園?初デートで動物園?この一週間ろくにメールも電話もないまま動物園?
まあ待ちたまえよ黒井君、僕にだっていろんな事情があってだね・・・。
・・・などと脳内で会話をしていたら残念ながら上野に着いて、「あの、降りるから」と言わなきゃならない。さて、「えー動物園!?」の声を待つけど、・・・何もなかった。
ああ、一応、乗り換えとかかもしれないしね。
しかし、まあ、駅構内のそこここにパンダが現れて、まさにそちらの出口へ歩いて行って、そりゃあもうバレているだろう。
黒井が僕の差しかける傘に遠慮がちに入りつつ、親子連れや学生グループの一団とともに上野恩賜公園内へ。ああ、上野といえば動物園だと思っていたけど、美術館とか博物館とか不忍池とかいろいろなものがあったのか。も、もしかしてここは博物館あたりが適切だったかと頭にキーワードを再入力してリロードしてみるけど、足はまっすぐ、今更変更はきかないみたいだった。
そして。
いよいよ、「上野動物園」と書かれた入り口が見えてくる。
幸い、小雨はほとんど霧雨のようになって、僕は傘を閉じた。
せっかくの相合傘だったのにほとんど何も考えられなくて、ああ、この感じ、前もあったな。
・・・そう、お前の誕生日、アルミホイルにくるんだホーム・プラネタリウムを渡すにあたり、これでいいのか、喜んでもらえるのかと、今もちっとも変わってない。
いや、親友からの誕生日プレゼントから、・・・は、初、デート、に昇格?
・・・危ない。今考えるのはやめておこう。
「その・・・こ、これから、・・・入るから」
この天気でも入場券売り場には結構人が並んでいて、これからそこに並ばなきゃならなくて、ああ、もう、こんなことなら素直に「動物園とかどうかな?」って訊けばよかったか。
「あ、あの・・・」
黒井が硬い声を出すので、突っ立っていた僕は「は、はい」と身構える。
「お、俺、待ってるから」
「・・・え?」
・・・待ってるって、あ、お気に召さなかった?俺だけ入って出てくればいい・・・?
「は、早く」
「うん?」
しかし黒井は頭を掻きながら、下を向いて、目の前の列を指さした。
・・・は、はい。急いで二人分、買ってきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
入場料は大人ひとりたったの600円。中学生なんかタダだという。1200円払ってチケットと園内地図をもらい、黒井のところに戻ると、「は、は、はやく行こう」と腕をつかまれた。あ、はい、はい、行きますから。
ゲートを通って中に入ると、早速右手にパンダの人だかり。しかし黒井はあまりパンダには興味がないようで、僕の腕を引っ張ったまま、しかしどこに行きたいのかはよく分からない。
「おい、ちょっと待って、チケットしまうから」
「うるさい、もう、はやく、ああーーー」
しまいには腕をばしっと強めにはたかれて「何だよ」と言うと、「お、お前、ちょっと!」に続き、言葉にならない謎のうめき声。その後も「もう!くそっ!」と肩や頭を叩かれ、防戦一方の僕は「やめ、なに、痛てっ!」で頭を抱える。いやいや、眼鏡が壊れる!
「クロ、なに!・・・な、何か嫌な思い出でもあるとか!?」
「は?ないよそんなん!初めて来る!」
「じゃあなんだよ!」
「な・・・なにって」
「・・・」
「い、痛かった?あの、うれしくて、つい」
「・・・だ、だいじょうぶ、だよ」
「・・・行こ」
「うん」
そして、「ちょ、ちょっとあっち!バッファローだ!」と黒井が駆け出し、何だかすごく動物園というにおいがしてきて、しかしポツンとうろついているバッファローの看板には「アメリカバイソン」とあり、黒井はすごくがっかりしていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・
「そ、そんなにバッファローがよかった?」
「・・・違う。バッファローだと思ったのに、バイソンだった」
「・・・だから、バッファローがよかったのかって」
「うるさいな、俺はバッファローだと思ったの!・・・違ったから、かっこ悪い」
「・・・」
バイソンをバッファローと見間違えたからかっこ悪いということはないが、・・・というよりそもそもの違いも分からないが、僕はとにかく「俗称とか、英語の表記ゆれかもしれない」と慰めた。
「いや、でもよく考えたら、確かにこいつ、頭が低い感じがバイソンだ。俺が違ってた」
「そ、そう」
「あーあ・・・」
僕からすれば、むしろ間違いを素直に認めるところがかっこいいと思うけど・・・しかし黒井はさっさと次のサルへと僕の腕を引っ張った。うん、切り替えが早いのも僕からすればかっこいいよ。
そして黒井は異国っぽいサルを興味深く長時間眺め、しかし親子連れが集うサル山のニホンザルはさらっとスルー。その後はシロフクロウの首が180度回転するまで観察し、猛禽類を見上げ、けたたましい鳥の声に「うるさすぎ!」と笑いながら驚き、奥にいてなかなか見えないトラに痺れを切らして次へと向かった。
その間、ずっと楽しそうに、何だかいろいろな解説だか実況のようなものが続いた。あまり返答は期待されていないようで、僕がコメントしてもしなくても勝手に喋っている。
そういえば、世界をめぐる動物博士になりたいとか、言ってたんだっけ。
それを思い出すとふいに、本物のサバンナじゃなくてごめんとか、あの時馬鹿にしたようなことを言ってごめんとか、今もコメントが追いつかなくてごめんとか思い、急に黒井のことをいとおしく感じた。たぶんそれは、好奇心旺盛な黒井少年と、彼をかわいがりつつも適度にスルーする母と姉が思い浮かんだからで、うん、今は僕が全力で面倒をみてやらないと。
「バクはやっぱさ、なんっか変な顔っていうか原始的なんだよね。うん、目の前で見ると、気持ち悪い」
「・・・き、気持ち、悪い」
「なんていうか、・・・たとえるなら、スマホが並んでる中に黒電話があるみたいな、ぎょっとする感じ。うわっ、なんか違うっていう、違和感みたいな」
「ふ、ふうん。バクって原始的な生き物なの?」
「確かそう。バクだけ独立してる感じ。だって顔とか、何だかわかんないじゃん?」
僕は眼鏡をかけ直してしっかり観察したが、確かに、馬とも牛ともイノシシともつかない、鼻の長い顔だった。
「えっとその、詳しいんだね」
「うん、こういうの、他にも好きでさ。アリクイとか、アルマジロとか、うわってなる」
「・・・それ、さ。気持ち悪くても、好きってこと?」
「・・・え?」
黒井は振り向いて、僕の顔を見た。
目は見開いて、何度かぱちぱちと瞬きをして、それからちょっと鼻で笑う。
「そんなの、当たり前じゃん」
「・・・そ、そう」
「あと、気持ち悪くても好き、じゃなくて、気持ち悪くて好き」
その言葉に含みがあるのかないのか、でもそういえば、黒井が言うことはいつも、いつだってそんな感じだったと思った。それを、もしかして僕に対する好意なのかと受け取りたくて曲解しては否定して、でも、好きだと言われてしまった今は、何だか僕は手持ち無沙汰みたいだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
園内は東西にざっくり分かれていて、まずは東園を大体見て回ったらしい。時間はちょうどお昼で、西園に行く手前に食堂があったから寄ったものの、やたらと混んでいた。小雨がぱらつく中、ベンチでビニールシートをたたんでいる親子がいて、たぶん雨でなければみんな外でピクニックよろしく持参の弁当を食べるのかもしれない。
「どうしようか、クロ、もう腹減ってる?」
地図を見ると西園の方にも軽食と食堂があるようなので、時間帯をずらしがてら、そっちまで行ってもいいかもしれない。
「あ、あの、ねこ」
「うん?」
「えっと、さ」
「なに?」
「・・・お前、お弁当とか、あるわけじゃないよね?」
「・・・」
・・・弁当。
え、あ、動物園でのデートは、手作り弁当が基本?
いや、まさかそんなの持参というか、施設内に食べ物を持ち込むって頭がなくて、動物園なら食べるところがあるだろうと昼食のリサーチなんかしてなくて・・・。
「悪いけど、ないよ。そういうものだって、思ってなくて、いや、ほら、でもどうせ雨だったし」
「う、うん。一応、まさかと思ったから訊いてみただけ!」
「ご、ごめん、ちゃんと、そういうことなら今度から」
「・・・今度?」
「・・・いや、なんでもない」
え、て、手作り弁当って期待されるものなのか?そういうの、食べたいものなのか?
自分で弁当なんか作ったことはないけど、そもそも弁当箱だって持ってないけど、・・・べ、別に、作れないということは、ないだろう、けど・・・。
・・・練習、しなきゃ、か?
「あ、あの、とりあえず西まで行く?」
見てもいない地図を広げて、回して、黒井も「うん、行こう」と言いつつ上の空で、二人とも反対方向に進み、「こっちじゃない」とUターンした。そうして「傘貸して!」で相合傘のチャンスかと思いきや「お前は濡れてて」と追い出され、黒井は傘で顔を隠した。
もしかして、照れてる?
しかしそれについて考えようとするとどこからか理屈が舞い込んで、動物園と行楽弁当と昼食代の節約と、前日の買い物と当日早朝の準備と、弁当箱の平行を保ったまま持ち歩けるバッグ、それからビニールシートとお手ふき、あとは水筒だって必要で、中身は麦茶か緑茶かほうじ茶かとシミュレーションが進み、散策道のような連絡通路を黙って歩いた。
・・・・・・・・・・・・・・・・
西園につくと早速、ヤマアラシというのが空き地みたいなところで無造作に動いていて、白と黒の針だか毛だか分からないものが身体から飛び出して揺れていた。黒井は笑って「これはかわいいね」と言ったけれども、その姿はちょっと異形で、僕としては「気持ち悪い」の分類じゃないだろうかと思った。
それから不忍池を横目に進み、黒井はハシビロコウという骨董品みたいな鳥(でかい)を見つめて動かなくなった。しかし、別のカップルやグループ連れが来ると集中が乱されたのか、次の屋内施設へ。
小獣館というそれの中は薄暗く、コウモリがいるようだったが案外に小さく丸まってぷるぷると震えていて、何かの塊を見た、という感じ。声だけはキーキーと聞こえた。
それからハダカデバネズミという毛をむしられた鶏肉みたいなものが土の上を足早にうろついていて、正直気色悪いというより、生きていてはいけないというような気がしたが、黒井の感想も「キモい」だった。これも好きなのかどうかは、訊かないでおいた。
外に出ると白い曇り空が少し眩しく、ひと息ついて、遅めの昼食をとることにした。
メニューは少なく、全体的に量は控えめで割高で、選びようもないので二人ともカレーにした。なるほど、現実的な意味で弁当持参は有用か。
しかし、歩きどおしで久しぶりに座り、温かいカレーを食べたらうまくて、「うまい」「あったかい」と似たようなことを言いあって少し笑った。何だかまったりとして落ち着いていたけど、でもやっぱり、目の前でうまそうにスプーンを口に運ぶこの人が僕のことが好きだという件に関し、それをどう扱っていいのかはよく分からなくて、ただ目を伏せた。「どうしたの?」と訊かれ、「ちょっと、疲れたみたい」と曖昧に濁したらふいに黒井はどこかへ行き、トイレかと思ったらクリームソーダを買って帰ってきて、「甘いの、飲めば?」と。
目の前に差し出された、鮮やかなグリーンとその上のバニラは、口をつける前から、甘くて。
黒井は僕が飲むのを何だかにやにやしながら待っていて、僕は逡巡しながら、仕方なくストローを吸った。そしてアイスをすくうと「あ、そこじゃない」とスプーンを取られ、「この、氷とくっついた、シャリシャリのとこうまいんじゃん」と、まさか「あーん」してくれるのかと思ったら自分で食べた。
返されて、その部分を食べたら確かに触感がよく、うまかった。まだにやにやしているので「何だよ」と言ったら、「山猫にエサやってる気分」と笑われた。
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