第23話
翌日からも僕はファイナンス業の会社に通勤した。高田さんからは服装は自由でいいと言ってもらっていたけれど僕は正社員だからスーツが基本だろうと思ってスーツを着て革靴を履いて働き続けた。電話が鳴らない時間もあり、そんな時に高田さんや山口さんや山田さんと話をした。高田さんは僕のことを新人と呼び、山口さんは僕のことを新しい人と呼び、山田さんだけが小沢君と呼んだ。僕は高田さんに税金のことや保険証のことを聞いてみた。高田さんは税金なんか俺が払うから給料は手取り二十五万円である、保険証などは自分で加入しろと言った。正社員なのに福利厚生がないことに僕は少しがっかりしたけれど、それを補うくらい手取りで二十五万円貰えることに喜んだ。それからいろんなことを僕は聞いた。新人は彼女はいるのか、今度の社員旅行はハワイとか行くか、山口さんには同棲している女性がいるらしくそれをからかう高田さんや冷静にそれに対して淡々と答える山口さん。高田さんと山口さんは僕の三つ上で二十四才。山田さんは僕の一つ上で二十二才。今度の社員旅行の行き先は新しい人に決めてもらえばいいんじゃないのと山口さんが優しい目で僕を見ながら言った。この会社は広告を沖縄に出していて、電話をかけてくるお客さんは全員沖縄の人であること。沖縄の金融屋さんのことはしっかりと把握していて、誰が行っても普通に貸してくれるところを自分たちは紹介してあげているだけであること。高田さんは初日以外僕を怒鳴ることは一度もなかった。新人、新人。僕は高田さんに可愛がってもらっていた。僕も仕事に慣れてきてからはお客さんに二十パーセントの手数料で貸してくれる他の金融屋さんを紹介すると言ってお金を振り込んでもらうようになった。僕が対応したお客さんの名前が通帳に記帳されてお金が振り込まれたのを確認した時、僕の心で何か嫌な気持ちがした。高田さんのやっていることは決して悪いことではない。高田さんのおかげで救われた人はたくさんいるのだから。それでもたまに最初の約束を守らずに高田さんを怒らせ、山口さんに甘えたことを言うお客さんもいた。そんな何年式の中古の外車なんか一円の価値もしない、最初の約束通り現金でしっかりと振り込んでもらえませんか、お客さんは僕のことを裏切るのですか、善意であなたのためを思って僕が無理を承知でやったことに対するあなたの答えがそれですか。高田さんも山口さんもどんなお客さん相手だろうとしっかりと紹介料を最後には振り込ませた。それも電話での会話だけで。山田さんも高田さんや山口さんのやり方を真似て同じような対応をした。僕も約束を守ってくれないお客さんに当たることもあった。新人、俺に変われと高田さんが僕の代わりに相手を追い詰めてくれた。新人、定期代、と僕にくれた一万円。仕事が終わってどこかにみんなで行くことはなかった。僕の心には理由は分からないけれどチクチクと痛みが。新人の僕と僕より三か月先輩の山田さんの二人だけ、土曜日にも事務所で仕事をした。電話対応はしなかったけれどいろんな雑用を二人でした。電話が鳴らないので山田さんとの会話も弾む。山田さんから、高田社長は若いのに別のところでこの仕事のノウハウを身に着けて一年以上前にこの会社を立ち上げた、本当に尊敬している、この仕事はリスクもなく、確実に金持ちになれる、俺もいつか独立して高田社長のような人になりたい。そう熱く語る山田さん。僕と同じで毎日スーツを着てくる山田さんは僕を小沢君とちゃんと呼んでくれるしすごく優しい。君も頑張れば高田社長は独立させてくれるし、独立資金だって用立ててくれるよ。山口さんは高田さんの昔からの相棒でずっと一緒にやってきたそうだ。僕は山田さんに聞いてみた。お客さんはうちの会社に電話せずに普通の金融屋さんに初めからお金を借りに行けば普通に貸してもらえるのですよね、と。僕の質問に山田さんは、そうだよ、普通にお金を借りることが出来るのにわざわざ二割のお金をうちに振り込んでくるんだからバカばっかりだよと言った。その時僕は、高田さんたちがやっていることは決して悪いことではない、でも今の僕のやっていることをキリヤ堂の人たちが見たらどう思うだろうと考えた。僕の心をチクチクさせるものがハッキリと分かった。確かにそういうことに目を瞑り、気付かないフリをすることも僕には出来た。自分の中でルールを作って半年だけとか、それだけでかなりの貯金だってできる。でもそれをしてしまえば半年後に僕の心のチクチクはなくなってしまうかもしれない。紹介屋で働き始めて丁度一か月経った日、僕はその日の振り込みを通帳で確認をして、帰る時間である夕方五時前に高田さんにお話があると言い、みんながいる前で、今日でこの仕事を辞めさせてくださいと言った。高田さんは椅子に座ったまま表情を変えずに僕に、理由は何だと聞いてきた。僕は、心が痛いからですと言った。少しだけ高田さんはポカーンとした表情を見せ、それから財布を取り出し、十万円の束を二つ僕に手渡してきた。先月末に日割りで給料は貰っていた。今月の日割り分にしては金額が多すぎる。高田さんは、退職金とあとここでのことは他言するなと言い、今日までお疲れ、新人と言った。僕は、本当にお世話になりました、ありがとうございましたと高田さんに深く頭を下げた。それから山口さんと山田さんにもお礼の言葉と頭を下げることをした。山口さんは、新しい人の彼女の写真が見たかったと言いながら、君には最初からこの仕事は無理だと僕には分かっていたよという目で僕を見た。最後まで山口さんの目は優しかった。山田さんは、残念だけどしょうがない、頑張れよと言ってくれた。山田さんのスーツは多分、毛百パーセントの高いものだと僕には分かっていた。僕は高田さんのやっている仕事が悪いことだとは最後まで思わなかった。高田さんも山口さんも山田さんもすごく優しかった。僕も野良猫だけど、あの人たちはその上をいくボス猫なのだろう。一か月通った事務所を出て、ビルの外からピアノ教室の看板を見上げる。僕に東京の新しい顔を見せてくれたこのファイナンス業の会社とそこの人たちに感謝の気持ちを持ちながら駅に向かって歩き始めた。その日、森川さんにいつものドーナツ屋さんで会い、会社を辞めたことを話した。森川さんは明るい表情で、それでいいんだよ、また新しい仕事を探せばいいだけだよと言った。そして森川さんから無料の求人誌ではなく、職業安定所というものがあって、そこに行けばやりたい仕事を紹介してくれるからそこに行けばいいとアドバイスをしてくれた。僕は、それを知っていたなら最初からそれを教えてくれていたらよかったのにと少しだけ思った。翌日、僕は森川さんと二人で新宿にある職業安定所へ向かった。
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