8:移動手段

「ええ~、これって大丈夫なんすか?」

 佐希子は鏡を見ながら、恐る恐る左まぶたに触る。

 ダンジョンの外で待機していた医療スタッフは、幸運な事に外科医の女性だった。彼女は気絶した佐希子の顔から銃の破片を慣れた手つきで取り除き、簡易的な処置をすると、傷に手をかざして、再生させた。


 だが、左目が真っ赤に充血したまである。

 女医、駒坂みどりは煙草をふかしながら医療鞄をしまい、まあ、大丈夫でしょうと暢気のんきに言った。

「あたしの能力による治療は、自己の治癒能力を促進する効果もあるの。目だけ治りが遅いのは、普段目を使いすぎだからじゃないかしらね? ま、あと一時間もすれば治ると思うなぁ、うん」

 野崎が頭を下げ、封筒を渡した。

「ありがとうございました。これ、少ないけどとっといてください」

「どうも。一応、マナ電話の契約しときますか? 手が空いてたら、いつでも来ますんで」

「先生、ありがとうございました~!」

 佐希子がぺこりと頭を下げると、いやいやと駒坂は手を振った。

「あなたの発電機と水のおかげで、あたしら大助かりなんだから、お礼を言うのはこっちの方よ。それと、お金よりも今は食料なんだけどさ……」

 佐希子が頷く。

「さっき治療されてる最中に連絡が来たんですけど、促成栽培の装置ができたそうでして、今、実験中です。明日には結果が発表できると思いますよ!」

「あぁ、成功するといいわねぇ」

「それなんですがね……」

 佐希子はそう言うと、爪先でアスファルトをとんとんとやった。

 さーっとアマツが現れる。

 駒塚が、ああこれが、とまじまじとアマツを上から下まで眺めた。

「……ちょっと空中に浮いてる以外は、本物の人間みたいね」

 佐希子と、野崎、近くに座っていた大根田と五十嵐も驚きの声をあげた。

「ほえ~! ダンジョン入る前は昔の絵の幽霊みたいに足の辺りが薄っすらとしてたんすけどねぇ! なんか解像度が上がった感じ!?」

「よく判らねぇ例えだが、ともかくバリッとしたな!」

 大根田がアマツに頭を下げる。

「アマツさんありがとうございます。あなたの助言のおかげで生き残ることができました」

『龍脈経由で観察させてもらった。確かに私は助言したが、あれは君の今までの積み重ねの結果だ。驕るのも誇るのも自由にしたまえ』

 野崎が、おっと首を傾げる。

「言葉も滑らかになってるな。で、龍脈とやらは安定したのか?」

『まだだ。安定には数日かかるだろう。あまり急に変化すると、文字通り天変地異が起きてしまう』

 五十嵐が成程な、と頷く。

「ともかく、これから良い方に転がるってことだな?」

『この地域においてはそうだろう。促成栽培や、マナの回復においては、非常に安定して良い結果がでると考えられる。また、龍脈が完全に断裂している地域は不可能だが、他地域の詳細を把握できると考えられる』

 野崎は顎をさすった。

「それは、つまり――あんたの目の届く範囲の情報を教えてもらえるってことか?」

『そうだ。具体的に言うならば、月光市を除く栃木県内の情報――例えば気温、湿度、マナの濃度、地形の状態、中規模以上のマナモノの動向などは完全に把握できるはずだ』

 佐希子が手を挙げた。

「そ、それって、あたしにダウンロードみたいに情報を落とすことはできる!?」

『可能のはずだ。ただし情報をダウンロードするのではなく、君の体の安全を考え、一括ではなく、常時龍脈に繋げての閲覧を推奨する』

「……ネットみたいに!?」

『そうだ。これを応用すれば、空気中のマナジャミングを回避しながら通信することも可能と思われる』

 佐希子は、うおおおおっと興奮すると、うろうろと歩き回りながらいつも通り意味不明な事を早口でブツブツと言い始める。


 五十嵐は、そんな佐希子を見て、ふっと小さく笑うと階段を見上げた。

 今いるのは、出発したアルコの一階である。

 土偶を消滅させた後、二人は佐希子を下まで運ぼうとした。

 だが、それは不要であった。

 土偶が消滅すると、逆さまになっていたすり鉢はゆっくりと消えていった。一分と経たないうちに、三人はアルコの二階に立っていたのだ。

「……これで、ダンジョンが消滅したってことだよな?」

『そうだ』

 五十嵐にアマツが簡潔に答え、大根田は大きく頷くと、懐中電灯を階段に向けた。

 光はまっすぐに進み、二階の天井を照らす。

「いやぁ……とんでもないことですよ、これは」

 五十嵐も頷く。

「出来上がってから日が浅かったから、あの程度の広さで済んだわけだが、一週間後、一か月後のダンジョンに潜らなけりゃならん状況は想像したくねぇな。ほっとけば、どんどんでかくなるんだろ?」

 アマツはゆっくりと頷く。

『恐らくは。中には自重に耐えられず崩壊する場合も考えられる。その場合、中に蓄積されたマナと大量のマナモノが外に解き放たれることになり、周辺への影響、及び被害が甚大になると考えられる』

「……やはり、見つけ次第、速攻で潰していかなければならないってことですね」

「そりゃそうだが――余程腕の立つ連中じゃなきゃ、送り出せねぇぜ。助けに行くだけでも命がけになる」

「……厄介ですねえ」

『厄介だ。だから私は、外側からダンジョンを崩壊させる方法を考えてみる』

 野崎は、考えてみる、かと苦笑いをする。

「思考ができるんなら、あんたはやはり人間、百歩譲っても生物だな」

 アマツは、ふむと首を傾げた後、少しだけ笑った。

『まあ――悪い気はしないが、問題でもあるな』

 大根田が不思議そうな顔をする。

「何故です?」

『私が人間、もしくは生物ならば、ミスをするという事だ』

 では、とアマツは地面に浸み込んでいった。

「……ああいう人が病気になったら、あたしらはどうやって治療すりゃいいのやら……」

 そう言って駒坂も野崎に軽く頭を下げると帰っていった。


 佐希子が頭をぐらぐらさせながら、大根田と五十嵐の方にやってきた。

「いやはや……そういや、御礼がまだでやんしたなぁ!

 お二人ともありがとございやんした! いやはや、怪我をすると生きてるって感じがしますねえ!」

「おめぇ、元気だなぁ……片目がぐちゃぐちゃになってたんだぞ」

「おまけにほっぺたがごっそり抉れて、よだれダラダラ、ちょっと歯も見えてたよ」

「…………いや、そういう詳細は希望してなかったんすけど……」

 佐希子がげぇ、という顔をすると、大根田が笑った。五十嵐も微笑む。

「なにはともあれ、お疲れさまでした! 二人ともホントありがとう!」

「お疲れだ。おっさんも凄かったが、お嬢も凄かったぜ。色々助かった。恩に着る」

「いや、こちらこそ有難うございました。お二人の協力が無ければ、最後の技を撃つ時間も稼げず、どうなっていたことか――」

「ああ、インフェルノ――」

「嫌だからね」

「おっさんが、技を叫んで剣を振り回すのは、きついな……」

 佐希子が、うひょひょと笑いながら大根田と五十嵐の間に入ると、強引に肩を組む。

「もう、二人ともシャイなんだから!

 社長! そこのノートPCで記念撮影して! 題名は『ダンジョン童貞喪失記念』で!」

 やめてくれ、と五十嵐が斜め上を向いて虚しそうな顔をした。


 野崎は、さっと写真を撮ると、こめかみに指を当てた。

「……よし! 三人ともお疲れさんだ! ボーナスの査定に色付けとくぞ」

「……本物のナスに棒を差して出さないでしょうなあ」

 佐希子の言葉に野崎はふっと目を背ける。大根田がやれやれ、と肩を竦めた。

「で、どっからの電話だ?」

「ああ、前に移動手段の話をしたろ? ほら、マナチャットで色々と――」

 佐希子が、おお! と声をあげる。

「蒸気機関車の事ですよね!?」

 野崎がいやいやと手を振った。

「そっちじゃない。そっちはもうちょっとかかる。水源の確保が必要だしな。まあ、一週間もあれば、なんとか――」

 五十嵐が腕を組んだ。

「ってーと、簡易的な移動手段とか言ってたやつっすか?」

 それだ、と野崎は五十嵐を指さす。

間丘まおかの知り合いに話をつけてな、十匹ほどまわしてもらったんだわ」

 佐希子が目を丸くする。

「……は? 匹? 動物? 馬とか?」

「いやいや、馬じゃあ瓦礫満載で傾斜したアスファルトは無理だ。市外じゃでかい地割れやら液状化した場所まであるらしい」

 大根田が眉をひそめた。

「いや、でも馬以外だって、そういう場所を移動するのはダメだろう?」

「……今までの動物ならな」

 げぇっと佐希子が声をあげ、再びテンションが上がっていく。

「やった! すっげ! 変化生物! 変化生物っすよね!? ひえええっ、変化生物を乗り物代わりとは、すっごいなぁ! うわぁ、楽しみすぎる! どんなのですか!? いや、それは楽しみにとっとこう!! で、いつ来るんすか!? いつ来ちゃうんですか!!?」

 中里がバインダーを持って走ってきた。

「しゃ、社長! 怪獣! いや、恐竜がいっぱい走ってきましたぁ!!」

 大根田と五十嵐、佐希子は顔を見合わせると外に走り出た。


 むっとする暑さの中、瓦礫がやや片付けられた道路のあちこちから、驚きの声が上がる。

 恐竜、と聞いて大根田の頭の中にはティラノサウルスのような、大きなものが浮かんでいた。だが、道路の向こうから走ってくる集団は違っていた。

 大人の背丈よりはやや高い程度の体高に、太くしっかりとした足。そして全身は羽毛に覆われている。

 五十嵐は、なんだっけかと眉をひそめた。

「……映画に出てきた、ヴェロキ、とかいうやつ。あれか?」

「ヴェロキラプトル、でしたっけ? たしかにそれっぽいですけど――なんというか――」

 大根田の困惑した表情。五十嵐も首を傾げた。

「……ダチョウみてぇだな」

 五十嵐の言葉に、佐希子がきーっと奇声を上げる。

「ちっがうんだっつーの! いいかなぁ、今の恐竜はねぇ、羽毛が生えてるのが一般的なんだぞぉ! Tレックスだってラプトルだってふっさふさよ! 

 つまり、あれは恐竜!」

 野崎がしれっと言った。

「いや、ダチョウだよ」

 五十嵐が無言で佐希子の頭をぐりぐりとやる。佐希子は五十嵐の脇腹にリズミカルにパンチを入れた。


「よお! ザキ! ご注文のダチョウちゃんたち十匹お届けだぜ!」

 先頭にいたダチョウの背から男が降り立った。

 野崎や大根田と同い年くらいだろうか、がっちりとした体格の背の高い男だった。見事な髭にもみあげ。そして妙に似合っているくたびれたカウボーイハット。

「よう、オク! ありがとうな!」

 野崎がニヤニヤしながら前に出ると、手を差し出す。オクは思い切りそれに手を叩きつけ、がっはっはと笑いながら強く乱暴な握手をした。

「はじめまして、大根田です」

 大根田が差し出した手も、乱暴な握手が返ってくる。

「こんちは! 奥原美樹おくはらみきだ! 美しい樹木と書いて美樹! ま、気楽にオクって呼んでくれ!」

 佐希子が美樹って、と小さく言うと、五十嵐はその頭を軽く叩いて黙らせる。

「あ、あ~……えーっと、オクさん、ダチョウありがとうございます」

「わっはっはっは! オクさんって、俺は女かーい! よろしくな!」

 オクは大根田の肩をバンバン叩くと、五十嵐と佐希子に同じように自己紹介をし始めた。


 ダチョウの一匹が大根田に顔を近づけてきた。

 顔はダチョウのそれだった。

 くりっとした愛嬌のある顔だ。だが、首から腹にかけては毛ではなく灰色の鱗が生えている。そして、何より驚いたのは、胴体の羽の中からすうっと出てきたものだった。

「うわっ!? こ、このダチョウ前足がある!」

 大根田の驚きの声に、佐希子が駆け寄ってくると、おひょぇっと叫んだ。

 ダチョウの胴体から、足と同じく鱗に覆われた、鍵爪の付いた力強い三本指の腕が飛び出していた。肘の部分から上は羽毛に覆われている。

 オクは豪快に笑いながら、ダチョウの頭をなでた。ダチョウは目を細め、意外に可愛らしい声で鳴く。

「こいつらはいいぞ! どんな悪路でも四つ足で乗り越えていけるし、障害物がなければバイクくらいの速度が出せる! 餌は豆とか果物とか、虫だな! こうなってからは、鳥がダメな物でもむしゃむしゃ食うぞ!」

「……人は襲わないのか?」

 五十嵐の質問に、オクはまたも豪快に笑う。

「いやあ、ないな! こいつら触れ合いコーナーにいたんで、人が好きなんだよ! 口紅とか香水が好きな奴もいるから、注意してくれよ! 腹を壊しても獣医がいねぇからな!」

 ダチョウの背中には鞍が取り付けられていた。

 大根田がそれに手を伸ばすと、ダチョウはふっと腰をかがめた。

「お! どうやら、あんた気に入られたみたいだな! そいつはモホーク!! 群れのボスなんだが、寂しがり屋でねぇ!」

「モホーク?」

 大根田の言葉に反応するように、モホークの頭の上に赤紫色の冠羽が起き上がった。

「おうおう、モホークの奴、あんたにぞっこんみたいだな! 一応言っとくとこいつは雄なんだけどな!

 あ、乗る時は鞍の前にある取っ手を掴むか、首を優しく掴んでくれ! 方向転換は足で胴体を叩くか、口で言ってやってくれ!!」

 佐希子と野崎がオクの顔を見る。

「は? なんですとぉ!?」

「こ――言葉が判るのか、おい!?」

 オクは肩を竦めると、まあ、判らんだろうが、と言った後にやりと笑った。

「こいつらは人が大好きだからな。ちゃんとした人なら、空気を読んでくれて自由自在さ!」

 野崎は良しっと頷く。

「気に入った! とりあえず、ねだっち! そのモホークをお前専用にするから、しばらく一緒に暮らしてみてくれ。問題があったら報告よろしく!」

 大根田はぽかんとした後、モホークと目を合わせた。

「……ということなんだけど、どうだい?」

 モホークは可愛らしい声で、くえっと鳴くと、大根田に頬ずりをした。


予告:


 遂に移動手段を手に入れた大根田達!

 だが、次々と難題が転がり込む中、強盗団が姿を現す!



 次回C6 『人対人!(仮題)』


 お楽しみに!

 了

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