C3:6/17~6/18:栃木県居種宮市『拠点を防衛せよ!』

1:おくさんといっしょ

「れ、麗子れいこ……なに、その恰好?」

 大根田麗子、五十二歳。大根田とは中学からの付き合いである。

 大根田よりもやや身長が高く、短めにそろえた髪はふんわりと肩のあたりでカールしている。今の趣味は家庭菜園と、近所の奥様達と通っている茶道教室。

 そんないつも通りのおっとりとした口調の彼女は――


 全身黒尽くめであった。


 しかも、真っ黒い上下はまだ判るのだが、肩やひざには真っ黒いガードらしき物、そして胸にはやはり真っ黒いプロテクターらしきものが装着されているのだ。

 まるで、映画に出てくる特殊部隊みたいな格好。

「あ、これ? ええっと……」

 ぽかんとした大根田の顔に、麗子はううんと腕を組んで首を捻っていたが、ややあって、ぺろっと舌を出した。

「これ、実は、あなたに内緒にしていた趣味の服なの!」

「へ? しゅ、趣味ってご近所の人達と一緒にやってる、お茶――」

「ううん、最初はやってたんだけどね、どうも退屈になっちゃって――黙ってて、ごめんなさいね?」

 頭を下げる麗子に、大根田はいやいやと手を振る。

「いやいや、謝らなくていいよ。麗子がパートで稼いだお金だもの……で、どういうこと? なにやってるの?」

「サバゲー」

 大根田の口がぱくんと開いた。

「さ、サバゲーって、あの――モデルガンとかで射ち合いをする、その――」

「うん、それ。面白いのよ~。チーム名は『オクサマーズ』って言うの!

 でね、この装備は既製品をちょっと改造して動き易くした物なの。ほら――」

 麗子は胸に付けているプロテクターを拳でこんこんと叩いた。

「元の素材の樹脂とウレタンで、安物のパワーストーンを磨り潰した粉末を挟んだの。マナの備蓄量が若干アップしたみたい。ほんとに井沢さん腕がよくて――

 あ、ごめんなさいね、あなた。実はこうやってカミングアウトする日を結構楽しみにしていたの……」

「い、いやぁ~、うん吃驚びっくりしたよ、はは……」


 もしかしたら今日起きたことで、一番驚いたかもしれない。


 がたり、と音がした。


 麗子は片膝になると目にもとまらぬ速さで、腰に下げたハンドガンを片手で抜き、ドアに向けた。

「え、ちょ――」

 麗子はさっと大根田の唇に空いた方の指を当てた。

 な、なんだ、と焦る大根田は、自分が自宅の居間にいることにようやく気が付いた。

 昨日までは座椅子に腰かけて、並んでテレビを見ていた場所で、その妻が、かなり綺麗なフォームで模造品とはいえ、銃を扉に向けて構えている。

 大根田はこっそりと、頬をつねった。


 ――夢じゃないな。


「……聞こえる?」

 押し殺した声で麗子が聞く。大根田は耳を澄ました。

 ざららららっと床に米をこぼしたような音が微かに聞こえた。

 ドアの外、廊下からだ。

「……何の音?」

 大根田は声を潜めて麗子に聞いた。

「何かが家の中に入ってきた――事しか判らない」

「……動物とか不審者じゃないよね?」

「判ってるでしょ? あなたはあれらを何て呼んでるの?」

「い、いやあ、黒いのとか、化け物とか――」


「私たちは『マナモノ』って呼んでるわ」


 マナモノ、と繰り返す大根田に麗子は頷き、詳細は後にしてねと言う。

「とにかく、今は撃退するか応援を呼ぶか、判断しなくちゃ……」

 麗子は素早く押入れにっていくと、ふすまを少し開けて手を入れる。

「そういえば、あなたと一緒に運ばれてきた自衛隊の人――」

「……あ! あの人は――」

「大丈夫よ。回復して基地に帰ったわ。あの人があなたにお礼を言ってたわ……ええっと――お、あったあった」

 麗子は押入れから取り出したものを大根田に投げてよこした。

「こ、小太刀こだち――の摸造刀か」

 瞬時に重さで摸造刀と判ったが、大根田はさっと正座し、逆手で抜いてみる。

「通販サイトで九千円。そろそろ回復したと思うけど、どう? 立てる? 動ける? 後であなたをかついできた若い人にお礼を言わなきゃダメよ」

「僕を担いで――五十嵐さんかな? いや、参ったな、迷惑をかけてばかりで……」

 麗子はくすりと笑う。

「『おっさんならきっと、迷惑をかけたって言うだろうな』――って五十嵐さんが言ってたわよ」

「あ~……ははは……」

「ふふ……そこがあなたの良い所よねぇ……」

 麗子はそう言いながら居間の扉に近づき、空いている方の手で腰からナイフを抜いた。真っ黒い刃が、床に置かれた懐中電灯の光でぬらりと光る。

 大根田は布団に膝をつき、立ち上がろうとした。

 目が覚めた時に胸についていた松脂まつやにのような物が足元に零れ落ちる。

 懐中電灯に照らされたその欠片に、大根田はようやく思い当たった。

「あ、これって――」

 大根田はポケットを探ると、二つ頭がたおれた場所にあった琥珀色こはくいろの結晶を取り出した。

「これなのかな?」

「そうよ。あたしが持ってたやつの方が大きかったから、そっちを『使った』の」

「え? 麗子も持ってたの?」


 それに『使った』とは――


「それも後で説明するわ。で、どう?」

 だんだん口調が昔に戻ってきたな、と大根田はちょっとほくそ笑み、小太刀を腰に当て軽くステップを踏んだ。そのまま腰を低くし、壁に向かって一、二度素振りをする。

 モップの柄や、鉄の棒よりもしっくりくる。

「いけるわね」

 麗子は首元からフェイスガードをずり上げ、腰からフラッシュライトを取り出すと、ハンドガンに装着した。

「そういえば、五十嵐さんからこうも聞いたわ。『おっさんはすぐに命を捨てたがる』って」

「い……いや……それは、その――」

 口ごもる大根田に麗子はため息をついた。

「ほんとに中学のころから変わってないのね。それがあなたの悪い所――まあ、あたしが言えた義理じゃないけどさ」


 麗子の父親、如月和則きさらぎかずのりは大根田の剣術の師匠であった。

 彼は様々な流派を渡り歩き、この時代において剣の道を究めようとした男であり、それは現在も進行中のはずである。

 そして、如月麗子は大根田の姉弟子だった。

 彼が如月に教えを受けるようになった時、すでに麗子は達人の域になっていた。


「あたしだって、昔は『刀に生き、刀に死す』世界に憧れていたわよ。

 でも、『実際にそうなった』ら話は変わってくるわけでね……」

「……というと?」

 大根田はふらりと麗子に一歩近づく。

 麗子は大根田の目をまっすぐに見つめて言った。

「あなたやあたしには『技』がある。

 いや『力』があるって言った方がいいわね。

 だから私たちは、この数日――いや、数か月、いや数年を生き延びなければならないと私は考えるの。何故なら――」

「……何故なら、そうすることによって、『他の人たちが助かる』から――だね?」

「……そうね。それと――私を一人にする気?」


 嗚呼――


 大根田は天井を見上げ、目を瞑り大きく息を吸い、そして吐いた。


 僕――いや、俺の細やかな夢。

 時代劇の主人公のように、刀に生き、刀に死んでいく。

 シンプルで、力強く、ロマンがある。


 だが、俺が本当に憧れたのは、時代劇の世界じゃなくて、彼の生き方――


 弱きを助け、強きをくじく。

 あの照れ屋の風来坊が持っていた、シンプルな正義感ではなかったか。


 いや、それ以前に――惚れた女を悲しませるのは、男としてどうなんだ?


「よく判った。

 もう無茶はしない」

「ほんとに?」

「ああ。麗子を泣かせるのは『格好悪い』からね」

 大根田は、そう言って笑った。


 そうだ。

 言い訳をするな。

 シンプルに。

 年を取って、色々くっつけたものをそぎ取って、とにかくシンプルに。


 麗子は一度だけ頷くと、さて、と廊下に注意を戻した。

「五十嵐さんからあなたの能力――魔法って呼んでるんだっけ? それは聞いてるんだけど、狭い場所だと、ちょっと扱いが難しいと思うの」

 麗子はそう言ってドアノブに手をかける。

「だから、あたしの言うことをちゃんと聞いてね」

 大根田は頭に浮かぶ様々な疑問を置いて、麗子と反対側の壁に背中を付けた。

「努力するよ、姉弟子様」

「その呼び方はやめて」

 麗子は顔をくしゃっとすると、ドアを押し開いて一気に廊下に躍り出た。



 続けて廊下に飛び出した大根田は目を凝らした。

 ライトに照らされた薄暗い廊下の奥から、さっきの音が聞こえる。

 麗子は向かって右の壁に背中を付け、じりじりと前に進んでいた。

「背後に警戒。天井も見てね」

 大根田はさっと周囲に視線をめぐらし、手に力を込めた。

 薄闇に小太刀が赤く光り始める。

 ちりちりと音がして、焦げくさい臭いが漂った。摸造等の表面に何か薬品の類が付いていたらしい。

 ざざっと一際大きな音が前方からすると、廊下が静まり返った。


 廊下の奥――台所の前か。

 そして、向こうは気付いた。

 熱か、それとも視覚か。


 麗子はハンドサインで大根田を押しとどめ、一歩前に出ようとした。

 だが――ぎくりと足を止め、硬直した。

 ややあって、ゆっくりと後ろに下がった麗子はナイフをしまい、大根田にその場にいろとハンドサインを送る。

 大根田は赤熱化した小太刀を前に掲げた。

 炬燵こたつの中のような赤いほのかな光が辺りを照らす。

 だが、廊下の奥は相変わらず薄暗いままだ。

「麗子、廊下の奥に何がいるの? ここからだと暗くてよく判らない――」

 麗子は、さっと指を一本立て、そのまま自分のこめかみに当てる。一体どういう意味のジェスチュアだと大根田をひそめるが、更に不可解なことが起きた。

「こ、こちら大根田――自宅廊下にてマナモノを確認。昼間のあれで、その――壊れた所から入り込んだのかもしれないかな。

 カテゴリーは――なんだっけ――『変化生物へんかせいぶつ』ってやつかしら?

 お、大きさは――でかいわね……はあ……あたしの靴のサイズくらいかな。みんなに警報回しといて……」

 麗子はそう言って、じりっと更に一歩下がる。

「いや、うん、ドン引きしてる。ぶっちゃけ悲鳴を上げそう。サブイボがやばい。

 旦那が横にいるんで喋りながら――うん、彼も苦手なのよね……『ゴキブリ』」

 大根田は目をまたたき、小太刀を持った手を更に前方に伸ばした。

 廊下の奥の壁が赤く染まる。

 なのに、手前の床は黒いまま。つまりは――


 細く長い、ぴんと張った糸状のものが揺れながら起き上がる。

 背中に畳まれた羽が、赤みがかった虹色の光沢をひらめかせる。

 きしきしさらさらと固く軽いものがひしめき合う音が大きくなり始める。


 巨大なゴキブリ。

 大きさは成程、二十四センチといったところか。

 それが廊下の隅にぎっしりと群れを成しているのだ。

「……大丈夫、あなた?」

「…………ごめん、かなり無理かな。泣きそう……」

「あたしもだから、お願いだから抜け駆けはやめて」

「麗子さん、なが~い刀があればいいなあって思ってるんだけどさ」

「却下。この狭さだと『私が危ない』」

 麗子はまた、こめかみに指を当てた。

「くれなちゃん、ハンドガンじゃ無理ゲーだわ。転送よろしく。一階廊下の居間の前、サソリ一丁で」

「あ、あの麗子――それ、何をやって――」


『――こういうことよ――』


 突如、大根田の頭に麗子の声が響いてきた。

「うわ! な、なにこれ!?」

佐希子さきこちゃんは『思考通信』とか呼んでたけど、あたし達は『マナ電話』って呼んでる。そこらにあるマナを電波の代わりにして『お互いに心で会話OK』の人と話す共通スキルよ』


 マナ?

 共通スキル?

 佐希子ちゃんって――隣の家の八木佐希子やぎさきこちゃんのことか?


 麗子はにっこりと笑った。

『だから、細かい疑問は外に出たらちゃんと話すから。ね?

 それよりも、あなたと『事前契約』無しで会話できてとても嬉しい! 妻冥利つまみょうりに尽きるわ!』

 え? 事前契約? と大根田が口に出して喋ったその時、彼の斜め後ろでごとり大きな音がした。

 大根田は、ひっと小さくい悲鳴を上げ、ざっと振り返った。小太刀を構えた腕が、すさまじい勢いでサブイボに覆われる。

 だが、そこに落ちていたのは黒く光る、銃だった。

『サブマシンガンよ。転送してもら――』


 麗子のマナ電話が途切れる。

 同時に背中に鳥肌。

 振り返る前に理解する。


 ゴキブリ達が動き出した!


 壁越しに聞いていた、さらららという優しい音はどこへやら――

 ゴソソソソソッ! という、重く素早くおぞましい音を立て、巨大ゴキブリ達は床を、壁を、ついでに羽を広げて空を飛び、こちらに向かってきた。

「う、うおわわああああぁぁぁぁぁっ!!!」

 ライトの白く強く狭い光と、小太刀の赤く鈍い光。パニックになった大根田と、素早く身をひるがえした麗子が放つ二つの光を、真っ黒く平べったいそれらは、乱れるようにかわす。

 きええええっと奇声を上げ、大根田は小太刀を滅茶苦茶にふるった。

 赤く光る小太刀はヴンッと熱と重さを持って、何の抵抗もなく空を切った。

 直後、大根田の胸に、とすっと重い感触が生まれる。


 あひっ―――――――


 この重さは、小さなネコか、中くらいの大きさのカボチャぐらいか――と更に錯乱する大根田の足元を潜り抜け、麗子は転送されてきた『サソリ』こと、短機関銃『スコーピオン』を掴み、ハンドガンと交差させて、壁をぎ払った。

 硬直した大根田の耳に、甲高い射撃音とぶちゅちゅっと考えたくもない音が響き渡り、顔の左半分に、生暖かい液体と固くて小さい物がぶちまけられる。

『おあああぁおあぁおぁあああああああああああ』

『それ止めて! こういう時こそ不動の心でしょ! あと動かないでね!』

 びくびくと痙攣けいれんしだした大根田に飛びつくと、麗子はナイフを抜き、前をさっと払う。

 ワイシャツのボタンがはじけ飛ぶ感触。同時に重さが消え、さらららっとビニールが擦れるような音と、風が顔に吹き付けた。


 ああ―――――飛んで逃げたか。


 暗闇からギュバババッと射撃音が響く。壁や床がびしびしとえぐれる音。

 音だけで光がない、と大根田はぼんやりと思う。


 つまりは火薬を使っていない、モデルガンなのだ。

 だが、それにしたって凄い威力だ。

 改造銃、というものなのだろうか?

 ああ、それにしても床や壁を直すのに幾ら――いや、そういう業者が来る状況ではない――


 大根田の顔が、またもぱっと照らされた。

「……あなた、大丈夫?」

「ふぁい? …………れ、連中は?」

 麗子は廊下をさっとライトで照らした。

 壁、床、天井問わず、ぐちゃぐちゃのドロドロだった。

 しかも、とてつもなく臭かった。

 大根田は麗子と顔を見合わせた。

「…………ごめん、吐きそう」

「格好悪いわねぇ……まあ、あたしも限界だけどね」

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