6:顕現

 大根田は鉄棒を横に払った。

 ぶんと重く唸る鉄棒に、わずかだが手応えがある。


 この霧が、化け物なのだとしたら――自分に打つ手はあるのだろうか。

 漫画やアニメ、ゲームなら核みたいな弱点があるものだが、現実では――


 大根田の前方で、霧が渦を巻くと、手のような形になった。

 うわっと硬いアスファルトに転がると、唸りをあげて霧の手が横を通り抜けていく。

 速くはない。

 だが、大きい。

 あれは――掴みに来たのか?

 だったら――

 大根田は立ち上がると、周囲を見回す。

 同時にいくつもの渦が現われ、それが巨大な手になって突き進んでくる。


 掴んでくるなら、その瞬間は叩けるはずだ。


 大根田は向かってくる手の一つに駆け寄ると、ぶつかる直前に右に体をさばき、鉄棒を横にぐ。鈍く重い手応えと共に、霧の手が二つに裂け、じゅうじゅうと水が蒸発する音が鉄棒からした。


 そうか、水か。

 霧は何かしようとする際に、密度を上げ、水で攻撃してくるということか。


 大根田は鉄棒を八相に構える。


 前か、後か、右か、左か、それとも――


 唐突に、それは現れた。


 白一色の霧の中に色濃い部分ができ、それが縦に細く長く伸びてゆく。

 大根田の身長を遥かに超すほど高くそびえた『霧の柱』。

 それは中心から二つに、まるで門が開くように裂けた。


 な、なんだ――


 真っ暗な空間が、霧の柱が裂けた先にあった。

 その暗闇の向こうで、何かが漂いながら、間違いなくこちらを見ている――大根田は全身の毛が逆立つのを感じた。


 その真っ暗な向こうから、光り輝く何かがやってくる。


 はっと大根田は気が付いた。

 臭気が――あのオゾン臭さが強くなっている。


 しまった――


 きびすを返そうとした大根田は、強烈な喉、そして胸の痛みを覚えた。視界が歪み、鼻が、腕が、背中が激痛でひきつる。

 膝をつき、歯を喰いしばる大根田の目の前に、光り輝く大きな人型が現われた。霞む目を凝らすと、それは青白く光る霧が人の形に渦巻いているのである。

 大根田はくそっと小さく叫ぶや、かろうじて保っていた八相から、鉄棒を振り下ろした。

 だが、赤い鉄棒は霧の大男の体内を抵抗なく通過してしまう。水が蒸発する音は聞こえたが、切った断面は瞬く間に塞がってしまった。


 くそっ、駄目か――あっ!?


 大根田は鉄棒から熱が奪われてしまった事に気が付いた。

 慌てて集中しようとするも、全身に走る激痛がそれの邪魔をする。

 霧の大男は大根田に向かって手をかざした。

 てのひらが割れ、青白く濃い霧がどろどろと噴出された。それは水にたらした墨のようにねっとりと渦巻き、大根田の身体に絡みつく。

 悲鳴すら出てこない激痛と、息苦しさに大根田はたまらずアスファルトを転がった。


 な、なんとか逃げなくては――今は安全な場所――そうだ、すぐ近くにうちがあるじゃないか――


 大根田の目が見開かれる。


 いや!

 こいつがいる限り、安全な場所なんてない!

 こいつがこのまま霧を拡げたら、うちも飲み込まれて、麗子も――


 大根田は歯を喰いしばって体を起こした。


 なんとしても!

 なんとしても、こいつをどうにかしないと!

 だけども、今のままではダメだ

 今のままの――


 大根田は鉄棒を見た。


 今のままの熱では、あいつを蒸発しきれない。

 もっと――もっと高い熱を!

 あいつを一瞬で蒸発させるぐらいの、高い熱を!


 大根田はゆっくりと片膝をついた。

 眼鏡を外し胸ポケットに入れる。

 そのまま鉄棒を刀のように左手で持ち、腰の横に置く。右手を鉄棒にかけ、ゆっくりと息を吸い込んだ。

 焼けつくような喉と肺の痛み。

 鼻と耳、そして両目の端から熱いもの――血が垂れ始める。


 大根田は目を瞑ると、そのまま力を探る。


 内にある力。

 いや――流れ込んでくる力、か?


 それが次第に大きな塊になり、鋭く、そして赤く燃え始める。

 自然と、大根田の体は前に傾いて行った。

 霧の大男は、両腕を拡げ、更にその大きさを増しながら大根田に向かっていく。

 だが、それは突然歩みを止めた。まるで見えない壁にぶつかったように、霧をたなびかせ、身を震わせる。

 渦巻く霧の頭部が震えると、穴が二つ開く。

 それは目のようなものだった。

 勿論眼球は無く、霧が中に流れ込んでいく暗いへこみの様なものだ。そして、その奥ではきらきらと青白く光る何かがせわしなくうごめいているのだ。

 それは虚ろな眼下をもって、コメツキムシのような姿の大根田を見下ろした。


 ほとんど頭をアスファルトに付けるような姿勢。

 引き絞られ、今にも弾けそうな手足。

 ほぼ垂直に、サメの背びれのようにそそり立つ鉄棒。


 しぼられたバネ――



 瞬間、大根田は全ての力を乗せ――鉄棒を『抜いた』。



 五十嵐は霧から飛び出すと、遠巻きにしていた駅員達に自衛隊員を任せ、よしっと顔を拭う。

「……ん? ちょ、ちょっと、あんた、また戻るつもりじゃないだろうな!? やめろって!」

 青い顔をした年配の駅員の言葉に、五十嵐はにやりと笑った。


 危ないのは判ってるんだよ。

 でもよ――


 五十嵐は踵を返すと、霧に向かって走り出そうとした。



 霧が爆発した。



 ドンという音と、熱風が同時に襲ってきて、遠巻きにしていた人々が吹き飛ばされる。五十嵐はとっさにスーツを被ると、体を低くし、指先でアスファルトに張り付くように体を支えた。

 床屋で熱すぎるタオルを乗せられたような感触が、閉じた目の上に襲ってくる。

 腕毛がちりちりになっていく感覚。

 アスファルトに付けた指先がずぶりとめりこむ。


 おいおいおい! アスファルトが溶けてんのか!?

 こ、これ、おっさんがやってんのか?


 スーツが吹き飛ばされ、五十嵐はやや弱まった熱気の中、目を開いた。

 ぼるぼるぼると風を巻くような音を立てながら、霧がのたうつように消えていく。

 餃子屋の壁に、転がったヘリコプター、そして――


「おっさん!」


 大根田がいた。

 片膝をつき、鉄棒を水平に振り切ったポーズでうつむいている。

 そしてその前に、真っ白い霧の大きな塊ができつつあった。

 霧は消えたのではなく、そこに集まっていたのだ。


 こいつが、霧の化け物の正体――


 霧で形作られた大男――こんなもの、どうやって殴りゃあいいんだよ? 

 五十嵐は心の中でそうぼやきながらもファイティングポーズをとる。

 だが、霧の大男は形を取り戻すと、ふわりと宙に浮き、そのまま上昇を始めた。


 逃げた――いや、違う、か――


 呆然とする五十嵐や周囲の人々が見守る中、霧の大男はぶわっと胸を膨らましたかと思うと、文字通り霧散し、渦巻く霧の波のようになって空に登っていった。


 五十嵐は我に返って大根田に走り寄る。

「おっさん! おい、無事か!? 返事をしやがれ! 怪我は!?」

 大根田はゆっくりと顔をあげた。

 五十嵐はうっとうめいて一歩下がった。

 目、耳、鼻、そして口から流れ出た血で、大根田の顔はドロドロだった。

「無念……一歩浅かった……」

 大根田はそう言うとアスファルトに突っ伏した。





 闇の中で何かが燃えている。

 何が燃えているのか。

 手が――俺の手が燃えている――

 俺――俺は――


 ――あ――


 体に何かが流れ込んでくる。

 温かい?

 冷たい?

 よく判らないが――気持ちよくて――


 ――なた――


 なんだ?

 なにか――声が――

 誰かが――俺を呼んで――


 あなた!



 はっとして目が覚めると、そこは会社の廊下と同じく薄暗かった。

 視界がゆらゆらと揺れるのを感じる。

 体中に細かい痛みが走る。


 ああ、つまりは――生きているという事か。


 大根田は体をゆっくりと起こした。

 さらさらと微かな音がし、反射的に手を腹の下にやる。

 何か細かい破片が、胸から滑り落ちてきた。

 硬く、細かく、無臭で、熱くも冷たくもない。


 何だ?

 これは――何かの金属――いや、そこまで硬くは無いな。

 この感触は――松やに?


 突如、まばゆい光が大根田の目を刺した。


「まったく、無茶しちゃって……」

「…………へ?」

 懐中電灯を持った女性が、布団に寝かされた大根田の横に座っていた。

 女性は頬笑んだ。

「お帰りなさい、あなた」

 大根田は目を瞬き、ややあって笑顔になり――それから当惑した顔になった。


「れ、麗子……なに、その恰好?」



 C2 了





 予告:

 一命を取り留めた大根田。そんな彼の目の前に、世界の秘密を少しだけ知る人物が現れる! 更に新たなトラブルが――


 次回チャプター3 『拠点を防衛せよ!(仮題)』

 お楽しみに!

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