雪を溶く熱
ぎざ
本編
涙の理由(わけ)
昨夜から降り続いていた雪は止んだようだ。
窓を開けた。外の空気は新鮮で、ひんやりとして気持ちがいい。だからと言って外には出たくないから、換気だけに留めておいた。空は澄んだ青空だった。
さ、朝ご飯を作らないと。
昨日作ったものの残りを利用すればあっという間だろう。
ふと気がついたら私は涙を流していた。次から次へと溢れてくるのだ。止まらない。しかし、手でぬぐうわけにはいかなかった。
秋人は、今頃電車に揺られて、空港へ向かっているだろうか。
私は、昨夜のことを思いだした。
◆
家に戻るころには空が暗くなってきて、雪がちらほらと降り出した。夜から雪が降るって、天気予報通りだ。洗濯物は部屋に干してあった。この雪は明け方まで降り続くという。
夜の間、しんしんと降り続くと、積もるかもしれないな。
もう今日は外へ出なくてもいいし、冷蔵庫の中のものだけで夕飯は簡単に済ませることにしよう。
荷物を置いて、夜ご飯の支度を始めた、そんな矢先だった。
「ピンポーン」
(だれだろう。こんな時間に)
ドアの覗き穴から見てみると、そこには随分と懐かしい顔が。
「……誰ですか?」
「俺だよ、俺。秋人だよ」
やっぱり秋人か。
予想通りだけれど、今ここにいるのは予想外だった。
「うん。何の用?」
「一生の頼みだ! お前の唐揚げをもう一度、食べさせてくれないか!」
「はぁ?」
中学を卒業してから10年近く会っていなかったクラスメイト、秋人。背が伸びていたが、緊張感のない顔と、言うことの脈絡のなさは健在だった。
「ほら、お子さんへのお土産も持ってきたし」
「…………。せめて先に連絡するとかしてよね」
私は玄関のドアを開けた。
彼は両手に大量のミカンが入ったビニール袋をぶら下げていた。
「はい、これ、プレゼントな!」
「ありがとう。それじゃあね」
ドアを閉めた。
「唐揚げー! 唐揚げぇ!!」
閉めたドアの隙間から恨めしげに右手を覗かせる秋人に根負けして、私は家に招待することにした。このまま叫ばれると近所迷惑だ。
「あ、まだ旦那さんは帰ってないんだな。ごめんな急に」
玄関に私の靴しか置いてないから、そんな気の利いた事言っているのだろう。
「久しぶりで驚いたろ? 実家に荷物取りに来たんだよ。俺、東京に異動することになったんだ。本社だぜ。明日の朝出発するんだ。見送りに来てもいいんだぜ」
トントントン、と私は包丁をリズム良く動かす。あいつはリビングのソファに座って、一人で勝手に喋っている。
「荷物持ってホテルに戻ろうとしたら、しんしんとまぁ、雪降ってきてさ。そしたら急に、美冬の唐揚げを思い出したんだよね。家庭科実習で作ってくれたやつ! 気づいたら、美冬の家に来てたよ。大量のミカンを持って!!」
トントントン、と私は包丁をリズム良く動かす。
「いやー、でもびっくりしたよ。美冬が嫁いだって母ちゃんに聞いたのも、さっきでさ――」
「唐揚げ、もちろん今から作るんだから、大人しく待てるんでしょうね」
私は包丁片手に秋人に詰め寄る。
「な、なんか、その包丁怖いん――」
「待てるんでしょうね」
「は、はは。家庭科実習を思い出すよな。俺、部屋の隅で待ってるよ。うん」
最初の数分は黙っていた秋人も、喉元を過ぎればなんとやら。沈黙が耐えられなくなったのか、ぽつりぽつりとの独り言を話し始めた。
「いやー、懐かしいな。仲良かったもんな。俺たち」
聞き捨てならないことを言った。
「何言ってんの。
「……そこまで言わなくてもよくね?」
「中学校以来、会ってなかったでしょ。実際」
「まぁでも結婚したってさっき聞いたぜ。子供も生まれてさ。そういえば、どこにいるんだ? 顔を見せてくれよ」
しんと、静まり返った家。玄関には私と秋人の靴しかない。秋人の声がうるさかったからテレビは付けていなかった。雨混じりの雪が雨戸に当たった音だけが響いていた。
秋人は何かに気づいたようだった。
遅いっつーの。嫁いだのなら、実家に私がいるわけないでしょうよ。
「お前、それ。涙のあとじゃねぇか? なにか、あったんじゃ……」
「うるさい」
使い終わった包丁を洗う。あとは材料を混ぜるだけだ。
「明日、出発するんでしょ。そんな奴に優しくされても困るの」
「…………。それもそうだな。悪かった。突然邪魔して……」
「もういいの。久しぶりに騒がしくて、楽しかったから」
明日からしばらくいなくなるんだし。今日のところは許してあげることにした。
◆
ホッカホカの唐揚げを秋人にふるまった。さっさと帰ってほしかったし。
「うんめーーーーー! やっぱ天才だよ、美冬」
その唐揚げ、冷凍だよ?
「このタルタルソースがうまいんだよな! 白い雪見てたら思い出したんだよ」
「今日雪降らなかったらあなたに会わなくて済んだのね」
「ほんと雪降ってよかった! これ、美冬んちの特製だろ? 市販のより具材の粒が大きくて、歯ごたえがあって、美味しいんだよなぁ!」
唐揚げよりもソースの減りが早い気がする。こいつ、唐揚げよりも、そっちが目当てで来たのか。
「うまいわ。うまい。おいひい」
「はいはい」
「ありがとな。しばらくこっち帰れないけれど、いい思い出ができたよ」
「はいはい」
私も久しぶりに作ったけれど、おいしい。私、才能あるかも。なんてね。
秋人は大量のミカンを置いていき、帰っていった。
ミカンをひとつ剥いて、一粒口に放り込んだ。
ミカンはいつも変わらない、味だ。
「おいしいね」
誰に言うでもなく、素直に言葉は出た。
そんな素直な私に、誰からも返事はなかった。
◆
翌朝。1人分の朝ごはんを作る。その習慣に慣れてしまって、包丁を動かすのも苦ではなくなった。朝起きて自然に体は動く。
晩ご飯の残りの唐揚げが、今朝のおかずだ。
作りすぎた唐揚げと、反比例して空っぽのソース。
秋人のやつ。子供か、ってくらいソースをたんまり付けて食べていたから、それでお腹いっぱいになっちゃったんだろう。だから今朝は、そのソースを作り直すだけで済んだ。
トントントン、と私は包丁をリズム良く動かす。
我が家特製の秘密のレシピ。具材を大きめに、ザクザクと切り刻む。
キッチンの窓を開けた。部屋の暖かい空気は窓に吸い込まれ、代わりに冷えて澄んだ空気が私を撫でた。
窓から見える雪は太陽の光によって溶けはじめ、きらきらと輝いて見えた。目は少し潤んでいた。
「何か、始めてみようかな」
歩き出したい私の背中を、誰かが押してくれたようだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
問5。傍点部「私は涙を流していた」その理由を答えよ。
試験当日。国語。
紙の上を滑らす鉛筆の炭が擦れる音のみが聞こえた。
くっそ。わからない。シャープペンシルを持つ手の動きが止まった。
美冬。……美冬! 教えてくれ。
お前のその涙の
完
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