青龍の葛藤(前編)
この肉体……、の。顔が、見られた。
自分のものと言い切れず、未だにあの女に影響される、この体を見られた。
この屈辱、惨めさ、悔しさをどのように表そうか……。
魔導士は何も出来なかった。この苦しみを消すには、この顔を見た者、つまり大賢人を消さなければいけない。だが、正攻法では絶対に勝つことは出来ない。そもそも、現在の大賢人は部屋に引きこもっており、外に出ることはない。
……逆に言えば、今の大賢人は戦える状況ではない。今、あの城に乗り込むことが出来れば、あわよくばあの大賢人を……。
タン、タン、タン……。
「——はっ!」
魔導士の心臓が何かに握りつぶされた。息が上手く排出されない。目の焦点も合わなくなる。
この陰湿な洞穴の中で聞こえる、何者かの足音。
魔導士の中に、あの大賢人が復活した。こちらの魔術を完全に捉え、青白色のオーラを纏い降臨した大魔法使い。こちらの力がまったく通じないほどの、圧倒的な魔術を持った存在。そして、私に……。新たな世界を見せてくれた、魔法使い。
感じるのは、恐怖。そして興奮。
仮面の内側が汗ばむ。汗と荒い息によって、内側がじめじめとしていく。顔が熱くなるのも相まって、本当なら今にも仮面を脱ぎ捨てたい。
「……あなたが、魔導士殿……、ですか?」
そこから聞こえたのは、小さな少年の声だった。あまり落ち着きがない、不安症な人柄が想像出来そうな、やや高い声が壁に染み入った。
仮面のむれは退き、顔もいつも通りの熱さへと戻った。平常心を取り戻した魔導士は、声が聞こえた方向を向いた。
そこに立っていたのは、やはり小さな少年だった。自信のなさそうな顔に、覇気のない目。童顔で、女装させればそのまま女子に間違われてしまいそうな顔をした、弱そうな少年だった。
「……なぜ、お前のような子供が、ここにいる?」
魔術によって潰された、恐ろしい声が洞穴に響く。この少年は恐怖に震えあがるだろう。こんな陰湿で不気味な場所へやってきたのだ。きっと、その場で硬直し……。
「俺は、あなたにお願いがあって参上しました」
この声にひるむことなく、少年は魔導士を見続けた。呆気にとられたのは魔導士の方だった。自分は既に、こんな少年ごときに負ける存在なのか? 魔導士が勝手な妄想の世界に入ろうとした時、少年の高い声がそれを遮った。
「俺は、大賢人・新川叡持殿の騎乗竜、使い魔のハヤテです。今は、魔導士殿とお話をするため、仮の姿に化けております」
〇 〇
特訓に特訓を重ねた。強くなるために。……いや違う。これは、“逃げ”だ。
広い訓練場で一人、ハヤテは大の字になって寝転がっていた。体を動かしすぎて、もう動けない。ぐだっとなり、床と一体化していると言われても反論出来ない。それほどまでに、ハヤテは体を追い込んでいた。
体が使えなくなったハヤテは、代わりに頭を使うことにした。
どうすれば家族を護れるのか。
……気が付いた。こんな曖昧なイシューでは、何も出来ないだろう。同時に自分は、こんな雑なイシューに基づいて行動していたことが分かった。
ただ生き延びて、ただ使い魔になって、ただ特訓して。得たものは確かに多い。だが、果たして俺は、このままでいいのだろうか。
少なくとも、俺は今、どうしたいか。
俺は、母さんを解放したい。あの魔導士の手から解き放って、ゆっくり休ませてあげたい。そのために、俺は今、特訓をしている。
本当に、手段は合っているのだろうか?
確かに、魔導士を殺害すれば母さんは解放されるだろう。そして、俺が魔導士を殺害出来るだけの力を手にすれば、すべて解決する。そして、その力があれば、あわよくば弟も……。
……それが出来れば苦労はしないんだ。力をつけることは理想だ。だが、時間と苦労がかかりすぎる。相手は待ってくれない。自分が力をつける前に、また魔導士は母さんを使役するかもしれない。
俺は今すぐにでも、母さんを解放しなくてはいけない。しかし、魔導士を殺害することは出来ない。つまり、別の手段を取らなくてはいけないということだ。
Dドライバの力に頼るか? あれは重い副作用の代わりに、強大な力をくれる。あれほどの力なら……。
やめよう。いくらDドライバでも、あの魔導士に敵う保証はない。使えないものに多額のコストを支払うのも……。なんか、使う言葉が叡持殿に似てきた気がする。
それに、もし俺がDドライバを使うことを知ったら、棟梁はどう思うだろうか……。
それからしばらく、ハヤテは黙って考え込んだ。しかし、妙案はまったく浮かばない。答えの出ない堂々巡りのような思考。
はぁ……。もし魔導士に「お願いです! 母さんを解放してください!」って頼んで解放してくれたら……。
……ん?
ハヤテの頭に電撃が走った。この手があった。こんなところを見逃していたなんて——。
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