古の天災(前編)

 かつて、この世界を震撼させた一頭の竜がいた。翡翠色に輝き、様々な都市を消滅させていった恐怖の竜。その巨体と外観は、災厄と言うよりは神の奇跡と呼ぶ方がふさわしく、「天罰の使い」などと呼ばれることもあった。


 その竜は、輝く巨体を空に浮かばせながら飛来し、輝く光線と共に都市を消滅させる。余りにも美しかったので、当時はその姿を見るために旅に出た者が続出したという。


 しかし、その竜は突然姿を現さなくなった。


 多くの者は、それが天災の終わりであり、人類が許されたことだと歓喜した。このような伝説が、あらゆる都市、村に残っている。


 魔導士は、強力な魂を探していた時に偶然その伝説を知った。その竜は今どこにいるのか。仮に死んでいれば、魂を操ることも可能かもしれない。そうして、魔導士は竜の捜索をすることにした。




 伝説は非常にきれいなものである。しかし現実はそれほど神秘的なものではない。竜は生物であり、自分の希望通りに生きるもの。魔導士はその魂を捉えた時に理由を知った。


 この竜が姿を現さなくなった理由、それは、彼女が身ごもったからである。


 破壊の限りを尽くしていた竜は、腹の中にいる自分の子どもの存在を知った時、誰も来ないような深い山の奥に身を隠した。誰にも見つからないように。誰も、自分の子どもを傷つけられないように。



 彼女は、ひっそりと子どもを産み、ひっそりと育てた。


 一頭は、薄い青の肌を持った、少し臆病な子ども。彼女の長男でもある。若干強がりだが、基本怖がりで、あまり外に出ようとか、冒険しようということはしなかった。


 もう一頭は、鮮やかな赤を持った子ども。臆病な兄とは対照的に、積極的に外に出ようとし、好奇心旺盛な子どもだった。


 兄は、必死に弟にかっこいい姿を見せようとした。しかし、気が強くて度胸のある弟に、いつも勝つことが出来なかった。反対に弟は、いつも外に行こうとしたり、目の前に映るものすべてを興味津々に眺めていた。



 かつての天災は、この小さくて幼い子どもの竜を、ずっと護っていた。この二頭が大きくなるのを見るだけで幸せだった。こんな時間がずっと続けば……。





 時代が流れれば、伝説は体験ではなくなり、単なる物語となる。竜の寿命は長い。既に、かつての天災を知る者は完全にいなくなった。この竜は、もう天災ではなく二頭の母として、平穏に、静かに暮らしていた。




「これかあ、案件の竜は」


 幸せな時間は、たった一人の男の訪れによって脅かされた。一本の槍を持った男が攻撃を仕掛けてきた。


 男の槍の腕は非常に高いが、かつての天災と渡り合うには実力が足りなかった。しかし、この竜は後ろで子どもを護りながら戦っている。本来の実力が全く引き出せない状況は、次第に竜を不利な状況へと追い込んでいく。


 その時男は、自分に隠れる子どもたちに気が付いた。


「おお、子どもじゃん」


 男は急に標的を変え、二人の子どもへと攻撃を放った。


 二人の子供はまだ小さい。体もまだ弱い。こんな攻撃を食らったら死んでしまう。


 考えるよりも先に体が動いた。その攻撃から子どもを護るため、その攻撃を、自分の体で遮った。


「グオオオオオオオオ……」


「あちゃあ……。子どもを狙ったんだけどなあ」


 攻撃は、竜に直撃した。大幅に戦力を削がれた竜は、護った子供たちの方を向いた。


 か弱い子どもたちは、心配そうな目をしながらこちらを見ていた。あどけない体を近くの岩に隠し、ずっとこちらを見ていた。


 ——何をしているの? 早く逃げなさい!


 竜は声をかけたが、二頭はずっとその場にいた。その間にも、男は再び子どもたちを攻撃しようとした。


 そしてその攻撃を、再び体で受け止める。美しい体はぼろぼろになり、竜の体力が底を突き始めた……。





 ……子どもたちは無事だろうか。もう一度あの岩を見た。そこでは、青いお兄ちゃんが、赤い弟を背負い、今、逃げ始めるところだった。



 よかった。あの子たちは、私から離れ、今、生き残るために逃げようとしている。私にできること。それは、あの子たちが逃げるまで時間を稼ぐこと——。



  〇     〇

 〇 〇   〇 〇

〇 〇 〇 〇 〇 〇

 〇 〇   〇 〇

  〇     〇



「無念だっただろう……」


 その竜は、その場にとどまる亡霊となっていた。


 子どもを生かすために犠牲となった古の天災。子どもを最後まで見守ることが出来なかった。その無念が、この竜を亡霊としてそこに保存させていた。


 竜の一生は長い。人間なら、生まれてから一人前になるほどの期間も、彼女にとっては一瞬。魔導士が生まれる前に死んだ魂であるのに、この亡霊は実に鮮度が高かった。そして、この世に魂を留められる強い未練と、生前から変わらない強大な力。これほどまでに使いやすく強大な魂があっただろうか……。



 子どものために命を捨てた母親は、この時を境に、魔導士に操られる眷属となった。中身のなくなった未練に引き留められた、かつて天災と恐れられた力。魔導士の手駒として、最終兵器として利用される、かなしき亡霊。


 その亡霊を召喚する時、それは、魔導士が絶体絶命の状態になった時。


 その時は来た。最強の魔法使いである大賢人を滅ぼすため。今、古の天災を復活させた。


〇 〇


 巨大な竜の亡霊は、既に美しさを失っていた。しかし、その力だけは健在。叡持はその竜と対峙し、魔術の発動の準備をした。そして、叡持を乗せるハヤテは……、ずっと会いたかった者の前で、ただ震えていた。

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