第22話 約束のオムライス

翌日。佳亮は緊張して薫子の部屋を訪れた。何時ものエコバッグを持って、佳亮は玄関で薫子が出かける準備をするのを待つ。


…筈だったが、逆に薫子に部屋に上がらないかと誘われてしまった。


今日の料理は? それより前にもう会えないと告げられるのだろうか? もしそう告げられたら、素直に頷いて部屋から出ていこう。そう心の中で決めて、佳亮は靴を脱いで部屋に上がった。背水の陣とはこのことか、と頭の中でよぎった。


「あの…、なにもなしじゃ寂しいから、コーヒーでもどうかと思って」


そう言って、薫子が冷蔵庫から缶コーヒーを取り出した。そういえば会話が少なくなってから、食事のお礼のコーヒーも買いに行くことがなくなった。思えばあのくらいから、玄関で何か言いたそうにしていたっけ。


そう思ってコーヒーを受け取る。佳亮が座ったのを確認して薫子も正面に座った。缶コーヒーを持ち直して薫子を見と、心なしか、自分だけでなく薫子も緊張した表情だ。


受け取った缶コーヒーを開ける心の余裕もなく、手の持ったままテーブルに置いた。カン、とちょっと高い缶の音が小さな部屋に響く。


「………」


「……、………」


無口な二人とは正反対に、窓の外をエンジン音が何度か行き過ぎた。沈黙が堪らず佳亮が口を開きかけたとき、薫子が、あのね、と口火を切った。


「あの、ね……。私、佳亮くんに、…伝えたいことがあって……」


うろうろと彷徨う視線。良くない話の兆候だ。佳亮は深呼吸をして受け入れる心の準備をした。


「あの、……私…」


言いかけて、薫子が席を立つ。促されて部屋の奥に座っていた佳亮に背を向けて薫子がキッチンへ行き、冷蔵庫から何かを取り出した。……皿に盛られた、黄色い塊。…端っこが焦げているけれど、それは多分きっとオムライスだった。


「………」


目の前に展開された、オムライスの乗った皿とスプーンと、それから薫子が持っているケチャップ。…意味が分からない。薫子は、今後一切佳亮と会わないという話をしたかったんじゃなかったのか?


(あ、もう一人で料理作れるから、お役目御免、ってことかな…)


成程、それならオムライスの意味もしっくりくる。佳亮は微笑んで、すごいやん、と褒めた。


「薫子さん、一人でオムライス作れるようになるの、夢でしたもんね。良かったです。めっちゃ上手に出来てます」


佳亮が褒めると、薫子は顔をくしゃっと歪ませて、嘘よ、と呟いた。


「嘘は要らないわ、佳亮くん。私は、どう頑張ってもこんなオムライスしか作れないのよ…。出来損ないの女だわ……」


何故か、薫子のほうが泣きそうだ。今、泣きたいのは佳亮なのに。


「どうしてですか。最初卵もろくに割れなかった薫子さんが、卵をきれいに割って、それをきれいに混ぜて、挙句の果てに火を使ってお米と卵を炒めたんでしょう? すごい進歩ですよ。いくらでも褒めます」


佳亮が手放しで褒めているのに、薫子は顔を歪めて全然嬉しそうじゃない。これはいよいよ、本格的に佳亮の言葉が届かなくなっているのか…。佳亮は絶望した。


「薫子さん……」


力ない佳亮の呼びかけに、でも、と薫子が言葉を継いだ。泣きそうになりながら喋るから、しゃっくりが混ざる。それでも、薫子は言葉を繋いだ。


「でも…っ、一人で、作れるように、なった、ら、…食べ、て、くれる、…って、…よし、あきくんが…、言って、…くれた、…から、頑張れた、の……」


しゃくりあげながら、ようように言葉を紡ぐ。佳亮に食べさせたい一心で頑張ってくれたことを、嬉しく思うし、この思い出を宝物にしようと思う。


「ありがとうございます、薫子さん。僕も、薫子さんのお力になれたみたいで、嬉しいです。…これ、崩してまうのが勿体ないですけど、いただきますね」


本当に、スプーンを入れるのが惜しいくらい、きちんとオムライスだ。卵はちょっと破れて端が焦げ、中のケチャップライスも黒い米がところどころにはみ出ているけど。


それでも、大事なオムライスだったから、味わって食べよう。そう思ってスプーンを手にした時。


「まって……。……そのオムライス、まだ仕上げてないの……」


薫子がそう言って佳亮がオムライスをスプーンで掬うのを止めた。


…仕上げてない?


目の前のオムライスは焦げはあるものの、赤いケチャップライスを黄色い卵で包んであって、完璧にオムライスの形をしている。何が足りないというのだろう。


疑問に思っていたら、薫子がケチャップを手に持って、テーブルに乗り出してきた。…容器からケチャップが垂れる。


「……っ、………」


「………、………っ」


薫子が、オムライスの上にケチャップで不器用に…ハートマークを描き上げた。まさか、そんなものを描くとは思っていなくて、佳亮は驚いてしまう。


「か…っ、……かおるこさん……?」


佳亮がオムライスから視線を上げて薫子を見ると、泣きそうな目になって歯を食いしばった薫子が口を開いた。


「好きです……っ」


「…………………、………」


…………は…? なんだって…?


一瞬呆けた佳亮に、真剣な瞳をした薫子が迫ってきた。


「こんな、女の屑みたいな私だけど、好きな気持ちは、本当なの……。料理教室を逆手に取るようなことしてごめんなさい。…でも、あれがないと、佳亮くんに会えなかったから……。…でも、もう良いの。気持ちを伝えられただけで、満足だわ…。今後は…、…佳亮くんと彼女の邪魔はしない」


きっぱりとした口調で薫子が言う。


………。


……ちょっと待って。脳みその処理が追いついてない。大体、薫子は最初に思ったように美形なのだ。女ということを勘案して美人と表現しても良いけれど、要するに整った顔の人に真剣なまなざしで切々と訴えられると、それだけで脳みその処理能力がパンクする。


佳亮は状況を把握しようとしてかぶりを振った。


「待ってください、待ってください。薫子さんには恋人がいますよね? その方はどうしたんですか? それに、僕の彼女って?」


この前見た光景が脳裏をよぎる。あの時、確かに薫子は上体を屈めて運転席に顔を寄せて何か話をして、そしてドライバーとキスをしていた。あの人は恋人じゃないのか? もしかして別れたとか? それに佳亮の彼女とは、どういう意味だろう?


佳亮の言葉に、心底思い当たらないというきょとんとした顔で、薫子が、こいびと? とおうむ返しに問うた。


「そう、恋人! この前、ランボルギーニで帰ってきた薫子さんとキスをしてたでしょう!」


佳亮の言葉に、漸く合点がいったというような表情(かお)の薫子が、佳亮の疑問に答えた。


「ランボルギーニ…? 兄のことかしら…」


あに…? お兄さん……?


「お…っ、お兄さんとキスしたりするんですかっ!?」


「するわ。家族ならするものじゃないの?」


急転直下。まさかの展開。恋人だと思っていた人が兄だっただなんて。ブルジョワの生活習慣に佳亮は頭を抱えた。


あんなに悩んだのに!


そう訴えたかったけど、薫子が項垂れた佳亮を心配そうに見てきたから、それも出来ない。


「それで…、…彼女の居る佳亮くんに聞くのは、変かもしれないけれど…、佳亮くんは、私のことを、どう思っているのか、…聞いても良いのかしら……」


言葉尻こそ控えめだが、目がキラキラしている。佳亮に彼女が居ると言いつつ、これは確信しているな。そうだとも! 惚れているとも!


「この展開で、言わなきゃ分かりませんかね?」


嫌味っぽく言ってみると、薫子はそうよ、とそっけなく返した。


「大事なことは、言葉にしないと伝わらないわ」


だから私は言葉にしたのよ。


そう言って佳亮の言葉を待っている。悔しいけれど、惚れた弱みだ。どう伝えれば満足するだろうかと考えを巡らせて、薫子の耳元に口を寄せて囁いた。




「…世界で一番美味しいオムライスですよ」




そっと顔を離すと、ぱちりと瞬きをして、そして佳亮の顔を見て花が綻ぶように微笑む薫子。


やれやれ、この先大変だなあと思ったけど、幸福感の方が断然勝(まさ)った。




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