第480話 奴隷

背中側から頭を掴む私からでは、キチガイがどんな顔をしているのか見えないけれど、大体想像出来る。今まで、こういう連中が最後に見せる顔を何度と見てきたし、その顔はいつも一つだけだった。


恐怖に引き攣った顔。


そんな顔をしていると思う。


私は、そんな事を考えながら、キチガイの頭を力の限り横へと回転させる。


ゴキゴキゴキゴキッ!!

「ごがっ…」


首の骨が鳴らす音と、口から漏れ出した声とも言えない音が耳に残る。


最後に、私の方、つまり真後ろを向いたキチガイの顔は、予想通り恐怖に支配された表情をしていた。


ゴトッ…


体はうつ伏せに寝転がり、頭だけは空を見ている状態で地面に倒れたキチガイは、ピクリともしない。それを見届けて、私はスラタン様に向かって叫ぶ。


「直ぐにご主人様の援護に向かいます!」


「うん!」


私とスラタン様は、直ぐにご主人様とガナサリスが戦っている方へ足を向ける。


ご主人様は、ガナサリスの目の前、というかほぼ隣り合わせで立ち、刀をガナサリスの胸部に押し当てている。


ガナサリスの左腕が、ご主人様を狙って振るわれる瞬間、ご主人様の右腕が刀の柄頭を叩くのが見える。


かなり接近してのやり取りで、どうなったのか見えない。


スラタン様と私は可能な限り急いでご主人様の元に向かう。


ドサッ…


結局、倒れたのはガナサリスの方で、ご主人様の勝利だったけれど、最後の一撃によって、ご主人様は背中に大きな傷を受けている。


「ご主人様!!」


「ニル?!スラたん?!大丈夫なのか?!」


怪我をしているのはご自身だというのに、何故か私達の心配をするご主人様。言われてみると、コクヨウの血を全身に浴びているから、真新しい血が全身を覆っているという格好だった。ここに到達するまでに返り血を浴び過ぎて、嗅覚がおかしくなってしまっていたから、完全に忘れていた。


「これは返り血だから僕達は大丈夫!それよりシンヤ君の方が!」


「少し無理に押し込んだからな…」


背中が痛むのか、顔を歪めるご主人様。

血も出ているし、早めに治療しないと…


私は無言で周囲を確認する。


「ご主人様!少々お待ち下さい!」


私は魔法陣を描いて、中級土魔法、ウォールロックを発動させる。


現状、ここより北には敵兵が配備されていないらしく、南側に盾となる壁さえあれば、暫くは平気なはず。


「皆様!!」


そのタイミングで、私達と同じように、返り血で全身真っ赤にしたハイネさんとピルテが合流してくれる。


「シンヤさん?!」


「大丈夫だ。傷は大きいが、大した傷じゃない。」


「大した傷です!直ぐに治療します!」


「あ、ああ…頼むよ。」


私が大きな声で言うと、申し訳なさそうに言うご主人様。

いつも、ご主人様は自分の怪我に対して軽く考え過ぎている。確かに骨には届いていないし、筋肉もそこまで大きな損傷を受けてはいないけれど、放置して良い怪我ではないし、その時点で大した傷だと私は思う。

ご主人様は、しっかり声を大にして言わないと、大丈夫大丈夫なんて言って怪我を放置したりするから、私が強く言わないといけない。


これは私が勝手に想像している事だけれど…ご主人様は、これまで大切な人達をあまりにも多く失い過ぎてしまったから、自分の怪我程度は、その人達の苦しみに比べて大した事なんて無い、と思っているのかなと思う。

でも、本当に危険な怪我だったりする時は、そんな事は言わないし、死にたがっているとかではないから、そこまで危険な考えではないとは思うけれど…やっぱり、私から見ると、ご主人様が小さくても怪我をしているのは耐えられない。胸の辺りがギューッとなって、心臓が冷たくなってしまったように感じてしまう。


私は直ぐにご主人様の怪我を治療する。


「ご主人様の言う通り、確かに骨には届いていませんし、筋肉もそこまでのダメージは受けていませんが、暫くはあまり動かさないで下さい。」


「動かさないように…って言われてもな…」


自分でも、戦場でそれを言うのはおかしな事だとは分かっているけれど、動き回っていると傷口が開いてしまうのは目に見えている。


「出来る限り、私達で何とかしますので、ご主人様は魔法で支援をお願いします。」


この数を前に、そんな事がどこまで続けられるのかは分からない。でも、これはご主人様の事だけを考えての話ではなく、私達五人が生き残る為に必要な事。

この五人の中で、最も戦闘力が高いのは、間違いなくご主人様。それはここに居る全員が理解している。

そして、それは要するに、ご主人様がこのパーティの柱となっているという事に他ならない。そんなご主人様が、万全ではない状態で激しい戦闘となれば、私達の生存率はガクッと下がってしまう。そうならない為に、ご主人様には出来る限り万全の状態を維持して頂きたい。


「……分かった。だが、何かあった時は、迷わず前に出るからな。」


「はい。」


ご主人様も、私達の総意だと受け取って下さり、後方支援に回って下さる事になった。


「それより、フィアーの部隊はどうなった?」


「ガナサリスが死んだ事は既に伝わっているとは思います。先程相手にしていた連中が騒いでいましたので。退いた者達も見ましたが、全ての者達ではありません。やはり他の盗賊団も参加している事が大きいのではないでしょうか。」


「そうだな…」


ピルテの話に相槌を打ちながら、ご主人様は今後の事を決めている様子。


予定では、フィアーの棟梁が倒れたならば、他の盗賊団が、私達を明確な敵として認識し、排除する為に動いてくれるだろうということだった。

恐らく、ご主人様のその考えは間違っていないし、直ぐに他の盗賊団に属している連中が私達を殺そうと動くはず。今はまだ情報が伝わっていないか、伝わっていても、数を動かすとなると時間が掛かるという事なのだろうと思う。

つまり、暫く経てば、この辺りにも別の部隊が向かって来るだろうということ。ここから私達がどう動くかで、この大軍を上手く引っ張れるかどうかが決まる。


「フィアーの連中がどれくらい残っているのか分からないが、それらを掃討している暇は無い。このまま他の頭を取りに行く。」


「街は大丈夫でしょうか…?」


「…分からない。」


既に街を覆っていたアースウォールは突破されている。恐らく、北門も既に突破されたか、それに近い状態だと思う。でも、ここで私達が引き返しても、出来る事は限られているし、それでは根本的な解決には至らない。

私達がやらなければならない事は、出来る限り早く、この大軍を指揮している連中を討伐する事。


多分、フィアーの棟梁が死んだと知れば、パペットやテンペストの部隊は、何割かの者達をこちらへ回すはず。そうなれば、街への襲撃の手も緩む。こうして全体的な流れを街から引き剥がす事で、間接的に街を守るしかない。


「一先ず、ここでウロウロしているのは得策じゃないし、移動しよう。」


「どちらに向かいますか?」


「ハイネ。ピルテ。相手の陣形がどうなっているのか分かるか?」


「それ程高い場所に居たわけではなかったけれど…最後に見た時は、この先には特に何も見えなかったわ。

東と西には殆ど均等に人が流れていたように見えたわね。」


「陣形から相手の配置を割り出すとしたら、左右にパペットとテンペストが分かれて展開しているか、双方の盗賊団がごちゃ混ぜになって混成部隊になっているか…だな。」


「それについては、後者だと思うわよ。」


「そうなのか?」


「ええ。人が多過ぎて、私とピルテも、さっき気付いたばかりだけれど、どうやら戦場のあちこちに、奴隷が混ざっているのよ。」


「奴隷…って事は、パペット?」


聞いた話では、パペットというのは奴隷盗賊で、基本的に奴隷のやり取りで金を稼いでいる連中。しかし、その手法は違法な手法である為、違法的に…つまり、強制的に奴隷とされた者達が取引されているらしい。

この戦場に奴隷が混ざっているとなれば、まず間違いなく、パペットの構成員…というより、無理矢理参加させられている奴隷達だと考えられる。

多分、戦闘の経験が有る者も、そうでない者も関係無く、戦場に配置され、何か命令されているに違いない。


「だろうな…そうなると、パペットの棟梁は、どちらにも指示を出し易い場所に居ると思うが…この辺には居ないとなると、もっと後方か?いや…そうとも限らないか…

パペットの棟梁の位置は考えても分からない。となれば、一先ず、俺達は東に向かおう。」


「片方に寄っても大丈夫なの?」


「ケビンとハナーサが西門を閉じたとなると、そのまま声を掛けつつ街を巡るはずだ。つまり、西の住民達から避難が開始して、北、東と避難の為に動くはずだ。一番避難が遅れるのは東側だと考えると、少しでも削るならば東側の部隊だ。」


「なるほど。分かったよ。」


「ハイネとピルテは、奴隷を見付けたら、記憶を読み取ってくれ。パペットの情報か、テンペストの情報を探りたい。と言っても、奴隷からはパペットの情報しか得られないだろうが…ガナサリスは殺してしまったからな。」


ガナサリスから、更に他の盗賊団の事を読み取ろうとしていたけれど、ガナサリスは既に動かなくなっている。生きていなければハイネさん達は記憶を読み取れない。

ご主人様でも、生きたまま無力化出来るような相手ではなかったという事みたい。


「了解よ。それは任せて。」


「行くぞ。」


私達は、ご主人様の指示通り、東へと展開している部隊を右手に見ながら移動する事になる。


それにしても…パペットとかいう連中が相手となると、ここからは奴隷が相手になる場面が増えてくるはず。


奴隷は主人の命令に絶対服従。例えそれが命を奪われる命令だとしても、従わなければ死んでしまう。

奴隷は、生き残る可能性が一パーセントでも有るならば、その命令に従わざるを得ない。命令を拒否したら、その場で百パーセント死ぬのだから。


奴隷盗賊団と聞いた時から、奴隷を相手にしなければならなくなるとは思っていたけれど、実際に戦わなければならないとなってくると、どうしても思うところは有る。それは、奴隷という身分である私もだけれど、そんな私を大切に思って下さっているご主人様達も同じはず。


「皆様。」


だから、私は移動しながらも口を開いた。


「もし、奴隷の者達と刃を交えなければならなくなった時は、躊躇しないように気を付けて下さい。」


「ニル…」

「ニルさん…」


皆様は、私を見て何か言いたそうにしているけれど、それ以上の言葉を出さない。その顔は、何を言ったら良いのか分からないという表情である。


「奴隷である以上、彼等は死ぬか戦うかの二択です。そして、ここに居るという事は、自らの意思で死を選べなかった者達という事です。そういう奴隷は、生きる為に全力を尽くします。ですから、躊躇してしまえば、間違いなく、彼等の剣に倒れるでしょう。」


特に、ご主人様とスラタン様は、奴隷に対しての考え方が、こちらの世界の者達とは大きく違う。ハイネさんとピルテも魔界には奴隷が居ないという事で、考え方は違うけれど、この世界の住人であり、人を殺す事に対しての耐性は有るから、殺されるならば殺す、という考え方が常識として染み付いている。

でも、ご主人様とスラタン様にはそれが無い。ご主人様は今日までの戦いを通しての経験で、攻撃を鈍らせる事は有っても、振り下ろせないという事は無いと思う。でも、鈍るのは間違いない。

これだけの人数が居る戦場では、それが命取りになる可能性は十分以上に有る。


「後が無い者は怖い…って事か。」


ご主人様は少しだけ暗い顔をする。


奴隷達の中に、自らが望んでこの戦場に居るという者はほぼ居ないはず。そんな相手に刃を向けるのは、優しいご主人様やスラタン様にはとても辛い事だと思う。でも…


「はい。それこそ、どんな手を使ってでも生き残ろうとするはずです。

ですから……」


「……奴隷を斬る…殺す覚悟を決めておけということだな。」


「差し出がましい事でしたら、申し訳ございません。」


「いや。そんな事は無い。

ニルに言われなければ、実際に目の前にした時、躊躇していただろうからな。」


「………………」


スラタン様は、凄く悩んでいるように見える。


ここまで殺して来た者達は、どんな性格であろうと、盗賊であり、殺されるような事をしてきた連中だった。だから、少なくとも自分の中に正義を見出す事が出来た。

でも、奴隷を人として見た時、言ってしまえばクズな主人に操られた哀れな者達になる。

フヨルデを盲信して私達を殺そうとしてきた者達とも違い、本人は嫌だと思っていても、そうせざるを得ない状況に居る。そんな人達を殺すなんて、考えるだけでも苦しいのだと思う。


「……罪の無い兵士達だって手に掛けたんだから、そういう人達が相手でも戦える…と思う。でも、躊躇はしてしまうかもしれない…」


「スラたん…」


「……ごめん……」


「いや。スラたんはそれで良い。奴隷が相手になった時は、スラたんは最後衛になってくれ。俺達で出来る限りは対処する。」


「………ごめん……」


二度目の謝罪をするスラタン様。


でも、スラタン様が無理かもしれないと思って言葉にしてくれた事は、とっても重要な事。

もし、変に強がって本心を話してくれず、いざ戦闘になった時、躊躇ってしまえば、全員が危険に晒される事になる。そうなる前に、出来ないかもしれないと一言言って下さるだけで、他の皆様も私も、そう思って対処する事が出来る。最初から知っているといないとでは全く違う。話して下さった事で、私達もそれなりの戦い方をすれば良いだけ。

それに、そういう者達を傷付けるのに抵抗を感じるのは普通の感覚だと思う。


「スラたんが謝る必要は無い。俺だって出来ることなら戦いたくはないんだからな。」


「……………」


ご主人様が言った事は、私達全員の思い。皆出来ることならば、そんな人達を斬りたくなんてない。

でも、殺そうとしてくる相手にまで躊躇する事は無いと言い切れる。スラタン様にとって、それが言い切れないというだけの事。戦えないと言っているわけではないのだから、気にする必要なんて無い。それぞれがそれぞれの出来ることをやって、出来ない事をカバーし合う。それがパーティなのだから。


「ここからは、なるべく後ろへは回り込まれないように立ち回るぞ。陣形の外に配置している事を出来る限り活かしていこう。」


「細かく当たって少しずつ削るという事ね?」


「ああ。その中で奴隷を見付けたら、無力化して拉致、記憶を読み取るぞ。

ただ、出来る限り殺さずに無力化しよう。無理はせず、危険になると感じたら躊躇わずに斬るが、それくらいの事はしても良いだろう?」


ご主人様が私に優しい顔で言って下さる。


私が奴隷を躊躇わずに斬るようにと、敢えて、厳しい事を言ったのは、そうでも言わないと、ここから先で躊躇ってしまう場面が増えてしまうと考えたから。そしてそれは、誰かが言葉にしなければならないと思い、唯一奴隷である私の役目だと考えた結果の言葉だった。

ご主人様は、それを理解した上で、少しだけ優しい答えを返して下さった。

躊躇する事は危険だし、それで怪我を負うわけにはいかない。でも、だからと言って、無慈悲に、見付けた奴隷達を次々と殺す必要も無い。簡単に殺さず無力化出来るならば、それでも十分。黒でも白でも無い、灰色の答えを下さったという事。

本当に、ご主人様の優しさにはいつもいつも救われている。感謝しかない。


私は小さく頷いてご主人様に返す。


そんなやり取りを終えてから数分後、私達は目的である奴隷の姿を確認した。


数人で固まって動いていたけれど、盗賊達の中に紛れていて、パッと見ただけでは気付けない状態だった。


「連れて来るとしても…人の波の中だな、」


「あの大勢の中から連れて来るのは難しいと思いますが…」


「だよな…その場で記憶を読む事は出来るか?」


「出来るには出来ますが、記憶を読んでいる時は無防備になりますので、援護をお願いします。」


「分かった。絶対に指一本触れさせないから安心してくれ。」


「心配なんてしていないわよ。よろしくお願いするわね。」


ハイネさんもピルテも、本当に心配していないらしく、全く心配そうな雰囲気を持たずに答えてくれる。


奴隷の者達は、所々に点在しているようで、あまり数は居ない。そもそも奴隷の売買で儲けているのだから、商品がそんなに残っていてはおかしな話になってしまう。数が少ない為、戦場全体に薄く広く配置されて、色々とやらされているのだと思う。


しっかりと認可されているような奴隷商では、商品価値を上げる為に、小綺麗にさせられたり色々としてくれるのだけれど、違法な取引で手に入るような奴隷は、雑に扱われている事が多い。

元々違法な奴隷を売買するような連中は、そんな事まで考えないし、奴隷の為に使う金が有るなら酒でも買うような連中だから。


パペットという盗賊団が、奴隷全てを雑に扱っているのかは分からないけれど、少なくとも戦場に出ている者達は、かなり雑に扱われている者達らしい。

髪もボサボサで肌は薄汚れ、ボロ切れとも言えないような布を体に巻いている者達ばかり。

体も痩せ細り、触っただけで倒れてしまいそうに見える。私もご主人様に出会った当初は、同じような姿だったから、他人事とは思えない。


「狙い目はあの五人組だな。」


ご主人様が人差し指で示しているのは、大軍の外側近くに固まっている奴隷五人組。男四人に女一人で、エルフ族が二人、人族が二人、獣人族が一人。女性は人族の内の一人である。

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