第三十二話  ヒエン

「……なんで王から打診された爵位も勲章も辞退したんですか?」

「魔物を始末したのはヒエンだろ? 子分の功績を奪うなんてみっともない真似が出来るか」

「世間は『竜騎士キリハレーネ・ヴィラ・グランディア』の名前が飛び交っているんですよ? この名声に地位があれば、ユリアナを放逐するのも簡単に……」

「ただおっぽり出すんじゃ駄目だろ、あの女は。確実に尻尾を掴まないとね」


 騎士団と冒険者の狩り勝負から始まった魔物のスタンピードと紅蓮竜の出現の騒動から、すでに一週間。

 騒ぎの渦中にあったキリハは、ようやく学園でのんびり出来るようになっていた。

 この一週間、突然現れた竜騎士に擦り寄ってくる馬鹿の相手や、騎士団の連中との馬鹿騒ぎや、冒険者の連中との馬鹿騒ぎや、その他多くの馬鹿騒ぎで忙しかった。

 自分の部屋でゆっくり茶を飲むのも久しぶりだ。


「しかし、魔の森で見つかった『狂乱の笛』は、本来なら悪役令嬢キリハレーネが使うアイテム。それを事前に入手できるのはゲーム知識のあるユリアナしか……」

「ジェラルド、あんた、ザリガニ釣りはやったことあるか?」

「は? ザリガニって、田んぼにいるって割に全然居なくてドブ川とか公園の池とかにいっぱいいる、あのザリガニですか?」

「そう、そのザリガニ」

「いえ、ないですけど……」

「ザリガニってのは巣穴から中途半端に出てきた状態で捕まえようとしてもすぐに引っ込むから上手くいかない。ザリガニを捕まえるには、尻尾の先が見えるくらいまでしっかりと巣穴から誘き出さなきゃならない」

「……もっと大胆に出てくるまで待つ、と?」

「いま消そうとしても、すでに殺されないための仕掛けを売ってるだろうよ。この王都に爆弾を仕掛けてて、自分が死んだら爆発するぞ、なんてやり方でね」

「そんな、まさか……」

「あのタイプは他人を巻き込むのを躊躇しない。生き延びるためなら何だってするのさ。だから餌に食いついて巣穴から出てくるのを待つ。世間にしっかりとあの女の狡賢さを周知させなきゃならないのさ。さもなきゃあの女、何度でも悪巧みをして何処かで誰かに迷惑を掛けまくるだろうよ」

「…………」

「犠牲は出るだろうが、結果的にそれが一番犠牲が少ない。それまではせいぜい、幸せな夢でも見てればいいさ」


 ようやく、ジェラルドはキリハが怒り心頭であることに気付いた。

 落ち着いて喋っているように見えるキリハだが、その口元にはゾッとする薄ら笑いを浮かべていた。

 ユリアナは下手を打った。キリハを消すために大勢の人間を巻き込んだ。そんな事をされて、この女性が頭にこないわけがない。

 そして、怒りながらも見た目は平静なキリハが心底恐ろしかった。

 キリハは無闇矢鱈に喚き散らして怒りを発散させるような真似はしない。強力な自制心で腹の中に溜め込んでいる。その溜め込んだ怒りが解き放たれた時、いったいどれほどの熱量になっているのか……想像するだに恐ろしい。

 

「ん? お茶がなくなったぞ?」


 キリハは空のカップを差し出して紅茶のおかわりを要求した。さっきまでの酷薄な笑みは消えている。

 ジェラルドはコクコクと頷き、新しいお茶を用意するために部屋を出ようとし、


「帰ったぞ、姉御!」


 ドバンッ! と開いた扉に頭をぶつけたジェラルドが悶絶する。

 頭を押さえて床を転がる執事をちらりと見てから、キリハは闖入者に目をやった。

 燃えるような赤い髪に、大きな金色の瞳が印象的な少年だった。年の頃は十二から十三歳くらいだろうか。


「おかえり、ヒエン。リッタニアたちとのお茶会はどうだった?」

「美味かった! 人間はあんなに美味いものを食べているんだな! 我はずいぶんと損していたみたいだ!」


 紅蓮竜ヒエン――彼が変身の魔法で化けた少年が天真爛漫な笑顔を見せる。

 そいつは良かったと笑い返すキリハだが、ヒエンの服装を眺めて小首を傾げた。


「……その服、というかそのズボンはどうした?」

「これか? リッタニアが『あなたは半ズボンを履くべきです。いえ、半ズボンでなければならないのです!』と言って我にくれたのだ!」

「……そうか」


 ヒエンは仕立ての良いジャケット姿であり、半ズボンからはつるりと滑らかな素足が伸びている。その手の趣味の女性には垂涎モノの格好であった。


「……あの秀才メガネ、ショタコンを拗らせてやがったか……」

「なにか言ったか、姉御?」

「いや、大したことじゃないよ」

「そうか! 大したことじゃないなら大したことじゃないな!」


 ヒエンは「むぎゅっ!?」とのたうつジェラルドを踏み付けながらキリハに駆け寄ると、彼女の膝の上にぴょんと腰掛ける。


「姉御、次は何をする? 何をして楽しませてくれるんだ?」

「そうだねぇ……ヒエンは何をしたい?」

「我は何も求めない。我を楽しみたいのではなく楽しませて欲しいのだ。そして我を楽しませるのは姉御の役割だ」

「そりゃ責任重大だ」


 キリハは苦笑しながらヒエンの髪を撫でてやる。

 いかに人懐っこく甘えていようと、ヒエンはドラゴンだ。それも、竜種の中でも最も戦闘力に長けた紅蓮竜。

 彼はただ在るだけで他を圧する強者であり、天地に比類する者なき支配者だ。

 だからこそ、自由であるからこそ、不自由の中で味わう喜びを知らなかったからこそ、ヒエンはキリハに縛られることに従った。

 しかしながらそれは、キリハに服従したことを意味しない。ヒエンはあくまで自分の意志でキリハに付き従っており、彼はいつでもこの主従関係を撤回することが出来る。主従でありながら、その主導権は従であるヒエンが握っているのだ。

 ヒエンがその気になれば、彼はいつでもキリハを殺せるのだ。

 ――ま、いつものことだけどね。

 だが、いつでも自分を殺せる凶悪なドラゴンを膝の上に乗っけて、キリハたいして気負うことはない。

 幸い、この手の取り扱い注意な人材は、前世で散々取り扱ってきた。「お前を殺すのは俺だ」なんてツンデレる殺し屋やら、「楽しませてくれる限りあんたの味方だ」なんて宣うバトルジャンキーやら、「愉悦……」って微笑む似非坊主やらだ。

 いまでは、こういう連中が近くにいないと張り合いがないくらいだ。いつでも自分を殺せるくらいのヤツを飼っておくのは、生ぬるい人生を遠ざけるための丁度よいスパイスだ。

 信頼も信用も、ちょっとしたことで崩れる。友情も親愛も、親子の情でさえも、崩れる時にはあっという間だ。人間は移ろうものなのだから当然だ。

 だからこそ、人を率いる者は変化していかなければならない。変化する努力を忘れてはならない。忘れれば、すべてはあっという間に崩れ去るのだ。


「……そういえば、ヒエン。いつの間に『姉御』なんて言葉を覚えたんだ?」

「うん? そういえば誰に教えられたのだったか……姉御と呼ばれるのはイヤか?」

「いんや。ヒエンの好きなように呼ぶといいさ」

「そうか! ならよろしく頼む、姉御!」


 ヒエンは笑顔を浮かべてキリハを呼んだ。

 満ち足りた笑顔を浮かべるドラゴンを、キリハはやれやれと肩を竦めながらも撫で付けてやるのだった。

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