第7話 (1)
傭兵とは、本来報酬を得るために自由に所属先を変える戦士の総称のはずだった。
太古の時代から、人々は争い、殺し合い、多くの命を失ってきた。国家、集団、個人、それはどんな形であれ、どんな理由であれ、いまも途切れることなく、どこかで諍いや戦さが起こっている。
際限なく血が流され続けたあるとき、傭兵たちの間である組織が立ち上がった。個々に動いていた傭兵の契約状況をまとめ管理する組合は、命が軽んじられてきた戦地や国家において、命の尊厳を認めさせ、戦さで無辜の市民を戦場に駆り出すことなく戦士が戦場に赴くように働きかけていった。
“傭兵”とは、現代では傭兵組合に所属している戦士のことだ。紛争地で調査をして戦地と非戦地を明確にさせ、非戦士が戦場に立たなくてもいいように調整を行ない、ときには戦さを回避へと仕向けられる政治力をも問われる専門職。
女傭兵ミーサッハは、幼きころから戦士となるべく訓練を受け、少女の年齢には初陣を果たしていた。戦場では弓にて後方支援をしながら戦局全体を見極め、指揮官に意見を述べる参謀の役割も担う。戦さの前には、その紛争地がどのような状況であるのか調査することも多かった。戦士として訓練してきたことで、日常においても人の気配には敏感で、就寝しても異変が起こればすぐに身を起こすことができた。
その日の早朝、ミーサッハは自身の感覚がいつもと異なることを自覚しながら目覚めた。現役であれば瞬時に身を起こしただろうが、いまのミーサッハは一人ではなく、腹の子を第一に考えて動かねばならなかった。
ミーサッハはゆっくりと寝台から身を起こし、あてがわれていた従卒の青年が近くにいるか気配を探ると、この時間のこの場所にいるはずもない人物が隣室にいることを知った。
「ビルトラン」
小さくはないミーサッハの呼び声に、隣室から黒髪の戦士が現れた。頰に古傷を持つ男はミーサッハをナカタカからフォルッツェリオに連れ戻した傭兵仲間だった。
「起きたか」
素っ気ない男の声に、半身を起こしただけの体勢でミーサッハは硬い表情で問う。
「なにがあった」
思考がうすぼんやりとしていて、目覚めが悪い。常にはないことだった。ビルトランは無表情にミーサッハを見返してくる。
「昨夜侵入者があった。理由はわからんが狙いはおまえのようだ。眠りの術で眠らされ、連れ去れられそうになっていた。身重とはいえ、勘が鈍ったか?」
ミーサッハは口端を上げる。
「この館の警備が温かったのだと思うぞ。さすがのわたしも身隠しの術をかけた者の気配を読むことは難しい。それに、昨夜は旅の疲れが残っていた。誰かに強引にここに連れてこられたのでな。この体ではいつも通りとはいかない。もっと気遣われてもよいものと思うが」
ビルトランは苦笑してみせた。
「ああ、確かに、常のままの警備だったのは悪かった。ご婦人がこの館に参ることは皆無だったからな。おまえも女の一人であったのを昨夜思い至った」
嫌味の応酬はそこで幕引きとなった。
「それで、賊は捕らえたのか」
「いや、おまえの身が賊と我らの間にあり、安全を優先した。術者が賊の一人にいたからな」
それだけで状況判断ができた。どんな術がかけられたのか、そのときにはわからなかったのだろう。
「よく気づけたな。わたしでもわからなかったものを」
ビルトランは小さくうなずきながら返答した。
「都合のよいことに、他に客人が泊まっていた。あとから知ったのだが、その客人の一人が術者で、侵入者の気配を感じ取った」
ミーサッハは感心した。それは並の術者ではないだろう。その客人とは何者か。
「あとで会わせる。まだ早い時間だが、どうする」
ナカタカの乾季の時期には、フォルッツェリオも暖かい季節となる。まだ外は明るくなり始めたばかりのようで、空気も涼しいままだ。
「起きるとしよう。朝食は果実水に穀類と肉を。腹の子の分もあるから量は多めに。それから、従者を呼んでくれ」
ビルトランは吹き出し笑う。
「栄養だけが大事か? たまには料理名を言え。まあ、承知した。うちの料理当番たちは腕のいい奴らだ。従者にはなにをさせる?」
「男は察しが悪くていかん。こういう状態の女は、まずご不浄が近い。水分を多めにとって、よく動き、出産の準備をしていくものだ。そしていまは少々腰が痛い。粗相をする前に早く従者を呼べ」
ビルトランは溜め息を吐きつつ、呆れ顔で女であるはずの傭兵を見下ろした。
「恥じらいというものをおまえも持っていたなら、もっと女扱いをしていたのだがな」
ビルトランはミーサッハ付きの従卒を呼び込み、手助けを命じた。
ミーサッハが朝の身支度を終え、与えられた部屋の居間で朝食を済ませたころ、ビルトランが再び訪れてきた。
「おまえも男だらけの中ではなにかと不便だろうから、女手を入れようと思う。いまから会わせる者は、先ほど言った術者であり、子供を持つ女性でもある。おまえの身の回りの世話をお願いし、了承を得ている。女性らしい人だから、あまりいつもの調子を出すなよ」
無骨なビルトランらしからぬ気遣いだ。ミーサッハは常とはどこか違うビルトランを面白く見返す。
「承知した。もう会えるか?」
「ああ、呼ぼう。ご子息の少年も一緒だろうから、そのつもりで」
うなずくミーサッハを見届け、ビルトランは人をやり、三人の人物を呼び込んだ。そのうちの一人、二十代後半ほどの見た目の戦士の男はデュランと名乗り、人のよさそうな笑みで、自分の妻と息子を紹介した。ミーサッハは三人に対してにこりと笑みを浮かべ、初対面の挨拶をした。
三人ともとても人柄がよさそうで、デュラン夫人は可憐で美しく淑やかな女性であり、子息は賢そうで両親は将来が楽しみだろう。
「デュランどの、ニースどの、お二人に危ういところを助けられたと聞きました。ありがとう。お腹の子の分も合わせ、心よりお礼申し上げる。先日こちらに着いたばかりで、まだ体調も整っておりません。失礼ながら、今日のところは、ニースどのとアランどの、お二人と過ごしたいのだが」
いつもよりも女性らしい声音をわざわざ作り、やんわりと、しかしきっぱりと、ミーサッハは申し出た。ビルトランは承知の返事をした。
「デュランどのには、共に兵舎に同行していただくとしようか」
ビルトランの言葉にデットは快く応じた。
ビルトランとデュランは兵団のほうへ向かい、デュランの妻ニース、子息のアランが残った。ミーサッハは人払いをし、部屋の中には三人だけとなった。
室内に残された者たちはしばらく言葉を発しなかった。
やがてニースが部屋に術をかけた。他者に会話を聞かれぬためのものだ。それまでアラン少年の顔を見つめたままなにも語らずにいたミーサッハは顔をほころばせた。
「見違えたな、エル。しばらく見ぬ間に男前になったではないか」
いままでとは大きく雰囲気の変わったエルに、ミーサッハは自然と笑いかけていた。エルはたまらぬ様子でミーサッハの腰掛けた長椅子へと近づき、足元の床に座り込んだ。姉は可愛い弟の頭を軽く撫でた。
ミーサッハはニースに視線を移すと、紹介するようにエルを促した。
「デットどのの奥方ではなかろう? 何者だ」
どう紹介すべきか悩むようにエルは口ごもったあと、ナカタカで協力してくれた術者だとだけ言うと、続きはニース自身が担った。
「許可をいただいて、“素”に戻ってもよろしいでしょうか?」
少し低いが通りのよい声は、抑揚も声音もとても女性らしかった。素とはなんだろうと思いながらミーサッハは許可を出す。
「あー、助かった。これを続けるのはちょっとしんどいんでね」
姿は女性、声と態度は青年。
なるほど、これは酔狂な人間か。
ミーサッハはイグニシアスが婦人の仮面を外すまでは男性だとは疑ってもいなかった。
「これは、驚いた。わたしよりもよほど女らしく、よくも化けたものだな」
戦場に身を置いてきたミーサッハは言葉遣いも所作も男顔負けだが、女性を装うイグニシアスには負けると苦笑した。
イグニシアスは婦人の衣装のまま行儀悪く足を組んだ。
「イグニシアスという。ナカタカ、“穴熊”主人の孫、といえば、あなたにはわかるかな」
あの“穴熊”の孫かと、ミーサッハはイグニシアスが並の神経の持ち主ではないと納得した。
「最初から話をすると長くなるので、単刀直入に訊きたい」
ミーサッハはうなずいた。
「あなたは、この少年が“闇の精霊王”の守護を受ける者だと知っていたか?」
イグニシアスの質問は核心を突いた。
ミーサッハはほほえんだ。
「知っている。フォルッツェリオの戦さが終わり、国を出てエルと共に暮らしていくことを決めたとき、シリューズがわたしに話してくれた。同時に、力になってやってくれと頼まれた。シリューズは独自の考えを持つ男でな。“黒き王が甦りしとき、その者を討ち滅ぼすべし”。そんな不可思議な“声”を聞いていても、それを無条件に実行するつもりなどなかった。未来など、誰が決めたものか、と。なにゆえ黒き王を成敗せねばならないのか、そう考えていた。それに、エルはどこにでもいるような、普通の、優しい子だ。わたしたちは、この子をできる限り守ろうと誓った」
ミーサッハはエルの目を見ながら話した。エルはなにも言えぬ様子で唇を結び、瞳を潤ませている。
「これからのことを話したい。俺たちの目的はエルの意思に沿うものだ。エルの兄さんの仇を討つことが一番の目的だが、その前にあなたの行方がわからなくなった。おそらくこの国に連れ去られたのではないかと見当をつけて入国してみたら、偶然にもこの屋敷にいるときた」
イグニシアスは淡々と質問し、ミーサッハは小さく苦い笑みを浮かべた。
「ビルトランとは長い付き合いでな、いまでは彼もこの国の兵団長など務めているが、昔は一介の強戦士だった。シリューズもわたしも、それぞれ彼に目をかけてもらっていた。彼はシリューズの死の噂が流れたあと、わたしをずっと捜していたらしく、ナカタカでのわずかな情報を得て自ら探しにやってきた。自分が保護するときかなくてな。騒ぎを大きくしたくなかったわたしが折れた形だ。実際連れ去られたようなものだ」
「エルは、レイグラントが放った刺客により、兄さんが殺されたのだと信じているようだけど、あなたは真実を知っているのかい?」
ミーサッハは床に座るエルを見下ろすと、小さな息をついた。この話をするには、心構えが必要だった。
「シリューズが死んだ当時、この子は大変な衝撃を受けていた。当然のことだ。自分の唯一の、大切な人間が、目の前で無残に殺されたのだから。しばらくはひどいありさまだった。なにを訊いてもなにも応えず、なにも喋らなかった。正気づいたと思ったら、レイグラントの名を口にした。わたしもシリューズ襲撃の真相を探ろうと独自に調査をしていた。調査に使っていた者からわたしが報告を受けていたのをエルは聞いていたのだ。レイグラントがシリューズの台頭に怒りそれを理由に国を追放した、シリューズに生きていられては人心が二手に分かれまたも内乱が起きかねない、フォルッツェリオ国内の有力者たちの間で、そういう噂があることを。それをエルは信じた。わたしは、あえて正さなかった。エルは、なにかを、誰かを憎むことで、日々を過ごしていたようなものだ。せめて、生きる目標を与えてやりたいと思った」
「ということは、レイグラントの手の者じゃないってこと?」
「わたしが知るレイグラントであれば、シリューズを殺す理由がない。じつはな」
中途半端に言葉を切ったミーサッハは人の悪い笑みを浮かべた。悪戯を告白するように。
「レイグラントは、わたしに気があったのは事実だが、わたしにその気がないと知るとあっさりと身をひいた。惚れた腫れたの範疇にはない。対して、シリューズのことは、いまでも、人間として惚れ込んでいる」
イグニシアスは意表を突かれた顔をした。編み込んだ女性らしい頭にその表情が似合わず珍妙で、ミーサッハは自分の仕掛けに満足する。
「エルも俺たちも、まんまと騙されたってこと?」
ミーサッハは苦笑してみせた。
「すまんな。シリューズがこの国を出たのは、レイグラントのためだ。いずれエルにも話をしようと思っていたのだが、こんなに早くエルが成長しようとは思ってもみなかったのでな。そなたたちには礼をどれだけ言っても足りぬくらいだ」
エルは眉を寄せながら笑うという複雑な表情になった。自嘲であり、ミーサッハに気遣わせたことへの感謝でもある苦い笑みだ。
「それじゃ、エルの兄さん殺害の真犯人は、誰なんだ?」
「あのときの者たちに見覚えはない。シリューズは戦士相手ならば襲撃を事前に気配で察することができるし、守護を受けていた水精王からの忠告を受け取ることもできる。だが、あの者らは殺気を見せることなく、街中を通りゆく人々の中に溶け込み、人通りのある中突然シリューズの隙をついた。あの者らの装いはばらばらで、それぞれ持っていた武器も異なり、周囲の関係のない者も気にかけることなく動いていた」
ミーサッハは目を閉じた。
「シリューズが傭兵でいたのは、人を守りたいと、願ったからだ。戦場では同じ戦士を相手に非情でいられるが、シリューズは周りの一般市民を巻き込むことはできなかった。あの者らは、それをよく知った上で、あえて周囲を巻き込んできた。わたしは少しシリューズからは離れていた。そして、エルのそばにいた。シリューズのもとには行けなかった。彼が絶命する、そのときも」
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