第2話 (1)
休暇中の魔法士と名乗る青年と、奇跡を望まねばならないほどの乏しい確率で一人の人物を探している少年が出会う以前。
数年前に新興国として立ったフォルッツェリオ国内の一室で、二人の男が会話をしていた。
「まだ見つからないか」
低く響きのある声。確固たる自己を誇る者の自信ある声だ。
「あらゆるところを捜索しておりますが、いまだ」
こちらは、先の声よりも年齢と経験も重ねた落ち着いた声。
磨き上げられた重厚な作りの執務机に片手を置き、机と揃いで細かな彫刻が施された椅子に腰掛けている男はまだ二十代と若い。その向かいに立ったままの男のほうは若い男よりも十以上は歳上になる。それでも若い男のほうが上の立場にある。
「まことに、彼は死んだのだな?」
その言葉には、確かな情報だけを聴かせるように望む、目に見えぬ威圧があった。
「確かに、死体を処分したと」
答える壮年の男の声は、静かながら事実だけを硬く告げる。
若い男は歳上の部下を見つめる眼光を鋭くし、離さずに見据えた。
「彼女を一刻も早く見つけ出せ。手勢が足りぬなら増員せよ。おまえが直に指揮をしても構わん。見つけたなら、おまえ自身が連れてこい。慎重を期せよ」
若い男の澄み切った空の瞳は、強い意思と、力と、烈しさを持つ。さらに冷ややかな理性の色をも備え、他人に感情を読み取らせることはない。緩く波打つ色濃い金の髪は自然な量感を保ち、華やかな印象で男らしい整った容貌を彩る。戦場において、その豪奢な髪が野生動物の鬣のように激しく波立ち、彼を見る者を高揚させ奮い立たせることを壮年の男はよく知っていた。いまは鎮まっている鍛え上げられた肉体が最も躍動するのは戦場だということも。
命令し慣れた口調で命じた男は、ふっと口元を歪ませた。
「この口調がいつの間にか板についてしまったな。おまえにまでこの口振りだ、許せよ」
鋭利な眼光を放っていた壮年の男の、沈みゆく陽に焼かれた大地のような瞳の目元が、少し和んだ。
「なにを言われる。あなたより、我のほうが問題だ。いまだに言葉が身につかぬ。正直、丁寧な言葉を使えばいまだに歯が浮きそうだ」
立場を忘れたように語る壮年の男は、若い男の肉体よりもさらに太く、見るからに戦士という肉付きで、黒く硬い髪は短く刈られている。年齢と経験を物語る顔は厳つく、硬く実直な印象通り、壮年の男は多数の部下を抱える立場にあった。
壮年の男はすぐに自身の表情を部下のものに戻した。
「彼女の探索に全力をつくします。お任せを」
若い男に一礼し、壮年の男は素早く部屋を立ち去った。
一人残された若い男は、視線を大きな硝子窓に向けると、自分の瞳の色のように晴れ渡り青さを深める空を見つめ、見えぬ相手に密やかに語りかけた。
「自分では動けぬ身になってしまった。これも自分の望んだ結果だが、おまえは、なぜここにいない。ここを去るとき、なにを思った」
その後静かに目を閉じた。
深く思い耽るようにしばらくそのままでいた若い男は、ふいに目を開けた。間を置かずに椅子から立ち上がり、無駄のない動きの歩みで執務室を出る。
廊下は広く、この建物の壮大さがそれだけでもわかる。窓のない廊下の上部には凝った彫物の燭台が等間隔で置かれ、その蝋燭の灯りによって明るく照らされている。床面は磨かれた石造りで、蝋燭の灯りと男の姿を妖しく映し出していた。
男は堂々たる足取りで歩んでいく。廊下には他にも幾人かが渡っていたが、誰もが男の姿を認めると慌てて歩みを止め、深く頭を下げた。だが男には偉ぶる様子はない。ただ迷いなく歩むのみだ。
男は十分すぎる広さの踊り場がある石階段を上がり、部屋数の限られた最上階を訪れた。ここまで来られる者の数は限られるが、階段から廊下へと続く入り口を守る衛兵たちは頭を下げ、男の来訪を素通しした。
男はある部屋の前で足を止めた。その部屋の扉の前にも警備にあたる者が立っていた。兵服を着てはいないが、腰には細身の剣を佩いている。その者が男のために厳かに扉を開く。
開かれた部屋の扉近くにいた侍女から深い礼を受けながら、男は部屋の奥へと進む。
大きな窓の前の華奢な椅子に腰掛け外を眺めているのは、一流の装いを身につけた、憂いを帯びた、まだ十代の少女だった。
男は椅子に座る少女の隣に黙って並んだ。
少女の横顔を一瞬見やった男は、視線を窓の景色に固定すると、隣には誰もいないかのように佇んだ。少女も突如訪れた男を気にかけていないのか、身動き一つせず、視線すら向けなかった。
赤みがかった金の色の髪は肩を越したくらいの長さに揃えられ、緩く巻かれて綺麗に整えられ、身につけている衣装は手のかけられた美しいもので一目で高貴な女性とわかる少女だが、化粧はしておらず、まだ幼さが目につく。
可愛らしいといえるが、それ以上優れたところもない、これといった特徴のない少女だった。それでも、この少女が多くの者に守られるようにこの部屋にいるわけは、彼女を守りたいと思っている者皆が知っている。
普段は命の輝きに満ちた光を放つ瞳を持つ少女だが、いまはその翠色の瞳は暗く沈んでいた。
「仕事はどうした」
男が来てからしばらく経ったころ、外を眺めたまま少女が男に声をかけた。ぶっきらぼうと言ってもいい口調は、少女に似合ってはいない。
男はその声を咎めず、表情も変えずに答えた。
「休息中だ」
室内にいるはずの侍女たちは物音ひとつ立てることなく、気配を部屋の静けさに同化させている。
上界からの景色は壮大な空の比率が高く、人間たちの営みをごく些細なものと見せる。
二人はそれぞれに黙したまま、蒼い空に流れる雲の動きを眺めていた。
少女が口元を小さく引き上げた。瞳はまだ明るさを取り戻してはいない。
「ずいぶんと無沙汰であったのに挨拶もないとは、相変わらず不調法ではないか? それとも、わたしのことなど忘れ去っていたか。そうなのであろう? かつての友人の死にも動じぬ男だもの」
少女の声には明らかな棘があった。そのことに気づいたはずの男は、受け流すように答えた。
「なんのことだか、わからぬな」
少女は男のほうに顔を向けると、咎めるような瞳を見せた。男が少女を横目で見やる。
少女の瞳は、悲しみと怒りに満ちていた。その視線を男は平然と受け止める。
「いつ、誰に聞いた」
穏やかな男の声に、少女の目線も声もさらに険を増した。
「噂になっているのを知らないのか? この屋敷内で知らぬ者はいないぞ。いやでも聞こえてくる」
強い、非難の色で。
「なぜ、シリューズは死ななければならなかった? どうして……」
少女は膝上の着衣の生地をまだ小さな手指で握ると、男から視線を外し、窓のほうへ顔を戻した。
男は窓の外に視線を戻し、その問いに答えを返すことはなかった。
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