私が貴方の一番(上)
それからアメリアは俺に顔を推し当てたままなのだが、ボチボチ離れて欲しい。空気を読んで、合体中のロボを傍観している悪役のような皆の視線がそろそろヤバイのです。
それとなく彼女の華奢な肩を揺すってみるが、アメリアは抱きついたままだ。
あれ? 何か微妙に震えてないか?
「おい、どうしたアメリア?」
呼びかけてみると、アメリアは顔を伏せたまま横に振った。何処か息も荒く、感じる彼女の体温も熱い。
「分からないっ……私にも、分からないのよ……! 急に、苦しくなって……は、ぁっ!」
「!?」
まさか魔王の呪いとやらがまだ残ってるのか!?
此処は必殺の『乳治癒』――でも、お父さんの前だしな……と躊躇っていたら、アメリアは勢い良く顔を上げてきた。
自然と上目遣いになる彼女の瞳は何処までも潤んでおり、頬は紅潮していた。滲んだ汗で、純金の髪が額に張り付いている。
「はーっ、はーっ、ぁ、ぁっ、ムネヒト……、あ、貴方を抱き締めて、匂いを嗅いでいたら……」
嗅ぐなよ。
「胸の奥が熱くなって……ッ、上手く、息も出来なくて……寂しいような、切ないような……でも、手放したくなくて……! ねえ、これ、何? 教えて、私、どうしちゃったの……?」
…………。
「どどどどどどどうしちゃったんだろうな? 俺にも皆目検討がつかないよよよよ」
シャツを握りしめ、肩で熱い息をするアメリアから目を逸らした。俺には誤魔化すことしか出来ません。無意識なのかどうなのか、アメリアは下腹部を俺の太腿辺りに擦り付けていた。
気のせいか、アメリアのソコも湿っぽい熱を持っている。これはいけません。お天道様の真下です。
「とうとうお気づきになりましたか、アメリア様」
何とか自然に離れようと四苦八苦していると、長身の秘書が音も無くアメリアの側に寄って来た。
「ジェシナ……! これが何か知っているの!?」
青みがかった紺色の髪が縦に揺れた。
「アメリア様は健康な肉体を手に入れた事により、食生活と睡眠が著しく改善しました。ならば、最後の欲求が改善するのは道理で御座います」
「さ、最後の……欲求……?」
「性欲です」
おい!? 助けてくれるとかじゃないの!?
「せ、いよく?」
「はい。生きていく上では前者二つの欲求に比べ優先度は低いですが、時に食欲と睡眠欲を遥かに凌駕する強大な原初の欲求。それがスケベ。今のアメリア様の状態なのです」
さっきから何言ってんだこの秘書!? 青空教室で保健体育とかレベル高すぎだろ!
自分の状態を他者に教えられ、アメリアは羞恥と未知への恐怖に顔を歪めてしまった。俺に縋りつく彼女の肉体は、調理中のチョコレートのように熱い。
「ど、どうしたらいいのジェシナ……! 切なくて苦しくて、身も心も焼けついてしまいそうなの……! 私、怖い……!」
「――ったっふぁ……ムラムラを自分で処理できないアメリア様が可愛すぎて性的下克上も辞さない所存」
ねぇ、この秘書やばくない?
「オホンオホン。自分で解消する手段はいずれお教えするとしまして、現在のその性欲を解消する方法ですが……これについては何の心配も御座いません。ちらっ」
「!?」
危険な秘書は主人へ安心を与えると、効果音付きで俺の方を見てきた。
「旦那様にお願いするのです」
「ムネヒトに!?」
「おま!?」
紺色の瞳が強く頷いた。
「愛する者同士で
「まあ……!」
「更に、旦那様ほどの御方を【ジェラフテイル商会】の一員として迎える事が出来れば、商会の発展も約束されるでしょう。そうすれば王国は……延いては、世界そのものがより良い方向へ向かうのです」
「すごいわジェシナ! 二人で気持ちよくなれるだけでなく、私達の仲も深まって、商会も発展、世の中も発展してしまうなんて、ウィンウィンどころかウィンウィンウィンウィンの……まさに一石四鳥じゃない!」
「仰るとおり、
仰ってねーよちゃんと聴け!
「あら、何か浮かない顔だけれど……もしかして、ムネヒトは私が嫌い? 私には、女としての魅力を一切感じない?」
ふと俺の表情に気付いたアメリアは、何事もないような顔でそんな事を訊いてきたが、不安そうな気配は隠せてない。
「そんな事は無いけど……」
「じゃあ良いじゃない」
シンプル! シンプル故に強敵! 嘘でもアメリアなんか嫌いだと言っておくべきだったか!?
「いやほら、俺ってイケメンじゃないし……」
「私は外見の美醜では人を判断しないと命に誓ってるの。それに貴方は男前よ? 少なくとも、私にとっては世界一の美男子だわ」
「ぅぐぐ、めっちゃ高評価……! そ、それに、商会とかで働いたこと無いんだけど……」
「私やジェシナが居るから平気よ。ねえジェシナ?」
アメリアがそう言うと、彼女の後ろで無表情に立っていた秘書は軽く頷く。
「お任せ下さい。私とアメリア様とで旦那様を手取り足取りシンメトリーにサポートいたします」
「ぅぐぐ、左右対称……! あ、ほ、ほら! 俺、地頭だってあんまり良くないし……」
「組織のトップが最も優れている必要なんて無いの。自分より秀でた者達を束ねる徳望と、人の意見に耳を傾ける寛容さ。そして強い情熱があれば良いわ」
いきなり社長にでもしようってんですか!? 荷が重いよぉ!
「き、緊張してきたわ……生涯縁の無いものと思っていたけれど、書物の中だけだった知識が、イきた経験として私に刻まれるのね! 今日は記念すべき日になりそう!」
「記録などはお任せくださいアメリア様。いつこのような日が来ても良いようにと、常に準備をしておりました。アメリア様の一世一代のハメ姿――違った間違えました、晴れ姿を事細かく記録してご覧に入れましょう」
誰か二人を止めて!
「ちょっとちょっとちょっと! いつまでイチャコラしてんのさ! そいつは、あーし……らが先にツバつけた男なんだけど!」
沈黙を守っていた『クレセント・アルテミス』の内、ギャルのシンシアが目を三角にして迫ってきた。
ふんぷん腹を立てているシンシアに対し、アメリアは平然としている。
「ツバだなんて衛生的に問題じゃないかしら?」
「ものの喩えですぅー! 毎日5回は歯を磨いてますぅー! フロスだって欠かしてませんー! じゃなくて、ちゃんオリ置いてけっつってんの!」
「できない相談ね。ハイヤ・ムネヒトは【ジェラフテイル商会】を時代を担う人物であり、私の大切な人よ。彼に用があるのなら、まず私かジェシナが聴くわ。でも今日は忙しいし、後日で良いかしら?」
「良いわけねーし! あーしらもちゃんオリに用があんの! アンタらこそ日を改めれっての!」
両者一歩も引かない構えだ。『クレセント・アルテミス』の皆は金貨入りケースには目もくれず、アメリアを睨んだり俺に意味深な目を向けてきたりする。
ちなみにメリーベルはオロオロしていた。
後ろでは双子が「副団長! 今っスよ今!」とか「此処でビシィっと女を魅せるんでさぁ!」とか、無責任な発破をかけている。
「静かにしなんし」
そう言って場を静めたのは、ギルドマスターのディミトラーシャだ。唸り続けるシンシアを脇に、彼女はアメリア――ではなく、隣のジェシナに目を向けた。
「ジェシナ、金は持って帰りなんし。ぬしには恩がありんすが、この男は譲れんせん」
「御断りします。貴女こそ金を受け取ってギルドへと戻ってください。笠に着るつもりはありませんが、彼の身は【ジェラフテイル商会】が……いえ、アメリア様が預かります」
俺、なんかモノ扱いされてね? いやそれより――。
「ジェシナ、知り合いだったの?」
アメリアがやや驚いたように訊ねると、彼女の秘書は首肯した。
「――ベルバリオ様に拾われる前、ディミトラーシャとあともう一人で冒険者パーティを組んでおりました」
思わぬ人と人の繋がりに、場が一瞬ざわつく。ベルバリオさんだけは事情を知っていたのか、神妙な顔で唇を結んでいた。
「ええ。色々失ってしまったわっちに、ぬしらは多くの世話を掛けてくれんした。噂では聴いていたでありんすが、本当に商会に居たんでありんすねぇ」
「あの後で私も冒険者資格を剥奪されてしまい、食うに困ってしまいましたから」
「困窮するまでわっちに金子を渡してどうするでありんすか……」
……どうも、事情がありそうだ。
コレットの話で聴いていたが、5年程前のディミトラーシャは名うての高級娼婦兼名冒険者だったらしい。その時の仲間のが、このジェシナさんか。
世間というものは、何処でどんな繋がりがあるか分かんないもんだ。
「だったら、ぬしも分かっていんしょう? 恩を返すという事の大切さと難しさを」
沈黙が場を支配した。
この場にいる誰もが誰かの恩を受けている。また、誰かに恩を与えている。
俺だって、この身体以外は全て誰かの働きで作られていた。着ているシャツも履いてる靴も、誰かが作ったものだ。
いやそれどころか、今朝食べたパンも何気なく飲んだ水も用意された物だ。
対価に金を払ったとは言うが、硬貨も紙幣も結局は誰かが作ったものだろうし、貨幣制度も古の賢人が考えたものに違いない。
けど俺だって捨てたもんじゃない筈だ。牛乳や薬草も作り、良くない連中をやっつけたりしてる。俺の働きが役に立っているのは間違いない。
誰もが誰かを恩で生かし、誰かの恩で生かされている。
「わっちは、その恩に報いる機会を二度と逸しんせん」
ディミトラーシャの憂いを帯びた瞳に見詰められ、心臓が跳ね上がった。
「それに――もし、牧場で働く前に『クレセント・アルテミス』に来ていたら、騎士になる前にギルドの門を叩いていたらと思うと、わっちは諦めきれんせん」
内容はともかく『クレセントア・アルテミス』は、俺に報いようとしている。
けどそれは、彼女達だけでは無い。
アメリアをはじめとした【ジェラフテイル商会】の皆も同じなのだろう。
有り難いというか、身に余るというか……ともかく、皆からの恩で溺れてしまいそうだ。
「結局、わっち達はたった一つしかない宝を前にした女でありんす……最後にこうなるのは……まあ、分かっていんした」
憂いを帯びたディミトラーシャの瞳は、一瞬で剣の鋭さを帯びた。
「『クレセントア・アルテミス』――実力を以って、オリオンを取り戻しなんし」
「かぁしこまりぃ」
シンシアを先頭に、数十名の女達が前に出た。以前、おみ足ギルドの『ポワトリア・マーメイド』が攻めてきたときよりも、更に剣呑な殺気を帯びていた。
特に『四天乳』から漏れ出る気配がヤバイ。まさに女に会っては女を引っ叩き、男に会っては男を貪り喰らう肉食獣。
「ジェシナ。私の旦那様を護りなさい」
「御意に」
しかし、それを前にしてもジェシナさんという秘書は一向に怯まない。
男性用のスーツから取り出したのは、妙な形をした鈍色の小剣――ダガーだ。
それを逆手に持ち目の前に構えると、蜃気楼のように揺らぐ力場が見える。どうやら『魔剣』に類する得物らしい。
アカン! このままでは暴力事件が発生してしまう! 痴情のもつれからおっぱいギルドと大商会の闘争とか、マスコミが居るなら大喜びなネタだぞ!
こういう時こそ騎士団の出番なのだが、どうしたことか、メリーベルは顎をつまんだまま動かなかった。
「ふむ……イマイチ状況が掴めないが、勝った者がムネヒトを手に出来ると言う事だな? なるほど、なるほど……」
メリーベルは双方の陣営を観察していたが、やがて彼女の中で合点がいったらしい。一人頷くと、唇の両端を歪ませて笑った。
「得意分野だ」
スピキュールを引き抜いたメリーベルの顔は、イケメンを通り過ぎて獰猛な猛禽だった。今度は後ろの双子がオロオロする番だった。
ふぇぇ修羅場だよぅ……B地区に帰りたいよぅ……。
「タンマタンマタンマ! 暴力は止めよう暴力は! 話し合いで何とかしましょう! メリーベルも何
溜まらずアメリアから離れ、俺は三つ巴の中心に立った。
現実逃避したくなる気持ちを叱咤し、何とか抗争を回避すべく声を上げてみたのだが、イマイチ効果を感じられない。
それどころか、何十もの視線が俺に集中してしまった。
「そんなん言うならさ、ちゃんオリがどの女が一番かを決めるし」
「…………は?」
「この中で、ちゃんオリは誰が一番好きなの? 誰と一番エッチしたい?」
「いやいやいやいや! いきなり何だ好きだの、エ、エッチしたいだの! いったいいつそんな話になったんだよ!?」
「何を寝ぼけたこと言ってるし。いつからだって? そんなの、この世の生物が男と女に分かれた時からに決まってるっしょ」
そんな大袈裟な……とぎこちない笑いを浮かべようとして失敗した。大袈裟と思ってるのは俺だけらしく、『クレセント・アルテミス』もアメリア達もメリーベルも、誰も笑っていなかった。
「結局のところ、この世は良い女と良い男の奪い合いだし。私は良い男が欲しいし、その男に相応しい女で在りたいの。だから決めてよ、今」
ええええええ……? 何なのこの状況。おい止めろ、全員で睨まないでくれ。
「ええっと……ええっと……」
この状況で誰かを指名できるほど俺の肝は太くない。そのプリティーな肝も、視線に絞られてねじ切れそうだ。
俺は藁にも縋る気持ちで、この中で
「……私は邪魔者だな。アメリア、ジェシナ、私は先に商会に戻っておくよ。女同士で話すことがあるみたいだし……くれぐれも、怪我には気をつけるんだよ」
そう言うとベリバリオさんは、先に立ち去った【ジェラフテイル商会】の従業員を追って、この場から離れていった。
逃げやがった! 会長さん、かつては3ダースの愛人が居たんでしょ!? その時の手腕を発揮して場を収めて下さいよ!
泣きたくなるのを堪えて、今度はゴロシュとドラワットに視線を向けた。
よくよく考えれば、二人はイケメンだよね? 窮地にいる後輩を見捨てるような先輩じゃないよね?
「『
「『
「あー!? また逃げやがった!」
そして誰も(男は)居なくなった。異世界ホラーですわ。
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